文献名1大本史料集成 3
文献名2第2章 裁判所資料 >第6節 控訴審判決書よみ(新仮名遣い)
文献名3控訴審判決書(2)よみ(新仮名遣い)
著者
概要大本の沿革、みろく神政、国常立尊・素盞嗚尊の再現、王仁三郎の霊代としての位置づけを説明する。その上で、『霊界物語』『瑞祥新聞』などに皇室の不祥事、皇統の危機、天皇の退位を暗示するとされた記事や歌を掲載した王仁三郎、桜井重雄、浜中助三郎の行為を認定する。さらに「十二段返の歌」を他人に示した中野与之助と、「聖師登極の日近し」とする文書を作成した関由太郎らの行為を不敬とした。
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データ最終更新日2026-06-17 13:05:03
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理由
皇道大本は出口直事ナカが明治三十年頃金光教より分離して、大本なる名称を用ゐ京都府何鹿郡綾部町字裏町の自宅に艮金神を祀りて祈禧禁厭等を為し居りしに端を発し、被告人王仁三郎〔以下履歴・沿革に関する記述につき省略。予審終結決定書を参照〕。抑々大本に於て主張する所の根本目的はみろく神政成就と称し、現在の世は体主霊従の悪の世故、至仁至愛の神の命を受けたる神が出現し之を大改革して霊主体従善一筋のみろくの世を出現せしめ、神国日本の天皇に依り統治せらるべきものなりと為し、みろく神政成就を必要とする理由の一として国常立尊の隠退再現、其の二として素盞嗚尊の神逐再現なる二箇の教説を立て前者は国常立尊は至仁至愛なる撞の大神の命に依り地球を修理固成し、之を主宰し居たるも部下の万神に謀られ艮へ隠退したる処、右大神の命に依り現在の混乱せる世界を立替立直して、至仁至愛の世と為す為再現し、後者は伊邪那岐尊の神勅に依り全地球を主宰し居たる素盞嗚尊は神逐に逐はれたるも、現在の優勝劣敗、弱肉強食の紛乱せる地球を救済し、至仁至愛の世と為す為め再現せりと謂ふにあり、而して王仁三郎は皇統の御稜威の下に国常立尊及素盞嗚尊の顕現霊代として体主霊従なる現世の立替立直を為し、みろく神政を成就せしむるものなりと説示せり、前示教典たる筆先其の他の大本文献には敬神勤皇愛国を高調せるもの多々あるに拘らず不敬なりと解せざるを得ざるが如きもの尠からざる為、信者中には王仁三郎を尊敬過信するの余、前記教説を憶測し王仁三郎が世界を統一し其の君主と為るものの如く解し我国体の尊貴比類なき所以を忘却し、皇室に対し不敬なる思想を抱懐する者を生じ、王仁三郎の其の対策宜しきを得ざりし為、此種解釈は信者各層に浸潤瀰漫の慮ありしものなるところ、
第一㈠ 被告人王仁三郎は前記亀岡町天恩郷に於て、
㋑ 昭和七年六月三十日前記霊界物語第六十巻の再版を発行するに当り、其の第四二七頁以下に「天の岩戸開きが段々と近寄りたから是までの如うな事には行かんから一か八かと云ふ事を悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の番頭のフナフナ腰では兎ても恐がりてコンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸はありは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違は無いぞよ。一の番頭の守護神が改信が出来たら肉体に胴が据わるなれど到底六ケ敷いから、今に番頭が取替へられるぞよ。もう悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ」なる天皇を称するに「悪の頭」なる語を用ひて退位を暗示したるが如き記事。
㋺ 同年十月三十日同物語第七巻第三版を発行するに当り、其の第六一頁に「月の光昔も今も変らねど 大内山にかかる黒雲」なる皇室に不祥事あることを暗示するが如き短歌。
㋩ 昭和八年四月十日同物語第三十八巻第四版を発行するに当り、其の第九四頁に「千歳経し聖の壺も地震の荒びに逢はばもろく破れむ」「つがの木の弥つきつきに伝はりて 宝の壺もひびぞ入りぬる」なる皇統の危機を暗示するが如き短歌。
