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文献名1大本史料集成 3
文献名2第2章 裁判所資料 >第6節 控訴審判決書よみ(新仮名遣い)
文献名3控訴審判決書(18)よみ(新仮名遣い)
著者
概要素盞嗚尊の神逐と再現の教義を検討する。大本の初期文献では素盞嗚尊を悪化した霊として扱う記述もあるが、後の教義では贖罪と救世を担い、天照大御神の神業を補佐する神と位置づけられる。素盞嗚尊の再現は、国常立尊の立替立直を愛善の徳によって助けることを意味し、両教義を現界と神界の対応関係として説明する検察側の理解を退ける。
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2026-06-17 13:07:01
ページ639 目次メモ
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本文 ㋩ 次に素盞嗚尊の神逐及再現なる教義に付案ずるに、素盞嗚尊に関し教祖ナカの筆先に現はれたるは火之巻第九九頁の明治三十六年旧六月四日附筆先中、素盞嗚尊の霊魂が体主霊従に覆りて天地の岩戸を閉めた故に、天も地も妖気起りて了ふて草木の色まで天然の光沢も出んやうになりて稲にも豆にも野菜物にも花にも菓物にも悪い虫が湧くやうになりて十分の取穫も出来んやうになりて居るから、今度は一番に此霊魂から御改心をして貰はねば天地の岩戸は何時まで掛りても開けんから、変性女子の改心が一番であるぞよ。

同第四七四頁明治四十三年旧四月十八日附筆先中、天地が動いても世を持つ事の出来ん素盞嗚尊を表へ出して政治を致して居りたから薩張り世が逆様に転覆りて居りたのであるから、三千世界を元の経綸通りに捻戻して世を持つ身魂に世を持だして天下泰平に世を治めるのであるぞよ。等なり、

