文献名1宣伝使の心得
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3途中の鼻高よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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大正八年七月十五日
世界の平和を主唱する大本の役員さんは、わずかな感情の衝突から互に相憎悪したり、かげ口をたたくようなことの無いように気をつけてほしい。自分から争い心を制しなければ、世界の平和を主唱する資格はないと思う。
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支部や会合所には大本から特に丁重に神様を祭らせて、地方の御守護神としてあるにもかかわらず取次が気に喰わぬからというて信者が寄りつかぬという話もある。取次も信者も少し考えてほしい。
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すべて神に仕える人は第一に心配り気くばりが大切である。心配り気配りの出来ぬような取次では肝心の御神徳を伝えることは絶対に出来ない。また信者も同様に、心配り気くばりの出来ぬような信仰は、絶対的の神徳に浴することは不可能である。
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至誠天地に通じた神の選良たる誠の信者は、自然に神徳を得て、社会からも尊敬されるようになるものであるが、今の人の多くは自分から鼻高になってしまうから困る。あまり鼻が高くなると、上も見えず向うも見えず、脚下はなお見えず、お先マッ暗、深い溝が前に横わって居っても気がつかず、気の毒なものである。まず自分から高い鼻を切断せねば真の神の光りはわかるまい。
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遠方からはるばると大本へ研究に来て、わずか二三日ぐらい逗留して、金龍殿の教監さんの演説を聞いて、「何んだ馬鹿々々しい、こんな話ならどこでも聞ける」とか、「我輩の方がモ少し巧妙な演説をして見せてやる」などと威張る人もある。しかしよく心を鎮めて聞いて貰えば、他の教会の講話や演説とは天壌の差があることがわかるのである。しかし何をいうて聞かしても、心の耳の無い人には、とうてい早速に感得せしむることは不可能で、講師も非常に骨が折れるのである。
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大本の幹部に在勤して居る人は、他の地方の人とは大変に神徳の取りようが違うて居る。何故なれば毎朝夕神示に接近する度が、他の遠隔の地方の人より多いからである。
今の俗世界の人の気に入るような言葉は神様の御心に背反するなり、神様の御心にかなうような言行は、今の世の大方の人々の気に入らず、誠の道を開くということは、実に骨の折れることである。