㋥ 同年六月十日同物語第六十一巻大本讃美歌上の巻第四版を発行するに当り、其の第一九七頁に「現世の君より外にきみなしとおもふ人こそ愚かなりけり」なる天皇と対等者あるを暗示するが如き短歌。
㋭ 昭和九年十二月二十五日同物語第十巻第三版を発行するに当り其の第二八五頁に「日の光昔も今も変らねど 東の空にかかる黒雲」なる皇室に不祥事あることを暗示するが如き短歌。
㋬ 昭和十年四月一日前記瑞祥新聞第二四一号を発行するに当り其の第八頁に「邪鬼は世界中を自由自在に荒廻りて斯世を乱さうと掛りて居るから、八頭八尾大蛇は露国の土地に育ちて唐天竺までも混ぜ返し、其の国の王の身魂を使うて色々と体主霊従の仕組を致して終には、其国の王まで苦しめて世に落し、露国と独逸の王を亦道具に使うて同じく其王を苦しめて世に落し、悪魔は蔭から舌を出してまだ飽き足らいで大海を越え更に仕組を致して最後には日の本へ渡りて来る悪い経綸を致して居るが、道具に使はれる肉体は真に気の毒なものであるぞよ。今に神国へ手を出したら亦露国や独逸の大将のやうに落ちて苦しむが、神は世界の人民が可哀相なから三千世界の総方の守護神に地の高天原から気を注けてやりて居るなれど、余りの甚い曇りかたであるから、ちつとも理解が出来ぬから残念乍ら目に物見せてやらねば改心させて助ける方法がないから、是からドンナ事が出て来るかも知れんから、世界中の守護神に重ねて気を附けてあるぞよ」なる天皇を称するに「道具に使はれる肉体」なる語を用ひて、其の施政を誹謗するが如き記事。
㋣ 昭和九年十一月九日昭和十年日記を発行するに当り其の第三四七頁の欄外に「言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ 山河海の神もなげきて」なる天皇の施政を誹謗するが如き短歌を掲載せしめ以て天皇に対し不敬の行為を為し、
㈡ 被告人重雄は早稲田大学英文科を卒業し、中学英語教師台湾総督府商工課嘱託と為りたる後、東京市所在の極東書院に雑誌編輯員として勤務し居りたるものにして、相次家庭の不幸に精神的打撃を打けたる際大本の存在を聞知し、大正九年六月初旬前記綾部町本宮に赴きて神霊の実在等に関する講話を聴き且鎮魂帰神の実習を受くるや深く感動し、直に入信して奉仕生活に入り爾後大日本修斎会出版局編輯員、霊界物語筆録者、大本瑞祥会長、天恩郷宣伝課長、特派宣伝使、皇道大本本部海外宣伝課長、同編輯課長、同教務部次長、大宣伝使、昭和神聖会参議等に歴任したるものなるところ昭和九年十二月以降翌年四月迄前記亀岡町天恩郷内皇道大本本部に於て出版発行したる、昭和九年十二月二十五日発行第三版霊界物語第十巻の編輯者、毎月定時発行の機関新聞紙、翌年四月一日発行第二四一号瑞祥新聞の編輯人として之が編輯を為すに際し、
㋑ 昭和九年十二月二十五日頃右霊界物語第十巻第二八五頁に前示第一の㈠㋭掲記の如き皇室の尊厳を冒涜する短歌を掲載して出版し以て天皇に対し不敬行為を為すと共に出版法違反の行為を為し、
㋺ 翌年四月一日頃右瑞祥新聞第二四一号第八頁に前示第一の㈠㋬掲記の如き皇室の尊厳を冒涜する事項を掲載して発行し以て天皇に対し不敬の行為を為すと共に新聞紙法違反の行為を為し、
㈢ 被告人助三郎は実父の大本入信に因り一家相亜ぎ入信したる為其の感化を受け且身体虚弱なりしより夙に信仰生活を渇望し居りたる折柄、大正十二年の関東大震災に感動を受け同年九月石川県立第二中学校を中途退学の上綾部に赴き大本に入信し奉仕するに至りたるものにして、其の後亀岡天恩郷に於て皇道大本本部編輯課員として大本刊行物の編輯事務に従事中前記機関紙瑞祥新聞の事実上の編輯担当者として右新聞昭和十年四月一日発行第二四一号を編輯するに際し其の頃同新聞第八頁に前示第一の㈠㋬掲載の如き皇室の尊厳を冒涜する記事を掲載して発行し以て天皇に対し不敬の行為を為すと共に新聞紙法違反の行為を為し、