之等を観れば教祖の筆先に於ては素盞嗚尊は立替立直を担当する神に非ずして、却つて悪神なるが如く扱はれ居るも王仁三郎に対する予審第八回訊問調書中、自分が明治三十二年七月出口方に行きてより暫くの間は自分が教祖直の言ひ居る事為し居る事に反対する為教祖及教祖を取巻き居れる、古き信者が自分を排斥し様として事毎に自分に反対し居りたるが明治三十四年中に自分が信者に古事記にある素盞嗚尊が畦を切り溝を埋め機屋に斑駒の皮を逆剥にして落し等乱暴せられたる為、天照大御神が天の岩戸に御隠れに為りたる事素盞嗚尊に千座の置戸を負はせ鬚を切り手足の爪を抜きて神逐ひに逐ひたる事等を話し居りたる処教祖が其の隣の室にて其の話を聞き居りて、夫以来自分に俺は天照大御神である、お前は素盞嗚尊であると云ひ出し自分に改心せ改心せと申し居たり、自分は教祖より素盞嗚尊であると云はれ出してより何時とはなしに、自分が素盞嗚尊の霊代なりと云ひ度き様な気持になり、明治三十六年頃より自分は素盞嗚尊の霊代なりと云ひ出したるものなる旨の供述記載に依れば、右教祖の筆先に素盞嗚尊が悪神なるが如く表はれ居る事情を解するに難からず、而して王仁三郎が素盞嗚尊の霊代なりと称し始めたるは前叙の如く、明治三十六年頃なるも教祖との関係右の如くなりし為、王仁三郎は素盞嗚尊を以て専ら現世に於ける人の罪穢を贖ふ神即ち贖罪神として現世に降下せられたるものと説き居たるものにして、
裏の神諭(王仁三郎の筆先)の一なる道の栞は大正十年八月発行神の国創刊号等に掲載せられ、大正十四年八月三十一日玉之柱第一篇の単行本(前同証第一、八三一号)として発行せられ居るも、其の原文と認めらるるは手記に係る道の栞(同証第四、〇九三号)にして同書の末尾には、明治三十七年四月大本教主教瑞月誌(瑞月は王仁三郎の雅号)と奥書し在りて、同書には素盞嗚尊が此の世に贖罪神として降下せられたるものなることを反覆説示し居るに徴するも明なり、王仁三郎が素盞嗚尊の神業を強調し始めたるは大正七年十一月六日教祖ナカの死亡後にして霊界物語中最も多く説く所なり、而して素盞嗚尊の神業も贖罪神より救世神に救世神より武力を以て邪神を帰順せしむる統治神に説き進みたるものの如し、惟ふに夙に素盞嗚尊を祭神とする稲荷講社に入りて鎮魂帰神の法を修し京都皇典講究所に学びて日本古典を研究し、建勲神社の主典を拝命したる王仁三郎が大本の教義を日本の古典に結付け世人をして納得せしむるに足る根拠を樹立し度き志望を有し居たる事は、之れを推察するに難からず王仁三郎が大本の発揚さるる源は古事記奥義の発揮古事記の真意義の発動なりと主張し(出口王仁三郎全集第一巻国教樹立論)皇道を卑近に言ひたるものが筆先にて、高尚に言ひたるものが古事記、日本書紀の解釈なり(王仁三郎の当公廷に於ける供述)と説明し或は自分の本心は大本の教義を段段引込めて、霊界物語に引付け皇道大本に持ち行く心算なりし言霊学にて皇典古事記を知らせ、国体の尊厳なる所以を知らせ度く思ひ居たる旨(同上)の供述は右心事を吐露したるものと謂ふべし、
然れども教祖ナカの筆先は大本信仰の根幹を為し立替立直の予言は信者を吸収するに絶大の魅力を有するものなるを以て其の根本思想を為せる国常立尊の隠退及再現の理論を放擲し、素盞嗚尊の神逐及再現の理論を以て之に替ふることは到底為し能はざる所なれば両理論の調和に付きては相当苦心の存したるものなることは之を想像するに難からず、後掲文献の示すが如く素盞嗚尊を以て贖罪神、救世神と説き或は国常立尊の妻神豊雲野尊の分霊なりと説くが如き右苦慮に出でたるものに外ならず、然れば大本に於て唱導する立替立直の理論の根本は国常立尊の隠退及再現に在ること、不動の原則なりと謂ふべく国常立尊に就きては皇道大本信条第六条に我等は国祖大国常立尊が天照皇大神の神旨を奉戴して、世の立替立直しを遂行し宇内の秩序を安寧確立し給ふ現界、神界の大守神に坐ますことを信奉すと在れども、素盞嗚尊に就きては昭和八年三月発行皇道大本事務便覧に載せられたる、改正信条第九条に我等は豊雲野尊が神素盞嗚尊の精霊に御神格を充たし真如聖師を御霊代として、国祖の神示されたる神人愛と世界平和を実現さるるものたることを信奉すとありて、僅に右信条に於て其の神名の現はれ来れる事実に徴するも之を推認し得べし、素盞嗚尊に付きては至仁至愛の神として贖罪神、救世神或は統治神等其の説く所に変遷ありと雖立替立直の担当神としては終始国常立尊に従たる関係に在り立替立直をせらるるは国常立尊にして、素盞嗚尊は愛を以て諸人の罪を贖ひ世を救ひ或は邪神を帰順せしめ以て国常立尊の立替立直の神業を補佐せらるるものと為し居るものなり、而して斯る見解は亦後述する如く素盞嗚尊は体系、臣系の神なりとし天照大御神に対し補佐神たる地位に在りと為すことより生ずる、当然の帰結なりと謂ふべし素盞嗚尊の神業に関する主なる文献左の如し、

道の栞一の巻(同証第四、〇九三号筆記に係るもの)上四九、古しへは此世の救主として瑞の霊速素盞嗚神が現はれ玉ひて天津罪国津罪許々多久の罪穢を御身独りに引受け世界を救い給ふたのである、其の有難き情の深き吾等の救ひ主たる事を知らずして、素盞嗚尊を猛悪なる神と思ふ者は実に罪深き恐れ多い事である、此の神は今も厄神として人の災禍を救ひ玉ふ神である、人々の如何なる重き罪穢も大神の贖ひによりて救はせたまふ、

