文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3断食の事よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1928(昭和3)年01月号
八幡書店版162頁
愛善世界社版34頁
著作集
第五版127頁
第三版127頁
全集402頁
初版117頁
OBC kg104
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本文
食すべき食物が豊富にある時、断食しても、それは断食にはならない、宣伝にいつて食するものが無かつたり、忙しくて食事する間が無くて、食べたり食べなかつたりする場合が真の断食になるので、それが三度続けば一日分断食した事になるのである。それがおかげである。
昭和二年十月或日の事、筆者は聖師様のお伴して大阪の某会社に参りました。会社では附近の土地の御検分を願ふ為めにおいでをお願ひしたのでした。午前十一時頃お着きになりましたので、会社側では御中食を差上るとて、其事を申出られました。聖師様は軽く「御飯は済まして参りました、どうかお構ひなく」と断わられました。実は聖師様もお食事はしては居られず、随員達も頂戴しては居りませんでした。それから電車にのせられ、下車して一里ばかりの山道を歩かされました。晩迄には可なりお腹がペコペコになつて参りました。晩餐の後聖師様は上記のお話をして下さいまして「皆さん今日は定めしお腹が空いたであらう。実は皆さんに断食をさしてやらうと思つて、態とにああ云うて断つたのだ、皆さんはおかげを貰ふた」とお話し下さいました。随員一同深く御神恩を感謝いたしました。聖師様はつづいて仰せられました「假令断食しても、神様の御為め働かして頂くと云ふ決心をして一ケ月間其誠を致せば、神様はその赤誠を嘉したもふて、其後きつと結構にして下さる。一ケ月の断食と云ふのは引続いて一ケ月断食すると云ふやうな苦業ではなく、一日食べん日があつたり、二日食べん日があつたり、それが積つて一ケ月になると云ふ事なので、それも前云ふ通り自分の我でしては断食にならぬ。窮乏して食物が無くなつて、食べやうにも食べられないやうになつたり、草を褥の旅枕、宣伝の旅にのぼつて、金は無くなり、食物を与へて呉れるものもないで止むを得ず、断食すると云ふやうなので無ければ、神様から認めらるる断食にはならぬのである。