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文献名1伊都能売神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正8年1月11日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-08-23 11:04:14
年月日1919(大正8)年1月11日(旧12月10日) 神霊界掲載号大正8年2月1日号(第79号) 9頁 神霊界八幡書店復刻版第4巻 111頁 八幡書店版伊都能売神諭60頁
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本文  大正八年一月十一日 旧同七年十二月十日
 艮の金神大国常立尊が、時節参りて天晴れ世界へ現はれて、三千世界の立替立直しを致すに就て、先づ地の高天原から立替立直しを初めるから、大本の役員は腹帯を確り〆て居らぬと吃驚仰天、あいた口が閉がらぬ様な事が出来いたすぞよ。何も彼も神界では経綸が成就いたして、何時でも物事は始められるやうに、結構な事になりて居るなれど、肝心の大本の内部のものに誠の事が一つも解らん人民が混りて居るから、言ひ聞かして早速判る身魂なら、供々に手を引き合ふて、神界の御用を致させるなり、判らねば気の毒でも可愛相でも、神の経綸の成就いたす迄、各自に何なりと致して、時節を待つが神国の為であるぞよ。何も解らぬ身魂が浅い考えで種々の事を申すと、神界の大変な邪魔になるから、邪魔いたして神慮に叶はん事が出来いたすと、神は困らねど其人が気の毒であるから、神は排斥は致すのでは無い、助けてやりて可成は御用に立たいので在れど、止むを得ずの事であるぞよ。神の心もチツトは推量いたして下され。後で取返しが出来んから、今が一大事の場合であるから、何辺でも腹の立つほどクドウ気を注けておくぞよ。此の大本は至誠一つの神の教と行り方で在るから、世界から何物が出て参りて反対を致しても、微躯ともせぬ世界の大本であれども、何時も筆先に出して知らしてある通りに、外からは指一本さす事も出来ぬなれど、内部の役員信者の言葉と行状が神慮に叶はんやうな事が在りたら、中から破裂するやうな事になるから、折角今まで神が苦労いたした事が水の泡には出来んから、大本の中から一番に心の立替、役員の立直しを致して了ふから、それまでに身魂を清らかに致して、神の眼に付く行為を致されよ。モウ天からの時節が巡りて来て、一日も猶予の出来ぬ事に差迫りて居るぞよ。グヅグヅ致して居ると、後の烏が先になると申して、毎度知らして置いたが、モハヤ今の大本は後の烏が先になりて居るから、今迄の役員は爰で確かり腹帯を〆て覚悟を致さんと、此の上追越されるやうな事では、早うから大本へ参りて苦労いたした甲斐が無くなるぞよ。能ふ胸に手を宛て考へて下さりたら、神のクドウ申すこの至仁至愛の神の精神が明白に判りて来て、有難い勿体ないと申して涙が止まらぬ様に成るので在れど、肝心の精神が間違ふて居るから、日々不足を申さな成らぬ事になるので在るぞよ。心一つの大本と申すのは爰の事であるぞよ。
    ◎
 今の世界の人民は、真正の神から賦与りた智慧や神徳を曇らして了ふて、体主霊従の行り方を歓こび、色々と身欲ばかりを考へて、小さい欲に迷ひ、此の広い天地を狭まく縮めて、身魂の安心と云ふ肝心の天賦の宝を捨て省みぬ、誠に神から見れば欲を知らぬ可愛相な人民斗りであるから、一日片時も今の人民は心の底から安楽と云ふ味を知らんのであるぞよ。神界からは何一とつ人民の不自由なきやうに致して与りてあれど、肝心の身魂が曇りて居るから、そこら一面に落ちて在る結構な神徳を足で踏んで居つても能う拾はんので思ふやうに行かんと申して、天地の神にまで不足を申すのであるぞよ。霊主体従の行為さえ致したら、三千世界は広く美くしく楽しく見えるのであれども、外国の八尾八頭大蛇の霊と金毛九尾白面悪狐の霊とに自由自在に弄物に為られて、守護神と肉体が体主霊従になり切りて了ふて居るから、斯の結構な天地が思ふやうに行かぬので在るぞよ。天地の元の生神の神慮に叶ふ守護神肉体でありたら、今の如うな暗黒の世の中に居りても、霊主体従の行り方いたすから、斯んな結構な良き世は無いと讃美をいたして、何時もニコニコとして勇んで暮せるのであるぞよ。三千世界の立直しは出来て居らぬ前でも、神の心に叶ふた人民はモハヤ身魂が立直りて居るので在るから、世界に何事が出来いたしても、我身は塵ほども苦しいとは思はぬやうの神徳を戴きて、高見から見物するやうな心になりて、天地が震動いたしても如何大変突発いたしても驚かぬ神徳が備はるので在るから今の世界の人民が苦しみて居るのは、我と我手に苦みの種を蒔いて、又た自身が苦みの実を苅り取りて居るので在るぞよ。心さへ研けて誠が覚りて来たら、斯んな楽もしき広き結構な神世は無いので在れども、一寸でも心の持方が間違ふたら、此の広い天地が狭くなりて苦しく成るぞよ。今の世界の人民は、苦しまいでも楽しみて暮せる事を、我から求めて苦しみて居るのであるから、神は可愛相で見て居るに忍びんから、永らくの間出口直に御苦労になりて、神世の教がさしてあるなれど、盲目聾ばかりで、今に何も解らん守護神人民斗り、気の毒なもの斗りであるぞよ。是といふのも外国の大蛇と四ツ足の悪邪乃御魂が這入り込て居るのであるから、神力を戴いて、身魂の中に住居いたす悪魔を追出して了はねば、何程結構な神界の教を聞かして貰ふても耳へも這入らず、誠の安心も出来ぬのであるぞよ。可愛相でもモウ神も手の付けようが無い所まで人民がくもりて了ふて、神の光りが見えんから仕方はないぞよ。