同五〇 時節参り世の切替へとなる故に、今度救主として天より瑞の霊を地に降し玉ひ世界の罪科を贖はせ世を救ひ玉ふ、

同五一 瑞の霊は天から定まりたる此世の救主、如何なる事も救ふ神、

中九八 世界万物の凡ての取締りは天之御中主の大神、一名大国常立尊、日の御国の取締りは天照皇大御神、月の御国の司は月読の神、世界人民の霊魂を治むる神は素盞嗚尊、此の大地の王は大国主の命、天地の間を構ふ神は百千万の金神、金神の凡ての取締は艮の鬼門の大金神之を表鬼門と云ふ坤の裏鬼門の金神是は姫神也、下一八 速素盞嗚尊は瑞の霊厄除けの神にして此世の救ひ主なり、此神の身代りにより天津罪国津罪許々多久の罪を許さるるなり、人は此神の御蔭によりて厳しき天の懲戒を逃れ来れるものなり、同二の巻 上二三 天帝は瑞の霊に万物の救ひを委かせ給へり、高天の原に現れまして天の安の河原を中に置き誓ひ給へる天照大御神は厳の御霊である、其時共に誓ひ給へる速素盞嗚の尊は瑞の御霊である、瑞の御霊は下津国の国人の許々多久の罪穢をその御涙にて贖ひ給ひて国人の罪の身代りとなり給へる救の主である、又天上にては天津国人の許々多久の罪を其の御血潮を以て贖ひ給ひ、天津国人の罪に代り給ひて天津国人の救ひ主となり給へり、凡て世界の罪人の罪を贖ひて救ひの門を開かれしは瑞の霊にして罪を許し玉ふ神は厳の御魂である、然し太陽系天体に属する世界のみである、其上には天帝がありて最後の審判を成し給ふのである、

同二六 瑞の霊は世界中の罪ある霊魂を清むるの役目である、救ひの門を開いて高天の原へ導く霊魂の案内者である、

中八二 瑞の霊の救ひ主再び世に降りて救ひの道を開き給へり、

同八三 天津罪、国津罪、許々多久の罪の贖ひ主は素盞嗚の尊の瑞の霊なり、同八四 故に人々の一代かかりても贖ひ尽し得ざる所の余れる罪は此の神の御名によりて贖はれ許さるべし、汝等素盞嗚の尊を措いて外に罪障消滅を祈るとも一寸の効も非ざるなり、

下 御霊のことわけ、実に此神(素盞嗚尊)は瑞の御霊にして、天地八百万の罪ある御霊の救ひ主なり、読むもの心すべし、速素盞嗚の尊は天津罪、国津罪を残らず我身に引受けて世界の人の罪を贖ひ給ふ瑞の御霊なれば、天地の有らん限りの重き罪科を吾身に引受けて涙を流して足の爪まで抜かれ血潮を流し給ひて世界の罪人我々の遠津御祖の罪に代はり給ひし御方なる事を忘るべからず、今の世の神道者は悟り浅くして直ちに速素盞嗚の尊を悪しく見倣すは誠に畏れ多き事共なり、斯くの如く天地の罪人の救ひ主なれば再び此の天が下に降りまして、瑞の御霊なる茂類の身を宮となして普く世界を救はんとなし給へるなり、素盞嗚尊の救の御霊の再び現はれ給ひしは天帝の深き御心にして、此世の立替の為めに万づの事を委せて天降し給へるなり、人民の重き罪科も速素盞嗚の尊の御名の徳によりて天照大御神より宜しきに詔り直し給ふぞ尊きの至りなり、限りなき栄と生命と喜びを得ん事を願ふものは瑞の御霊を信仰すべし、限りなき苦しみ、病ひ、憂ひ、曲事を救はれん事を願はば瑞の御霊を篤く信仰すべし、

同四の巻下九 瑞の霊を天津高御座より下津国に下し給ひて、罪に穢れたる人々の魂を洗ひ清めさせ給ふ、天津神の尊き広き御恵を感謝して其御旨に背かざらん事を勉むべし、同一〇 瑞の御霊は神代の昔天津罪、国津罪の贖ひ主となり給ひしがに度此の世に来りて罪人の贖ひ主となり玉へる其厚き広き恵みを忘るべからず、同二一 速素盞嗚尊は憐れみ深き荒神にましまして、世界の人々に代はりて天地へ罪の贖ひを為し玉へり、人誤りて素盞嗚尊を罪人とするは畏れ多き事なり、世の中の人々の罪科を助けん為に天地へ我身を犠牲と為し給ひしなり、後に天津神の御許しを得て月の国に昇り月読の尊となり給ひて今に至るまで変る事なく世界を守らせ給へり、

