文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3神的順序と事務的順序(人的順序)よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1927(昭和2)年05月号
八幡書店版159頁
愛善世界社版41頁
著作集
第五版88頁
第三版88頁
全集376頁
初版75頁
OBC kg073
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本文
神は順序にましますと云ふのは神的順序にましますと云ふ事であつて、事務的順序即ち人的順序の謂ひではない。近頃この二つを混同して、何も彼も順序順序と云つて、事務的順序を立てる事を神の御意志のやうに誤解して、彼の事業は誰の手を経なかつたから甘く行かぬと云ふやうな事を云ふものがあるのを聞くが、大なる誤解である。神的順序を違へると云ふのは、明日必ず行きますと約束をしておきながら、突然今日来ると云ふやうな事をするのを云ふのである。神様はどこ迄も正しくゐらせられて、嘘や佯りと云ふ事を決して許されぬ。時間的に今日の仕事、明日の仕事とちやんと定まつて居るのを、約束を破つて突然来ると時間の順序と云ふものが全く狂つて来る、神様は如何なる事があろうとも、四季の順序を決してお違へにならぬ如く、人間も神様に習つて今日すると定まつた事を明日に廻したり、明日と定まつた事を今日に取越してはならぬ。私は文章を書いても書き損ひと云ふ事をせぬ。一枚の原稿用紙を書くにも、それぞれ時間と云ふものを要して居る、其時間と云ふものは再び来るものでないから、それを書き直すと、神的順序を乱る事になる。どんなよい文章でも神的順序を誤つて居ては神の思召に叶はないから、人を感動さす力が薄いものである。四季の推移を考へて見るがよい。いつも云ふ通り神様は春桜花の色が悪かつたので夏も一度やり直すと云ふ事は決してなさらない。もしそんな事があつたら、それこそ大変である。其如く人間も順序を違へてはならぬのである。さういふ事を神的順序を守ると云ふのであつて、私の命じた仕事に対し、誰の手を経ないでした仕事であるから成就しないなどと云ふのは、神的順序と事務的順序の区別をわきまへぬものである。云ふておくが私の命じた事、云ふた事は、其時すぐ其通りせねば駄目である。それから私は大正十三年の節分祭に当つて演説しておいた。私の仕事については、総裁や、瑞祥会長の手を経ないで、直接分所長、支部長に命ずる場合がある。時には又唯の信者に突然ゆく事がある。私は誰にでも便利のよい人に命ずるのである。命ぜられた人がやつたらよいのである。繁文縟礼、誰れの手を経なければならぬと云ふやうな事はない、天恩郷の建設、別院の設置等は私の仕事であつて瑞祥会の仕事でもなければ大本の仕事でもない、と同時に分所支部に関する事務は瑞祥会の仕事であつて私の仕事ではない。