文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3嗚呼既成宗教よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年09月号
八幡書店版273頁
愛善世界社版
著作集
第五版165頁
第三版165頁
全集560頁
初版138頁
OBC kg364
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1116
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
人類の祖先と称するアダム、イヴが神様の禁制の智慧の果実を、神意に反いて採食した罪悪の報いに由つて、其子孫たる世界の人類は開闢の始めより今日に至るまで、祖先の罪悪の血を受けてゐるので、残らず大罪人、所謂罪の子として生れて来てゐるから、地獄に其霊魂を落され、消えぬ火に焼かれて無限の苦悩を味はふ可きものである、その惨状を全智全能にして絶対の権威に坐まし無限愛なる神は甚たく憐れませ玉ひて、最愛の独り子たるイエスを現世に降し十字架に釘付けて之を殺し、キリストの名に由つて天帝に祈願するもののみ之を天国に再生せしめ給ふと説くのが既成宗教キリスト各派の教理である。
以上の如き教理は数千年以前の人智蒙昧なる野蛮時代に於ては、多少の脅嚇も胡麻化しも効力があつたであらうが、現代の如く不完全ながらも、科学の進歩に向ひつつある時代には何人と雖も常識を具へたる者に信ずる者の無いのは当然過ぎる程当然の帰結である。
精神上に大なる欠陥ある者か、癲狂痴呆の徒にあらざる限りは、之を信ずる事は出来ない筈である。誠に思へ、現今の如き矛盾と欠陥の多い自己愛のみの社会に生れた現行刑法即ち神ならぬ凡人の造つた法律でさへも、祖先又は父母兄弟が大罪を犯したとしても、其子孫又は弟妹にまで罪を科すると云ふような不合理は施行しないのである。况んや全智全能であつて、愛の本体とも称する神が、祖先の罪を何十万年末の子孫にまで及ぼし、之を地獄に投ずべき理由は無い筈だ。万々一左様な分らず屋の神ありとすれば夫れは世界の大魔神であつて吾々人類の赦す可からざる敵として此の宇宙から宜しく放逐すべきである。
然るに、現代の立派な紳士と言はるる人の中にも、こんな不合理な不徹底な教理、否狂理を信じ、斯かる没分暁漢の魔神に憐れみを乞ひ、赦されん事を祈り、安心立命を得んとするは、木によりて魚を求めんとするにもまさつた愚劣さであり卑怯さである。
文化の進んだ二十世紀の現代には、既に已に大部分の人民より捨てられて居るのは当然である。既成仏教もまた、キリスト的の脅嚇や胡麻化しがあつて、是とても既に已に宗教としての価値は認められない。仏教の大乗部は別として、小乗部の教理なぞは婆々、嬶だましの世迷言である。数千年以前の人智未開の世に適した宗教の教理を、今日に施行せんとするのは、三冬厳寒の頃に用ゐた綿入着物を土用三伏の酷暑の時代に着用せよと教ゆると同様にして、愚の骨頂である。
斯かる教理を、臆面もなくまことしやかに説いて居るその野呂さ、迂愚さと言つたら、到底論ずるの価値さへもなきものである。
斯くして既成宗教の各派は日に日に破産して行くのである。滅亡の淵に向つて直進しつつあるのである。