火之巻(同証第一、七一九号)第三〇五頁大正六年新六月六日付王仁三郎の筆先、素盞嗚尊が斯の世を乱したのであるから其因縁に由つて斯の世へ来てから人の知らん辛い苦労を致して、三千世界を治めて天の大神様へ御渡し申さねば赦して貰へん御魂であるぞよ。世界には変りた事や珍らしき事が出来いたすから其覚悟で居らんと気の小さい事では到底今度の御用は勤め上らんのであるぞよ。変性女子の身魂は瑞能御霊であるから千座の置戸を負ふて、三千世界を助けなならん因縁であるから善き事を何程致しても悪く言はれるなり。悪き事がチツトでも有りたら四方八方から攻められる御役であるぞよ。此の世の御用を致さす為に生代り、死代り昔から苦労が致さして今度の苦労を一番に安全な苦労であるぞよ。針の蓆に座らせられ、蜂の室、蝮の室に投り込まれ手足の爪まで抜き取られ咽喉から血を吐きもつて敵対う身魂を親切に待遇して改心をさす辛い御役であるぞよ。一人も誠の事を見透すものが無いぞよ。其中から今度の大望を成就さして、天照大神様へ御渡し申さな成らんのであるぞよ。八つ頭八つ尾の大蛇の身魂を根本の腹の底から改心さして天下泰平に世を治める世界に外に代りの無き御用であるぞよ。

裏の神諭(同証第二六一〇号)第四四頁、天津罪、国津罪、許々多久の罪を祓ひ退け除き給ふ大神は、素盞嗚大神なり。故に人々の終生善行を積みても祓ひ得ざる重き罪穢なりとも、此の大神の御名に依りて神界に謝し奉る時は一時に祓ひ清めらるべし。此の大神を無視して他日罪穢を清められん事を祈るとも無効なるべし。王仁文庫第六篇多満之礎(同証第二四号)百十一 速素盞嗚尊は憐み深き荒神にましまし世界の人々に代りて、天地の罪の贖ひを為し給へり、世の人誤りて素盞嗚命を罪人と思ふは畏れ多き限りなり、世の中の人々の罪科を免れしめんが為めに、其御身をば天地に犠牲となし給ひしなり後、天津神の御宥しを得て月の国へのぼり月読尊と成り給ひて、昔も今も変ることなく世界を守り給ふ、百十二 素盞嗚命は世界の為めに悪となり給へるなれば直に其罪宥されて月の神となり給ひ、今や二度目の岩戸を開かんが為めに瑞の御霊として再び此の世へ降り給ひても厳の御霊に比ぶれば、心の苦しみはいと軽く胸の中は常にすずやかなり、

霊界物語第十篇(同証四、一六〇号)第二五九頁に、瑞月の歌として「豊国姫神格化して神素盞嗚の神、一名国大立の命と謂す」同第十二篇(同証第三、六五八号)第三九三頁、変性男子の役目と云ふものは全て世の中が治たならば余り六ケ敷い用はない統治さへ遊ばしたら良いのであります、之に反して変性女子の役は此の世の続く限り罪人の為めに何処迄も犠牲になる役をせねばならぬのであります、

同第十五篇(同証第四、一五七号)第十二章一人旅中第一八四頁、女神「ヤヨ、愛らしき素盞嗚尊よ、妾は汝が母伊邪那美命なるぞ、汝が心の清き事は高天原に日月の如く照り輝けり、さりながら大八洲国に生り出づる数多の神人の罪穢れを救ふは汝の天賦の職責なれば、千座の置戸を負ひて洽く世界を遍歴し所在艱難辛苦を嘗め天地に蟠る鬼、悪狐、醜女、曲津見の心を清め善を助け悪を和め八岐の大蛇を十握の劔をもつて切りはふり、彼が所持せる叢雲剱を得て天教山に坐します天照大神に奉るまでは只今限り妾は汝の母に非ず、汝亦妾が子に非ず片時も早く当山を立去れよ、再び汝に出会ふ事あらむ、曲津の猛ひ狂ふ葦原の国随分心を配らせられよ、

同第三十二篇(同証三、六五八号)第二〇章、瑞の言霊、二九七頁、豊国姫の分霊神素盞嗚のあか魂は神伊邪諾の大神の教の御子と生れ来て……、

同第四十七篇(同証第三、六五八号)総説第三頁、この物語に於て主の神とあるは神素盞嗚大神様の事であります、主の神は宇宙一切の事物を済度すべく天地間を昇降遊ばして其の心魂を分け、或は釈迦と現はれ或は基督となり、マホメツトと化り其他種々雑多に神身を変じ玉ひて天地神人の救済に尽させ玉ふ仁慈無限の大神であります、

