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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3頭槌石槌よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-04-28 23:29:04
神の国掲載号1930(昭和5)年05月号 八幡書店版351頁 愛善世界社版 著作集 第五版246頁 第三版246頁 全集609頁 初版209頁
OBC kg430
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本文  昭和五年四月十一日の事、静岡の長沢翁の紹介状をもつて宗教博に王仁を訪ねて来た人がある。白出柳助氏といつて、考古学に趣味を持つて居る人であるが、今を去る事約二十年前、青森県中津軽郡の或地点で、林道開墾の際発見したといふ珍らしき石器一個を携へ来つて、私に鑑定をして呉れと云ふ、元来この石器は京都、東北、北海道の各帝国大学、並に東京、京都の両博物館にて鑑定を請うたが、何物か一向に分らず、斯道の専門家も絶えて之を知らず、何処に於て如何なる民族が用ゐしものなるか、其用途も分らず、欧米各国に徴するも、其類例さへも存せずと云ふのである。これをもつて、日本中唯一無二の逸品として学術界に珍重せられて居る、と云ふのであつた。形は裁ち物包丁に似て長さ一尺余、茶褐色の滑かな石質、上部は平面にして側面に溝あり、溝のつくる所に一個のイボの如きものあり下部は筒形をして居る。
 之は頭槌石槌と云つて、太古帝王又は神柱が佩びて居たものである。武器ともなり又は病気などを癒す道具として使用したものである。其使用法は、イボをもつて敵の眉間を打つて倒したものである、だから敵を斬るのをうつといふ事になつたのである。又上部の扁平なる部分は熱灰につけて熱し、其溝のところをちりげより脊柱に添うてあてて病気を癒すので、たとへば灸点の如き働きをなすのである。私が霊界物語を口述してゐる際、霊眼に映ずる昔の主なる宣伝使は腰に之をさして居るので、それに擬して私も宣伝使達に御手代を渡しておいたのである。古事記中巻神武天皇の一節
 「かれその土蜘蛛を打たんとすることを明かせる歌
忍坂の 大室屋に 人さわに 来入り居り 人さわに 入り居りとも 稜威稜威し 久米の子が 頭槌石槌以ち 撃ちてし止まむ みづみづし久米の子等が 頭槌 石槌もち いまうたばよらし。
かく歌ひて刀を抜きて、もろともち打ち殺しつ。」
 この歌の中にある頭槌、石槌がそれである。大学あたりでは模造してもつて参考にして居るし、嘗ては天覧に供した事もあると白出氏はいうて居るが、何分とも稀代の珍器たるを失はない。
聖師より白出氏に贈られし歌

 古の聖の岐美の佩せましし
  今日頭槌石槌拝む
 千早振神代のさまのしのばれぬ
  雄と仁との石槌みし
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