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文献名1大本史料集成 3
文献名2第2章 裁判所資料 >第3節 地裁公判調書(諸幹部)よみ(新仮名遣い)
文献名3第五回公判調書(5)よみ(新仮名遣い)
著者
概要不敬罪の疑いに対する詳細な弁明と、教団の正当性を訴える内容である。被告人井上は「六合拝」などの問題視された儀礼について、天皇の「四方拝」を模倣する不敬な意図はなく、懸念があれば即座に改めたと証言する。また、王仁三郎が日常的に宮城(皇居)を遥拝していた事実を挙げ、不敬の意図を強く否定した。特に重要な点として、昭和2年頃から大本を「宗教団体として公認」させるための秘密裏な請願運動(文部大臣への働きかけ等)を多額の費用を投じて行っていた事実を明かし、自分たちが国家の枠組みの中で正当に活動しようとしていた姿勢を強調している。最後に、改めて天皇への忠誠と皇道宣揚の信念を述べ、陳述を終えている。
備考
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ページ522 目次メモ
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本文  問 最高幹部会議に於て協議事項を協議する手続は如何。
 答 伊佐男が先日の公判で申して居つた通りでありまして、伊佐男一人で遣つて差支ない事は同人一人で遣つて居りましたが、重要な事項でありますと王仁三郎と相談し次で最高幹部会議を開いて協議して居つたのであります。
 裁判長は、
  被告人東尾吉三郎に対する予審第二十回訊問調書第四問答を読み聞け、
 問 東尾吉三郎は予審第二十回訊問第四問答に於て最高幹部会及総務会議に於て協議したる事項の詳細に付斯様に供述し居るが此の通り相違なきや。
 答 其の通り相違ありませぬ。
 問 之等協議したる事項を分所支部に伝達する手続如何。
 答 先日の公判で出口伊佐男が申して居つた通りであります。
 裁判長は、
  被告人井上留五郎に対する予審終結決定書記載の活動事実中㈡を読み聞け、
 問 此の事実は如何。
 答 其の通り相違ありません、其の詳細は予審で御取調を受けた際申上げた通りであります。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審第二十一回訊問調書第一問答を読み聞け、
 問 被告人は予審第二十一回訊問第一問答に於て其の詳細に付斯様に供述し居るが。その通り相違なきや。
 答 御読み聞けになつた通り相違ありませぬ、山梨県へ講演に行つた時の事でありますが、同所は悪思想の根本の処であると言はれて居りましたから私は各地で皇道講座を開きました、或日村長の家を会場として未信者を集めて皇道の本義に付いて講演致しました、夫れが済んでから私が外の村へ行こうとして居ります処へ一人の青年が走つて来て私に一寸待つて呉れと申し、貴方の御話によつて日本の国体が判然判つたと申し劇的場面を造つた事があります、之れは皇道宣揚に最も効果のあつた一例であります。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審終結決定書記載の活動事実中、㈢を読み聞け、
 問 此の事実は如何。
 答 其の通り相違ありませぬ、其の際私が講演した内容の書いたものが出版せられて居つた筈であります。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審終結決定書記載の活動事実中㈣を読み聞け、
 問 此の事実は如何。
 答 其の通り相違ありませぬ、其の内私は大本教義に関するものを掲載させて居りますが之は編輯の方から出して呉れと頼まれましたので出したのであります。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審第二十一回訊問調書第二問答を読み聞け、
 問 被告人は予審第二十一回訊問第二問答に於て大本機関紙神の国に投稿したる詳細に付斯様に供述し居るが此の通り相違なきや。