出口王仁三郎全集第六巻(同証第一、八一〇号)入蒙記中第五九頁、神素盞嗚尊の聖霊万有愛護の為め大八洲彦命と顕現し、更に化生じて釈迦如来と成り印度に降臨し再び昇天して其の聖霊蒙古興安嶺に降り、瑞霊化生の肉体に宿り地教山に於て仏果を修し、蜻州出生の肉体を藉りて高熊山に現はれ衆生を救ふ時に年歯将に二十有八歳なり、二十九歳の秋九月八日更に聖地桶伏山に坤金神豊国主命と現はれ、天教山に修して観世音菩薩木花姫命と現し五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり普く衆生済度の為更に蒙古に降り活仏として万有愛護の誓願を成就し五六七の神政を建設す、

素盞嗚尊の神逐及再現の教義として公訴事実に掲げられたる事実中、伊邪那岐尊の御神勅に依り、天照大御神は高天原、素盞嗚尊は海原の主宰を命ぜられたることは、古事記に顕はれたる史上の事実にして大本の文献中其の意義を解説したるもの尠からず、例へば神霊界大正七年八月十五日号所載皇典釈義、同大正八年三月一日号所載王仁三郎の筆先、同大正九年九月二十一日号所載至聖殿落成式所感、玉の柱第一篇道の栞第一三三頁御魂のことわけ、霊界物語第十二篇第二十八章三柱の貴子の如し、右神勅の海原とは地球を指すものなることも亦右文献の示す所なり、公訴事実には右神勅に依り日本は勿論全地球は素盞嗚尊の統治し給ふべきものと確定せられたるものなれば、素盞嗚尊の神逐後に瓊々杵尊が地上に降臨せられ其の御系統なる現御皇統に於て日本を統治し来り給ひたるは伊邪那岐尊の神勅に背反するものなりと在れども、王仁三郎は天照大御神の皇孫瓊々杵尊に下し給へる詔勅を以て、天照大御神が天之御中主大神より伝承し給へる宇内統理の大権に基づき天国の理想世界を地上に写し出さんが為、皇孫瓊々杵尊を地上に降臨せしめらるるに当り其の理想を表明し地上の統治権を確定し給へる最も崇高なる神勅なりとして、多数の文献(前掲第一の㈠及㈡に掲記したる文献、特に昭和二年八月九日発行道之大本第十一頁、神霊界大正七年八月十五日号第二二頁三次の御付属、出口王仁三郎全集第一巻第一三九頁第三九三頁、同第六巻第二八九頁)に於て其の重要なる所以を論証し居るのみならず、大本の大祓祝詞には「高天原に神留坐す皇親神漏岐神漏美の命以ちて、八百万の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに謀り玉ひて我皇孫之命は豊葦原の水穂の国を安国と平けく、所知食と事依し奉りき」とありて、王仁三郎に於て天照大御神の皇孫瓊々杵尊に下されたる詔勅を以て伊邪那岐尊の神勅に背反するものと為すが如き趣旨の見るべきものなく、神勅違反の如き全然問題と為し居らざるものの如し、
惟ふに王仁三郎の斯る態度は両神勅が夫々特殊の意義を有し相牴触するものに非ずと為すに因るべし、即ち伊邪那岐尊の天照大御神に下し給へる高天原を治らせとの神勅は天之御中主大神より伝承し給へる高天原即ち全大宇宙統理の大権を、天照大御神に授け給へるものと為すものなること前示第一の㈡に於て論断したる所なるを以て、伊邪那岐尊の三貴子に対する神勅は同尊の有する大権を三貴子に分授したるものに非ず、大権は天照大御神に伝へ大権行使の一部を他のに貴子に分掌せしめたるものと為すものなるを以て、素盞嗚尊及月読命の二神は天照大御神と対等の地位に在る神にあらず、二神は天照大御神の宇内統理の大権を輔翼すべき神にして右神勅は之を定められたるものと為すものなり、故に素盞嗚尊が地球を統治すること能はずして其の主宰神なきに立到りたる以上、天照大御神が天孫瓊々杵尊を地球に降臨せしめ其の統治に当らせらるるは伝承せられたる大権に基き、地上天国建設の理想実現の為執らるべき当然の処置にして、論議を挿むべき余地なきものと解し居るに由るものなるべく、従つて大本に於て天照大御神の詔勅は伊邪那岐尊の神勅に背反するものなりと主張する旨の公訴事実は之を認むること能はず、前示至聖殿落成式所感と題する記事中には「天孫が御降臨なさらないでもこの国は伊邪那岐、伊邪那美の神様の御神勅が行はれて居たならば天孫降臨の必要はないのであります……天照大御神様は高天原の主宰で素盞嗚尊様は大海原の主宰であります、若しこの地が素盞嗚尊様の御子孫でうまく治まつて居つたならば、天孫瓊々杵尊は御降臨遊ばす必要はないのである」とありて該部分のみを観れば天孫降臨の詔勅を以て伊邪那岐尊の神勅違反なることを暗示するものこ非ざるやの疑ありと雖も、該記事全文を通読すれば大国主命の国土奉還の事実を説明したるに止り何等疑念を挿むべき余地なし。
次に右公訴事実には伊邪那岐尊の神勅に依りて、天津神と国津神との区別歴然として定まり国津神の御系統に於て統治せらるべき日本を天津神なる瓊々杵尊並其の御系統たる現御皇統に於て統治し給ふは、伊邪那岐尊の神勅に背反するものなりとあるも、大本に於て、天津神と国津神の区別が伊邪那岐尊の神勅に依りて定まりたること並日本は国津神の系統に於て統治せらるべきものなることを主張し居るものと認むべき証左なし、却つて天照大御神の皇孫瓊々杵尊に下されたる詔勅を以て、日本並世界の統治権を確定したるものなりと論じたる前掲多数の文献の存するを観れば、大本に於て斯る主張を為し居らざること明なり、且天津神と国津神の意義を解説したる文献(出口王仁三郎全集第一巻大祓祝詞解第一八八頁、裏の神諭第二二頁、玉鏡第七頁、神霊界大正八年七月十五日号皇道大本雑話第一頁)を温するも天津神と国津神との区別に付斯る特殊の意義を含蓄せしめたるものなし、

