文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3蟇目の法よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1929(昭和4)年10月号
八幡書店版132頁
愛善世界社版
著作集
第五版202頁
第三版202頁
全集581頁
初版169頁
OBC kg392
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本文
綾部、亀岡両聖地の建造物は皆蟇目の法によつて天柱に繋いであるのである。であるから地震が揺れば自然と地上を離れて浮き上り、風が吹けば地上に固定して動揺せぬ。かくて安全に保たれて行くのである。ミロク殿などは大きいから随分繋ぐのに困難であつた。此度天恩郷に建てた智照館(写真館)は撮影上、どうのこうのと人間的の条件が多くて、私の命令通りにして無いから繋ぐのに非常に困難を感ずる。家の方向、位置など、皆此天柱に繋ぐ便宜を考へて私が指揮命令するのだから、その通りにして呉れねばならぬ。人間はこういふ神秘な事実を知らないで居て、かれこれと申分が多いが困つたものである。この蟇目の法を修するには、深夜人の居ない時でなければならないので、繋いで居る最中にもし人が通ると、それが為に法が破れて仕舞ふのである。だから私は深夜人の静まつて後、この法を修するのであるから誰も知つてゐるものはない。又私が日本国中を隅から隅まで旅行するのは、一つはこの国土を天柱に繋ぐ為である。お前達は傍に附いて居ても知つては居まい。綾部には天の御柱が立ち、天恩郷には国の御柱が立つて居るのである。それで綾部の本宮山を鶴山と云ひ、天恩郷を亀山と云ふのであつて、鶴は天のもの、亀は地のものである。
昭和四年九月二日、筆者は小恙ありて早く寝床に入つて居りました。夜も十時と覚しき頃、表で聖師様の御声がしましたので、急ぎ起き出でて戸を繰つて御挨拶の為め外に出ようと致しました。すると厳なるお声で「出てはいけない」と仰せになりまして、大祥花壇の西北の隅、祥明館のすぐ前で棟を上げた斗りの智照館を睨んでキツと立つて居られました。そして其傍を通る人々に「そこへ来るな」と大きな声で命令されて居りましたが、通つて居る人は何のことか分らず、ドギマギして、却つて反対に聖師様と智照館との間を迂路つきましたので、「そちらへ、そちらへ」と叱咤して居られました。しばらくして又月照山の西側に立つて、南からジツト智照館を睨んで立つて居られました。斯くの如き事約二十分間、やがて祥明館で少憩せられ「人が通つて蟇目の法が汚され、破れて仕舞つた、矢張り深夜でなくては駄目だ、やり直しだ」と仰せられて上記のお話がありました。せられた事は分りませんが、蟇目の実地を目撃させて頂きましたので、此処に附記さして頂きます。