第二 被告人与之助は農業を営み居りたるものなるが大正十年頃以来胃病を患ひ病弱の身と為り更に昭和四年頃右顎に肉腫を生じ困憊し居りたる際、大本信者石田卓次より大本神を信仰祈願せば如何なる難病も治癒する旨告げられ、翌年三月下旬病気治癒の目的を以て亀岡天恩郷に至り、一週間の修業を為し神徳に感動して直に入信し其の後宣伝使試補、准宣伝使等と為り、昭和七年一月頃大本伊豆別院管事安藤唯夫より所謂十二段返の歌と称し「いまのてんしにせものなり」なる文献を詠み込みたる歌詞を説示され、且其の後同年十二月頃迄の間に同人より筆先及大本教旨等の解説を受くるに及び被告人王仁三郎か神の命に依り世界を統一し其の統治者となるものなりと盲信するに至りたるものなるところ、
㈠ 昭和七年八月頃静岡県榛原郡吉田村神戸鈴木ツネ方に於て同人に安藤唯夫より貰ひ受けたる十二段返の歌と称する縦横十二の仮名文字より成り、其の第八段目に左より右に「いまのてんしにせものなり」と記載しある不敬文書を閲読せしめ、
㈡ 同日同県小笠郡佐倉村志光事植田太一方に於て同人及小原トキヱに対し右不敬文書を閲読せしめて、其の意を説示し、
㈢ 翌年八月頃浜松市寺島町井口太郎吉方に於て同人及被告人仙蔵、由太郎等に対し右不敬文書を閲読せしめて、其の意を説示し以て天皇に対し不敬の行為を為し、
第三 被告人由太郎は静岡県立見付中学校第二学年を中途退学し左官職を為し居りたるものなるが、両親の宿痾快癒せず困憊し居りたる折柄、大本信者木野某より大本神を信仰祈願せば如何なる難病も治癒する旨告けられたる〔に〕より、昭和七年七月頃右病気治癒の目的にて亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上直に入信し、爾来大日本武道宣揚会中泉支部長、宣伝使試補等を為し居りくるもの、
被告人仙蔵は浜松市に於て尋常小学校卒業後鉄工見習となり肩書住居に於て織機附属品の製造業を経営し居りたるものなるところ、実兄一雄が精神病者と為り、之が治癒に焦慮し居りたる際義兄武田福八より大本に於て病気平癒の祈願を為し居る旨聞知し大本信者染葉某より之が祈祷を受け更に同人等の勧誘に因り、昭和六年十月頃前記天恩郷に至り一週間の修業を為したる上入信し、其の後大日本武道宣揚会浜松支部長宣伝使試補等を為し居りたるもの、
被告人徳太郎は静岡市私立実践商業学校第一学年修了後錻力職を為し居りたるものなるが、昭和六年満洲事変勃発後非常時局の声高かりし際偶大本信者杉山某より、該事変も大本に於て主張せる立替立直に関係するものなる旨大本の主義主張を聞知して、其の所説に共鳴し且其の頃家庭問題にて煩悶し居りたるにより、信仰に依り之を解決すべく同人の勧誘に因り昭和八年二月頃前記亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上入信し、其の後大日本武道宣揚会助手、東海主会愛知県聯合会豊橋東光支部長等と為り居りたるもの、
被告人弘は肩書住所に於て農業を為し居るものなるところ肋膜炎を患ひ大本信者木野某より御取次と称する祈祷を受け快癒するに至りしより、大本神の御陰に因るものなりと信じ、且同人の勧誘に因り昭和五年七月頃前記亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上入信し、其の後宣伝使試補と為りたるものなるところ、
右被告人四名は何れも入信後井口太郎吉及藤原章雅と共に先輩信者たる被告人与之助の指導を受け居りたるものにして、同被告人より前示十二段返の歌/解示を受け或は筆先等の不敬なる解説を受くるに及び大本の根本目的は被告人王仁三郎に於て世界を統一して、其の統治者となるに在りと盲信するに至り、昭和十年九月七日被告人由太郎の当時の止宿先なる名古屋市南区千年平畑、富田滝三郎方に会合し王仁三郎に対し皇道大本の根本目的を認識し、其の目的達成の為献身的活動を為し居ることを表明せんことを相謀り同所に於て大本文献の記事を参酌引用して、大本の主義主張を称揚すると共に天皇陛下は御退位になり、聖師と仰ぐ王仁三郎に於て皇位に即くべき目の近きにある趣旨を表明せる「聖師登極の日近し」なる文詞を記載し六名連署の王仁三郎宛の不敬文書を作成し、翌八日右六名相携へて亀岡天恩郷透明殿に到り同所に於て王仁三郎に該文書を手交し以て天皇に対し不敬の行為を為し、