 答 其の通り相違ありませぬ、尤も御読み聞けの内不敬不逞の思想が隠されて居つたと供述した事になつて居りますが、之は間違ひでありまして其の様な事は全然出来ぬ事であり且其の様な思想を抱いた事もなかつたのであります。
 問 然らば大本に於ては真の皇道を説き居りたるものなりや。
 答 左様であります、大本に於ては真の皇道を説いて居つたのであります。
 問 大本に於ては真の皇道を説き居りたりとせば王仁三郎の行動に不敬不逞の点なかりしや。
 答 ありませぬでした。
 問 大本より発行せる文献等にも不敬と解せらるる点なかりしや。
 答 私はなかつたと思つて居ります、然しながら色眼鏡を掛けて読みますと不敬或は不逞と解せられる様な点があつたかも判らぬと思つて居ります。
 問 王仁三郎には不敬不逞の行動ありたるに非ずや。
 答 私は王仁三郎に不敬不逞の行動のあつた事を見た事がありませぬ、所謂大正十年事件の公判で王仁三郎が大審院に出頭する際には私が何時も従いて行つて居りましたが東京に着いてから大審院へ行く迄の自動車の中で私に宮城の見える処へ行つたら知せて呉れと申して居り私が宮城が見へると申しますと王仁三郎は自動車の中からではありましたか慇懃な態度で宮城を礼拝して居りました、又大正天皇陛下が御不例であられました際王仁三郎は苦しそうな表情をして居り自分にも響くのかも知れぬ苦しいと申して居りました、其の様な次第で私は王仁三郎は不敬不逞の行動はなかつたと思つて居るのであります。
 裁判長は、
  被告人井上留五郎に対する予審第十三回訊問調書全部を読み聞け、
 問 被告人は予審第十三回訊問に際し王仁三郎の不敬の言動に付斯様に説明し居るが如何。
 答 御読み聞けの通り私が申した事になつて居り、且私が初めから其の事を何れも知つて居つて申上げた様になつて居りますが、私は少しも知らなかつたのでありまして、従つて私から説明したのではないのであります、私は中野与之助に対する縦横十二段の仮名書の歌は予審で初めて見せられたのでありますが、私は之は出口王仁三郎が書いたのですかと言ひましたら、予審判事は出口王仁三郎以外に書いたものはないと申されましたから、私は出口王仁三郎本人が書いたのであつたら、之一つで不敬不逞の意志のあつた事は間違ひないと申したのであります、次に昭和神聖会の発会式の際の行列の点でありますが私は昭和神聖会が結成せられた直後に満洲へ行きましたから詳しい事は知りませぬが私は不敬とは思つて居りませぬ、次に六合拝の点でありますが正月元日に陛下が四方拝をせられるのでありますから六合拝冷四方拝を真似た事になりますから不可ぬと思つて居りましたから中止せしめ、其後は元朝祭と改めました、其の余りは何れも私の意思に反する供述であります。
 裁判長は、
  被告人井上留五郎に対する予審第二十二回訊問調書第四問答中(記録一、三二〇丁裏以下)を読み聞け、
 問 被告人は予審第二十二回訊問第四問答中に於て大本が不敬不逞の団体である事を大正十四年半頃に知つたと斯様に供述し居るが如何。
 答 夫れは私の信念に基いて申したのではありませぬ、松村仙造の大祓の祝詞の点でありますが、大正十四年度頃であつたと思ひますが、みろく殿に於て祭祀課の連中が机を並べて居り色々の話をして居ります内に松村仙造が違つた祝詞を読むと申しました、私は之を聞いて日本の国民中にも悪思想を抱いて居るものがあると同様大本内部にも一厘の秘密を持つたものが出来た事を知りました、其の後松村の祝詞を奏上するのを聞いて居りますと大切な処が抜かれて居りました、夫れで私は王仁三郎に対して其の事を報告しました処、王仁三郎は夫れは困つた事だと申して居りましたが、夫れは単に一部の者の持つて居つた思想でありまして大本の全部に其の様な考へを持つて居つたのではないのであります。
 問 被告人の大本に対する現在の心境如何。
 答 斯る事件を起しました事は上は陛下に対し奉り下は国民に対しては申訳ない事であると思つて居ります、私は今日に於ても大本の教義中○○の伏字を除いては正しいものであると思つて居ります、私は一般文献は多く見て居りませぬから詳しい事は判りませぬが、私の知つて居る範囲に於ては大本は深く高く詳しく皇道を説いて居る事を確信して居ります。
