文献名1三鏡
文献名2玉鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3天眼通に就てよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年11月号
八幡書店版117頁
愛善世界社版173頁
著作集
第五版210頁
第三版213頁
全集
初版178頁
OBC kg655
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本文
王仁の霊眼を二六時中見えて居るもののやうに誤解して居る者があるが、それは違つて居る。現界の事物だけ見て居つても沢山なのに、霊界まで始終見えて耐まるものでは無い。唯王仁が何処を見たい、彼処の事を知り度いと思ふ時、神様は何時でも見せて下さるのである。例へば今お前の履歴を知り度いと思へば、それと同時にお前の後に当つて、活動写真の如く一代記が現はれて来るのである。それだから王仁は別段人の経歴なんか聞く必要がないのである。初めての訪問者などが一生懸命に誇張して自己紹介をして居ると、其後に全く反対現象が現はれて来る時なんか、王仁はをかしくて思はず失笑する事がある。王仁を瞞さうとするのは無理である。が王仁はさうした努力をして居る人を見ると気の毒になつて来るので、暫くの間瞞されて居てやるのである。其人が自然に悟るまでな……。或時にさもさも善人らしく自己紹介をやつて居る人の後に、殺人の場面がありやかに現はれて来たのには一寸驚かされた。だが心の鬼にせめられると見えて、其人は着かず離れずといふ程度ではあるが、信仰に入つて以来、神様を一生懸命拝んでゐるやうだ。やがて罪の贖ひが出来た時は立派な人として更生するであらう。王仁の霊眼は活動写真と云ふよりもトーキーの方だな、声も聞えて居るのだから。名所旧蹟などへ御案内しませうなど云はれると、おつきあひに行かぬ事もないけれど、ベツドの上に横はつて見て居る方が便利である。又お前達の行動は、守護神さんが報告に来られるから、霊眼で見るまでもなく、よう知つて居る。