文献名1伊都能売神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正8年6月3日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-08-30 10:09:14
年月日1919(大正8)年6月3日(旧5月6日)
神霊界掲載号大正8年7月15日号(第90号) 11頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 175頁
八幡書店版伊都能売神諭167頁
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本文
大正八年六月三日筆
大国常立尊が永く、出口直霊主命の手を借り言を籍りて、世界の事を知らして置たが、斯世界は最早断末魔に近よりて来、昔からの悪神の仕組が、判然と解る時節に成りて来たぞよ。害国の悪神の頭が、昔からの永がい陰謀で、学と智恵と金の力とで、世界中を自由自在に混乱て来て、今度の様な大戦争を起して、世界中の人民を困しめ、人民の心を日増しに嶮悪いたして、自己の目的を立てやうと致し、満五ケ年の間に、トコトンの陰謀を成就いたす考でありたなれど、只一つの日本の国の日本魂が、悪神の自由に成らぬので、今に種々と手を代え品を代え、目的を立てようと致して、山の谷々までも手配りをいたして居るから、一寸の油断も出来ぬ事に成りたぞよ。
三千世界の九分九厘と成りて、今に動の取れん事に成りたから、昔からの神界の経綸で、竜宮館の地の高天原に変性男子と女子とが現はれて、天の大神様の御経綸を昼夜に、声を嗄して叫ばせども、学と智識と金力より外に何も無いと思ひ込で居る、世界の人民で在るから、何程神が気を付けて遣りても、一つも誠に致さぬから、神も助けやうが無いぞよ。此の世の裁判を致す迄に、早く改心致して、身魂を水晶に研いて居らぬと、何時始まるやら人民には判らんぞよ。神は日々に天からも地からも、言霊で知らして居れども、今の人民薩張り悪魔の器になり切りて、言霊の耳が無いから、脚下に火が燃えて来て居るのに気が付かぬから、又た神は日月なり、星にまで変りた事をして見せて気を付けて居るが、夫れでもまだ判らぬとは、克くも悪神に身魂を曇らされたものじやぞよ。天の大神様が経綸の蓋を御開け遊ばす時節が来たから、モウ改心の間が無いから、斯世に置いて欲しくば、一日も片時も迅く日本魂に立帰りて、神の分霊と申す丈けの行状を致して、天地の大神様へ御詫びを致すが何より結構で在るぞよ。
◎
撞賢木天照大神様の御命令を戴きて、三千世界の立替の為に、由良川の水上に神代開祖出口守が現はれて、清けき和知の玉水に、人の身魂を洗い世を清め、神政成就瑞純霊が、再び地の高天原へ現はれて、救ひの舟を造りて待てど、乗りて助かる身魂は千人に一人も六ケ敷今の世の有様、神が誠の事を申せば、今の人民は悪神に迷はされて、日夜勝手気儘の遣り方題、自己主義の者ばかりで在るから、力一杯誠の神の教を詈り嘲り其上に侮り辱かしめ、遂ひには此大本を打ち潰しに、新聞までが掛る様な、暗黒な悪の世で在るから、容易神の申す事は、今の人民は聞きは致さんから、モウ神は一限りと致すより仕様は無いぞよ。五年に満ちた大戦争も首尾能く片付き、世界は平和の栄光に輝き、人民は歓喜乱舞をいたして勇んで居れど、是れも夢の間で在るから、未だ未だ大きな戦争が出来て来るから、一日も早く神に縋りて、日本人の行状を致して居らんと、俄に吃驚り致す事が出て来るぞよ。日本も中々安心な処へは行かぬぞよ。腹帯を〆て掛れと申すのは、是からの事であるぞよ。木に日が掛り小里の者が騒ぎ出し、一人の小里の反対が、大変な騒ぎに成るぞよ。其他にも種々の市場が立つて、八釜敷なるぞよ。是も時節であるから、落行く所までは落ち行かさねば仕様が無いぞよ。今千騎一騎の活動を致して神界の御用に立たねば成らぬ時機であるのに、未だ気楽な事を申して、大本の中の遣り方を愚図々々申すものが在るが神界の仕組が人間に判と思ふから、慢心いたして小言を申すのであるぞよ。今度は天からの命令を、変性男子と女子との身魂が戴きて致す事であるから、何程利巧な人民でも学者でも判る筈が無いから、素直に致して、神の申す通りに赤子の心で居りて呉れよと、毎時筆先で知らして在ろうがな。神界の事が人民で判ると思ふて居るのが、夫れが慢神と申すもので在るぞよ。慢神と誤解が大怪我の基に成ると申して在ろうがな。早く心を入れ替て我を捨て神の申す様に致さぬと、取返しのならぬ不調法が出来するぞよ。
播州の上島が神界に深き因縁ありて、瑞の御魂の太古から鎮りて在りた、清らかな霊地であるのに、肝心の者が汚はしい獣の皮や毛で造りたものを持つて参りて汚したから、海上が大変に荒れたのであるぞよ。女子の御詫の徳で一日後れて無事に参拝を許して遣りたなれど、今後はモウ赦さむぞよ。上島は瑞の御霊の許し無しに参りたら大変な事が起るぞよ。肝川の竜神へも勝手に参拝致すと、後になりてから易りた事が身魂に出来て来るから、一寸気を付けておくぞよ。疑ふなら聞かずに行て見よ、其時は何事も無いが後で判る事が出来るぞよ。一度神が申した事は毛筋も違はむぞよ。大○○○部神○○○部チト気を付けて下さらぬと、取返しの成らん事になるぞよ。天災地変は何時の世にも在るものじや、政治、宗教、思想の変遷は、自然の大勢じやと申して油断を致して居ると世の終りの近づきた事が薩張り分らぬ様に成りて了ふて、後で悟悔いたさな成らぬぞよ。天地経綸の主宰者とも言はるる人民が、是だけ日に夜に天地から実地を見せて警告しても心の盲目、心の聾斗りであるから、其れで斯世は暗りじやと申すので在るぞよ。今の世界は一旦は治まりた如うに、表面からは見えるなれど、神の眼からは日に増しに騒がしく成りて居るぞよ。神の知らす内に、チツトは胸に手を当て考がへて見ぬと、互に恥かしき事が今に出来いたすぞよ。今の○○の役員の精神はゴタゴタで在るから、早く改心を致して、小我をほかして、大和心に立帰りて貰はむと、却つて大本の邪魔に成るぞよ。世界統一の神の御用致さな成らん○○の役員信者で在り乍ら、僅かの人民が寄りて居りて、夫れが統一出来ぬといふやうな次第で、堂して神界の誠の御用が勤まると思ふて居るか、判らんと申しても余りで在るぞよ。京都では○の会合所の行り方は、神を松魚節に致す行り方で在るぞよ。村○○の行り方も神の気勘に叶はむから、今の内に改めむと、神から取払ひに致すから、神界から気を付けておくぞよ。此大本は包み隠しの一つも出来ん所であるから、敵味方の区別は致さむぞよ。神の目から見れば、世界に一人も敵は無いなれど、人民が敵に成りたがるので在るぞよ。是からは少しでも間違ふた教を致したり、勝手な行り方を致したら、神界の大変な邪魔に成るから、筆先で遠慮なしに気を付けるぞよ。世界は大芝居に誓へて在りたが、三番叟も初段も済みて、二段の幕が開いたから、一日半時も猶予は成らぬから、神は厭なことでも構はずに厳しく警告すぞよ。自己の事斗りを先に致して、神の御用を序に致す位は未だ愚か、神を看板にいたして居る者も大分出来て居るが、今に目醒しを見せて遣るぞよ。