 裁判長は、
  被告人井上留五郎に対する予審第二十五回訊問調書第四問答を読み聞け、
 問 被告人は予審第二十五回訊問第四問答に於て既往を顧みての感想を斯様に供述し居るか如何。
 答 御読み聞けの通り申上げた事は間違ひありませぬが大部分は私が言ふた事ではありますが、中には私の申さなかつた事も加はつて居ります、而して夫れは中野与之助に対する証拠品等を王仁三郎が書いたものと認めて此の結論を出したのであります、然るに其の後私の申した事は間違つて居つた事であり、私が信念に反する事をし驚いて居つた点も何れもが拵へた事であつた事が判つたので、心境の変化を来たしたのであります、私は今後国民の一人として国家の為に働く考へをして居ります。
 清瀬弁護人は、
  裁判長の許可を受け右被告人に対し、
 問 被告人は大本は治教であると供述したるが治教とは出口王仁三郎が言つたものに非ずして明治三年渙発せられたる勅語に治教なる文字存し治教とは惟神の大道の事を言ひたるものに非ずや。
 答 御訊ねの通り相違ありませぬ、世を治める根本指導を治教と言ふのでありまして政治教育経済何れも含まれて居るのでありまして治教とは重要であります。
 田代弁護人は、
  裁判長の許可を受け右被告人に対し、
 問 被告人は王仁三郎が大本を宗教団体として公認せらるる事の運動を為し居りたる事を知るや。
 答 知つて居ります、昭和二年何月頃であつたか記憶して居りませぬが、平渡信と言ふ人が大本に来た事があり夫れから大本を宗教団体として公認して貰ふ事の請願運動が始まつたのでありまして私、御田村竜吉、中野岩太の三人が大本の規約規定の原稿を作る事を王仁三郎より命ぜられましたので、金光教及天理教の規定規約を取り寄せ之を参考にして私が規約規定の原稿を造り之を王仁三郎に見せて悪い処を訂正して貰つて規定規約を造り上げました、而して王仁三郎は大本が公認して貰ふ事は絶対に秘密にして呉れと申しましたので書損じた反古は一々焼き捨てて居りました、
 其の後規定規約が出来上つてから愈々請願運動をする事になつたのであります、其後の詳しい事は知りませぬが、昭和二年秋頃当時の文部大臣勝田主計を王仁三郎が訪れ公認して貰ふ事の運動をしましたが其の際中野が従いて行きました、其の際の状況を中野から聞いた処によりますと、当時勝田主計は神経痛で困つて居たので王仁三郎が鎮魂帰神をして遣りました処、右神経痛は療つたとの事であり、大本も公認して貰へそうであると話して居りました、
 そうして昭和三年三月三日のみろく大祭当日公認になつた事を発表して一同を驚かせて遣ると言ふて居りましたので、私も公認の通知の来るのを待つて居つたのであります、私等としては公認せられる事は大本としてのみろく神政成就であり、国家的に見てもみろく神政成就の第一歩であると心待ちに待つて居つたのでありますが、遂に公認せられなかつたのであります。
 問 右運動を為したるに付王仁三郎は公認料として金を支出したりや。
 答 御田村から聞いたのであつたと思つて居りますが、四、五万円王仁三郎が出して居るとの事を聞きました、そして公認して貰ふに付ては非常に大きな金が要り其の金を出したら公認して遣るのであるとの事を聞きました。
 問 其の四、五万円は誰に手交したるや。
 答 判然した事は知りませぬか平渡信に渡したものと思つて居ります。
 問 其の金は何処から支出したるや。
 答 私は其の点には関係して居りませぬから知りませぬ。
 問 其の後大本に於ては公認運動を為し居りたるや。
 答 其後も公認の運動をして居つたらしく王仁三郎は京都に出て来て京都府警察部長に面会して居りました、而して此の点に付て先日の公判に於て伊佐男は昭和七年頃に公認の申請をしたが、私が前に関係して居つたので此の時にも関係して居りた様に申して居りましたが、私は当時満洲に行つて居りましたから関係はして居りませぬ、
