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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3至誠と徹底よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1929(昭和4)年05月号 八幡書店版184頁 愛善世界社版 著作集 第五版69頁 第三版69頁 全集496頁 初版50頁
OBC kg292
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本文  如何なる仕事にても、完成せしめんとするには、至誠と徹底が必要である。天下を三分五厘でうかうかとしては、真の成功は出来るものでは無い。不世出の大英雄ナポレオンが、或る時、其頃名の知られた鍛冶工を招いて「汝我為に如何なる銃丸も貫き得ざる甲冑を造らば、金一千万フランを払ひ与へん」と命じた。召集せられた三十余名の鍛冶工は、直ちに製作に取掛り、七十余日間の後、何れも是を製作して君前に持参した。さうして得意の色を満面に浮べて、一千万フランを貰ふべく眼付きを据えて控へて居た。そこへナポレオンが現はれ、何万といふ臣下の兵士を集めて「是を着て見よ、何れの製作が完全なのか、一々之を試してみるのだ」と言つて短銃を腰間から取り出して起つた。サア斯うなると君命は熱火も辞せぬ、身命は何時でも君主に捧ぐといつて、大いに忠臣振つていた何万の兵士どもは、顔色を変じて一人も君前に進み出る者は無い。三十余名の鍛冶工も、是に応ずるものが無い、一つ間違つたら一命は直ちに飛んで了ふのである。彼等は只々見えの良い物を製作して、一千万フランの金が欲しいより外には念慮の無い者許りであつたのだ。ナポレオンは兵士の意気地無いのと、鍛冶工の自信の無いのに、火の如うになつて怒り出した。そこへ末席に控へて居た、一人の青年鍛冶工が進み出で「私が其任に当りませう」と言つて、従容として自分の製作した甲冑を環らした。それを幾万の兵士と、三十余名の鍛冶工は、如何になるものだらうかと、瞳を円うして凝視して居た。ナポレオンはピストルを以て一発之に中てた、銃丸は見事にはぢかれて、空中に飛散した。そこで再び兵士の携ふる所の銃を取つて射た、矢張貫く事が出来ない。ナポレオンは更に左右に命じて巨砲を輓き来らしめ、是を試みんとした。傍に居る人々は、手に汗を握つて恐る恐る見て居た。ナポレオンが今や砲身を開かんとする刹那も、青年鍛冶工は猶従容として顔色も変へぬ、彼れ青年鍛冶工は、如何にせば君王の身を護るの甲冑を製作し得るか、如何にもして、完全なる甲冑を製作せんと、日夜寝食を忘れて、唯君王を思ふの忠誠心、彼が全身に充満し、誠心誠意、利害を離れて七十余日の丹誠を凝らし、製作に勉励したのであつた。故に如何なる巨砲と雖も、之を貫く事能はず、といふ自分の製作に大なる自信を持つてゐたからである。そこでナポレオンは、彼が態度の厳然たるを見て、大に感じ「甲冑の堅き事、汝の態度を見て知るべし、又試みるを要せず」と言つて三千万フランの賞金を与へたといふ逸話がある。此の青年鍛冶工は、実に其作品に全生命を篭めて居たのである。
 人生は要するに一個の戦場であり、吾人の生活は真剣勝負である。宜い加減に胡麻化して行けるべきものではないのである。
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