更に右公訴事実には現代の如き優勝劣敗、弱肉強食の紛乱状態を呈するに至れるは伊邪那岐尊の神勅に依り、国津神たる素盞嗚尊の御系統に於て統治せらるべき日本を天津神たる瓊々杵尊並其御系統なる現御皇統に於て統治し給ひ、伊邪那岐尊の御神勅に背反したる結果なりとあるも、地上現界並神界の紛乱状態を来したる理由に付ては、前掲㋑の立替立直を必要とする理由に付論断したる如く、地上の世界は宇宙総統神の理想に反し邪神跳梁し体主霊従の思想の支配する所と為りたる結果なりと為すものにして、現御皇統に於て統治せらるるが為なりと主張するものと認むべき証左なきを以て、右事実も亦之を肯認すること能はず、

之を要するに素盞嗚尊の神逐及再現の理論は王仁三郎の独創に係り教祖ナカの説く所に非ず、而して其の所説は古事記に伝へられたる伊邪那岐尊の三貴子に対する神勅等の事実を基礎とし、之に独特の解説をなしたるものにして素盞嗚尊の神逐を以て、天津神、国津神の罪穢を負ひて其の贖罪の為神逐に逐はれたるものと為す点に於て、宗教的意義を存し同神の再現の理由を基礎付けたるものにして、再現の根拠を伊邪那岐尊の神勅にありと為すは正鵠を得たるものに非ず、同神は贖罪神、救世神にして天照大御神の天業に対し之を補翼せらるる補佐神なりと為す点に在りと解すべきものとす、而して素盞嗚尊が地上に再現せらるるは救世済民の業を担当して国常立尊の立替立直の神業を補佐せらるるものと認むるを相当とし、公訴事実の如く国常立尊の隠退及再現の教義と素盞嗚尊の神逐及再現の教義とを併存せしめ居るものと為すは謬見たるを免れず、又国常立尊の隠退及再現を地上神界の事象、素盞嗚尊の神逐及再現を現界の事象とし両者を移写関係に依り説明せんとする説も亦正当ならず、素盞嗚尊の再現に就きての所見は項を改めて論述すべし、
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