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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3模型を歩むよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年04月号 八幡書店版87頁 愛善世界社版 著作集 第五版126頁 第三版126頁 全集533頁 初版102頁
OBC kg337
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本文  私は明治三十一年二月、高熊山修行中、重要なる世界の各地を皆見せて貰つたが、其有様はかうである。神使に導かれてある大きな室に入つて行くと、今弥勒殿にかかげてあるやうな、大きな地図がかかつて居る。神使は或る地点を指さして、其処は、某地点であるといふ事を示される。次に他の室へ導かれて入つて行くと、其地点の大きな模型が備へつけられてある。神使は一々詳しく説明して下さつた。だから私は其地点を踏まないでも、実際行つたと同じやうに知つて居るのである。前にも言うた通り、第一番に天教山の富士山、次に信州の皆神山、それから次々諸所方々へつれて行かれたのであるが、飛騨の山奥などには前人未到の神秘境がある。一度はそこへも行かなければなるまいと思つて居る。今でも必要があつて此地点を見度いと思ふ場合にはさつと地図がかかり、模型が出て来る。模型と言うても実際歩く事が出来るほど大きなものである。
 此お話を承はつて思ひ起すことがあります。年月日をハツキリ記憶いたしませんが、東京上野公園で博覧会が開かれて居つた時の事です。
 霊界物語筆録者や近侍達が数人よつて博覧会の事を話し合つて居ました。誰かが「行つて見度いなあ」と申して居るのを聞きつけて奥から出て来られた聖師は「行つてもつまらんぜ、私は三度ばかり行つて来たが、見るべきものは無かつた。それに建築が粗雑で、高い塔などは少しひどい風が吹けば引つくりかへつて仕舞ふやうな危なかしいものである」と申されましたので一座は顔を見合せ思はず笑ひ出しました。足一歩も、綾部、亀岡を出られないで、三度行つて来た、塔が危険だなぞと幾何聖師様でもをかしい、とは言ひ出さないが、各自心の底にはかういふ思ひが浮んで居たのでせう。勿論霊眼で見られる事は百も千も承知してゐる連中ですが、それでも透視したとは言はれずに行つて来たと言ふこのお言葉が異様に響いたからです。今模型云々のお話を承はつて、成程聖師様は実際に模型を霊体で歩かれたのだなあ、と存じました。それから間もなく東京の新聞は、大風起りこの高い塔が壊れた事を報道いたしました。又聖師は霊界の出来事と現界の出来事と混同して話されるのではないかと思ふ事が極くたまにはありますので「夫れ此間こんな事があつたではないか」と申されても誰も知らぬ事が往々あります。
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