    ○
 大本の修行は今迄の体主霊従の行り方を立替さすので在れども、神の教を聞いて、チツト宛腹の中へ浸み込み出すと、人民と申すものは勝手なもので在るから、今まで致して来た事業が嫌に成りたり、阿房らしく思へたり、苦しく感ずるやうに成つて来るもので在るが、夫れが忍耐んやうな事では、事業を更へても神界の御用は、人間界の事業とは段が違ふから、中々勤め上げられんぞよ。大本の教を聞いて、チツトでも神徳を戴いたら、其神徳を以て今までの事業を大本の教の行り方に、少々づつなりと改良て行く精神にならぬと、何彼無しに綾部の大本へ行きて、近くに居りさえすれば神徳が戴ける様に思ふと、大間違いが出来いたして、後で神に不服を申さな成らぬやうに成るから、神が前つ前つに気を付けておくぞよ。大本の近くに居りたら神徳が戴けるものなら、此の綾部の人民が神徳を戴いて御用が出来る筈であれども、今に誠の神徳を戴いたものは何程も無いではないか。大本の中に這入りて、二十五六年も神の教えを日夜に見たり、聞いたり致して居る役員でさえ、今に神徳が貰へんものが在るぞよ。心の持方一つで何程遠方に居りても神徳は戴けて、立派に神界の御用が勤まるので在るから、綾部綾部と申して、家まで持つて来ても、神の誠の教が判らぬ人民は、何時まで近くに居りて、日々大本へ詰め切りたとて何一つ判りもせず、眼も見えず耳も利かず、手も足も出し様が判らぬぞよ。神の神徳と申すものは、遠い近いの差別もないぞよ。明い暗いの区別も無い、何一とつとして行渡らんといふ事は無いから、何処に居りても身魂さへ研けたら、ドンナ大きい神徳でも渡してやるぞよ。大本へ永らく這入りて居りて、今に神の御用一つ命す事の出来ぬ人民が沢山にウジヤリて居るが、皆身魂の曇りが激しうて罪障が深いから、折角この結構な地の高天原へ引寄して貰ふて、日々に神の誠の行状を変性男子の鏡で見せて戴いて居り乍ら、今に一つも改心が出来ず、段々慢神いたして、何んでも無い用を申付けても、神の御用を為てやると云ふやうな精神で、神に恩を被せるやうな訳の分らぬ精神であるから、昔からの深い罪穢を除りて助けて与りた其上で、神界の御用に使ふて、手柄を為して歓こばしたいと思へども、元来の思ひが間違ふて居るから、神もドウ致す事も出来ぬから、今の間に早く心の立替立直しを致さんと、後で残念でヂリヂリ舞を致さな成らん事が今に出来いたすから、神はどうぞどうぞと思ふて、破れ物を抱へるやうに心を使ふて居るから、チツトは推量いたすが宜かろうぞよ。
    ○
 世界の人民を助けたさに、艮の金神が因縁の御魂出口直殿の体内を借りて、永らくの間変性男子に苦労を致さした、神政開祖の奥津城は、変性女子や役員の赤心で立派に致して下されて、神は満足であるぞよ。是からは神界の肝心の御用の時は、天王台へ変性女子を引寄して、何彼の相談を致さねば成らぬから、一日も早く経綸を完成して貰はんと、今の彼の有様、沢山に役員信者は参拝いたして下さるは結構なれど、我の眼の前に彼んな事をして捨てあるのに、気の付く人民は今に一人も無いとは惨いものであるぞよ。此の大本の御用いたす人民は、一を聞いて十を悟る位で無いと、誠の間には合はぬのじやと申して、毎度筆先で知らして在るが、眼の前に誰にも見える不始末が何んとも無いやうな事であるから、神も中々骨の折れる事であるぞよ。是でも今の世界の曇りた人民よりも何段も上の身魂の選り抜きが集せて在るのでさえも此の通りで在るから、三千世界の立直しは大事業と申すので在るぞよ。何も彼もキチンと秩序を立て行くのが神の行り方、人民は神の道具に拵らえてある、神の分身魂であるぞよ。今の天王台のアノずんだらな行り方と申すものは、普通の人民の眼にも付く事であるのに、大本の教を日々聞いて居れる御方に気が付かんとは、不思議と申すより外は無いぞよ。中には気の付いた役員信者も在るでは在ろうなれど、モ一とつ誠と云ふ事が足らぬから、ツイ忘れて了ふのであろう。肝心の国の教の祖の奥津城、日参致したり通夜いたす斗りが誠ではないぞよ。是からの筆先段々酷しく成るから、女子が厭がれども世界とは代えられんから、一寸も神の方は遠慮はいたさぬから、何彼の事に是からは心配り気配りを致して下されよ。此の神の道は実意と丁寧と誠と正直と心配りが無いやうな事では、神界の御役には立たんぞよ。
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