文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3厳と瑞よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1926(大正15)年10月号
八幡書店版43頁
愛善世界社版69頁
著作集
第五版54頁
第三版54頁
全集355頁
初版40頁
OBC kg034
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本文の文字数1418
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本文
大本の経綸は、経と緯、厳と瑞とによつて御神業が進展しつつあるが、兎角瑞の霊の御神業が役員や信者に分らない為め、御神業進展のため、どの位支障を来たして居るか分らぬ。今でも同じ事であるが、昔に比べると余程仕事がしよくなつて来た。それは役員さんも信者さんも、だんだん向上進歩して、私の仕事について理解をもつて呉れるやうになつたからである。昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い、神様はお急ぎなさるし、私は本当に困つた。家の者に手伝をして呉れるものは皆無だし、せめて角な字の読める人が欲しいと思ひ、苦しい手許の中から、月々二十円余りも出して或人を学校にやつて卒業させた。やれこれで些し読み書きの方の助手が出来たから仕事を初めやうと思ふと、又皆で矢釜敷う云ふて傍に寄せつけないやうにして仕舞つた。其頃の私は目もよかつたし、活字なんかも一人で拾うたが、せめて誰か一人助手が欲しいと痛切に思つた。けれど漢字を読むものが私の傍によると、すぐ悪魔扱ひをして退けて仕舞ふのだから仕方が無い、その頃の事を思へば今は何と云ふても結構なものだ。綾部の御神苑を建設するについても妨害ばかり受けたものである。私は教祖様のお頼みで池を掘らうと思ひ、地所を買うておいた、そしてそれを清める為めに二三年草を生やして放つておいた。さうすると二代が怒つて「勿体ない、こんな荒地にしておいては神様の御気勘に叶はない」と云ふて大根や葱を植え人糞肥料をかけて汚して仕舞ふ。私が抜いておくと又植える、こんな事ばかりして些つとも思ふやうに行かなかつた。「よく訳を仰有つて、理解してお貰ひになりましたら、二代様も決してそんな事遊ばさなかつたでは御座いますまいか」と云ふのか……。それを云へば神様の御経綸に邪魔が入るでは無いか、悪魔のさやる世の中、饒舌家の多い世の中だ、其地が神苑になるのだと分かれば忽ち地所の価格も騰貴するでは無いか、まだまだ次へ次へと買収して行かなければならないのだから、不如意の大本の経済としては此点を十分考慮せねばならぬ。それだから、妻にも子にも誰にも云へないのである。
又今の綾部小学校の前の敷地には小松の苗を植えておいて、神苑の出来上つた頃移植する計画を立てておいたのだが、其頃は苗一本が三厘か、四厘しかせなかつた。いよいよ神苑が出来上つて、植木が必要となつた頃には可なり大きくなつて居て、一本も買はずに済んだのだが、私の此胸中を知らぬ二代は又「猫の額ほどの所へも食物を植えよと御神諭にあるのに、こんな松苗なんか植えといてはどもならぬ」と云うて抜いて捨てて仕舞ふ。私は又植えてやる、また抜く、かうして二代と始終暗闘を続けたものだ。「さういふ御戦ひを、教祖様はどうお扱ひになりましたか」と聞くのか、教祖様はいつも「先生のなさるままにしておけ」と仰有るのだけれど、二代が「それでも御神諭にはかういふ風に出て居ます」と申上ると「成程さうだな」と云はれて、私に向つて怒られ、松苗を皆抜いて仕舞ふやうにと云はれる。私は答へて「私は神様の仰せの通りにして居るのです。貴女は知られないでも貴女の神様はよく知つて居られます。聞いて来なはれ」と云ふと教祖様は御神前に額づいて伺ひを立てられ「神様は先生の思ふ通りにさしておけと仰有る」と云はれ、それでおしまひになる。こんな事は度々あつた。