 尚此の際申し上げますが大本教義は皇道を深く大きく詳細に説いて居ると申しましたが、大本教義は経緯の教によつて出来て居るのであります、経の教とは即ち国常立尊の神示であり、大宇宙から出る処の根本神示綜合神示でありまして、之は古今を通て謬らざるものであり緯の教とは豊雲野尊の神示であり総合心理〔真理〕でありまして、経緯合せて天之御中主大神の御働きとなるのであります、而して各国々は各国々相応した宗教があるのでありまして、印度の宗教は日本に当て嵌まる事は出来ぬのでありまして、日本には天之御中主大神の御働きによる宗教でなければならぬのであります、従つて大本に於ては大本以外の宗教は枝葉末節であるから批評する事はならぬ他の宗教を批評する事を禁じて居ります、而して大本の教は天授神示であると申して居りました、
 尚私が出口王仁三郎を信じた理由を申しますと、之は他に発表はして居らぬと思つて居りますが、大正九年一月頃の随筆であつたと思ひますが、我国家を泰山の高きに置き我御皇室に御安心して居つて戴くのは我大本なる団体である、従つて自分に大命が降下すれば内閣を組織すると書いて居り、其の組織等も書いて呉れました、之れは前申した通り発表はして居らぬと思つて居りますが、証拠品の中に此の写があると思つて居ります、之によつて私は出口王仁三郎は日本の統治者となる考へを持つて居らぬものである事を知つたのであります。
 以上は大正時代に王仁三郎を信じた理由でありますが昭和になつてから御大典と神との関係を王仁三郎より説明せられました、天皇陛下は大嘗祭によりて天照皇大神が御身体内に内流せられ天照皇大神となられ主師親になられるのであり皇居は御宮と見るべきものであり日本は高御位であると申して居りました、又昭和神聖会が創設せられてから私は満洲から帰つて来まして王仁三郎と昭和神聖会の事に付ても話合つて居りましたが、王仁三郎は大本には昭和神聖会はないと申して居り大本は政治団体でないと言ふ事を申して居りました。
 今井弁護人は、
  裁判長の許可を受け右被告人に対し、
 問 被告人は盤古大神即瓊々杵尊なる点を否認し居りたるが、盤古大神と瓊々杵尊とは如何に相違するや。
 答 盤古大神は塩長彦尊であり瓊々杵尊とは全然相違して居りますが、又盤古大神と瓊々杵尊の時代とは時代が大分違つて居ります。
 問 移写関係によりて盤古大神即瓊々杵尊となり、又国常立尊或は大国主命となるに非ずや。
 答 当時は宇宙の未完成時代でありましたから移写関係はありませぬでした、従つて御訊ねの如き事はありませぬ。
 富沢弁護人、
  裁判長の許可を受け右被告人に対し、
 問 本件記録第八百四十六丁に被告人より松野予審判事宛に去る九月二十六日御聞けられ候御儀堅く相守申候間宜敷御願申上候なる上申書を提出し居るが、如何なる意味の上申書なるや。
 答 昭和十一年九月二十六日松野予審判事が山科の京都刑務所に来られまして私を御呼出しになりましたので、松野予審判事の前に行きました処、同予審判事は私に対し之れから取調を始める事になるが、之れからの取調に対しては嘘偽りを言ふたらいかぬ正直に言へ、嘘偽りを言ふのであつたら、一番後廻しにすると言ひ、尚此方では明に判つて居るから明白に答へよ、夫れが判つたら其の旨の書面を出せ、そうしたら調べて遣ると言はれましたので、御訊ねの上申書を出したのであります。
 問 夫れで予審は正直に真実を供述したるものなるや。
 答 左様でありませぬ、前述の事情によつて私の意思に反する供述をしたのであります。
 前田弁護人は、
  本日は此の程度とし下余の審理は続行せられ度しと述べたり。
 裁判長は合議の上、
  前田弁護人の申請を許可し本日の公判は此の程度にて続行す
  次回公判期日を来る八月十八日午前八時と指定し訴訟関係人に出頭を命じ閉廷したり
   昭和十三年八月十七日
      京都地方裁判所第一刑事部
         裁判所書記 大西正紀
         同     南武雄
         裁判長判事 庄司直治
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