文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正4年旧12月2日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1916(大正5)年1月6日(旧12月2日)
神霊界掲載号大正6年3月1日号(第45号) 25頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 113頁
七巻本第1巻 11頁
五巻本未調査
三五神諭第24章(霊界物語第60巻「三五神諭」の章)
東洋文庫天の巻50頁
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os002
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本文
大国常立尊変性男神の身魂が、皇威発揚の神と現はれて、三千世界の三段に別けて在る御魂を、夫れ夫れに立替へ立別けて、目鼻を付けて、先ず是で楽じゃと申すやうに成るのは、大事業であるぞよ。二度目の世の大革正は、戦乱と天災とで済むやうに思ふて、今の人民はエライ取違いを致して居るなれど、戦争と天災とで人の心が直るのなら、埒能う出来るなれど、今度の世の立替は、其んな容易い事でないぞよ。昔から立替は在りたなれど、臭い物に蓋をした様な事ばかりが、仕て有りたので、根本からの動きの取れん立替は、致して無いから、これ迄のやりかたは、御魂は猶ほ悪くなりて、総曇りに成りて居るから、今度は一番に、霊魂界の世の二度目の立替であるから、何に付けても大望であるぞよ。是程曇り切りて居る、三千世界の身魂を、水晶の世に致して、モウ此の后は曇りの懸らむやうに、万古末代世を持ちて行かねば成らんから、中々骨の折れる事であるぞよ。
天地の大神の思ひと、人民の思ひとは、大きな違ひであるから、何に付けても、今度の仕組は、人民では汲み取れんぞよ。人民一人を改心させるのにも、中々に骨が折れようがな。今度の二度目の、世の立替へは、昔の初まりから出来て居る、霊魂の立替立直しで在るから、悪い霊魂を絶滅にして了ふてするなら、容易く出来るなれど、悪の霊魂を善へ立替て、此世一切の事を経綸策を替へて、神法かへて、新つの世の純粋の、元の日本魂に仕て了ふのであるから、今の人民の思ふて居る事とは、天地の大違ひであるから、毎度筆先で気を付けて在るぞよ。
あやべの大本の中には、世界の人民の心の通りが、皆にして見せてあるぞよ。大本は世界の鏡の出る処で在るから、世界に在る実地正末が、皆にさして見せて在るから、色々と心配を致して居るなれど、何んなかがみも仕て見せて在るから、世界が能く成る程、この大本は善くなるぞよ。今ではモチト、何事も思ふように無いのであるぞよ。
世界の事が、皆大本に写るから、夫れで此の中から、行状を善く致さんと、世界の大本と成る、尊い処であるから、何事も筆先通りに為して行かねばならんぞよ。是迄の世のやりかたは、日本の国では用ゐられん、外国の極悪のやりかたに、変りて了ふて居るのを、盲目聾者のやうな日本の人民は、知らず知らずに、させられて居りたので在るから、分からんのは最もの事であるぞよ。日本の加美が抱き込まれて、加美の精神が狂うて居るのであるから、人民が悪ふ成るのは当然であるぞよ。
モ一とつ此の先を悪を強く致して、この現状で世を建てて行く、どいらい仕組をして居るなれど、モウ悪の霊の利かむ時節が循環てきて、悪神の降服いたす世になりて来たから、我の口から我が企みて居りた事を、全然白状いたす世になりたぞよ。
天地の御先祖さまを押籠めて置いて、此の世に恐いもの無しで、元の大神様の、光輝の出ぬやうに致した、極悪の頭目で在ると言ふ事を、何も白状致して、善へ立返りてどんな活動でも致すと申して居るなれど、…………
外の御魂が一平らに悪になり切りて居るから、是を善一とつの道に歩まして、世を立直すのは、元の世界を創造るよりも、何程大きな骨が折れるか知れんぞよ。
この大望な三千世界の立替へを、小さい事に取りて、大神の力に成る守護神はないぞよ。これほどウジャル程守護神は在りても、皆思ひが違ふから、何彼の事が遅くなりて居るぞよ。遅くなるほど、世界中が難渋となりて、後へも前へも、手も足も取付く島も無くなるぞよ。
世界の御魂が九分まで悪に化りて、今まで世を持荒して来た守護神に、改心の出来かけが、何の様にも出来んから、神も堪忍袋を切らして、一作に致せば八九分の霊魂が無く成るし、改心致さす暇がモウ無いし、是程この世に大望な事は、昔から未だ無い、困難な二度目の世の立替であるのに、何も分らぬ厄雑神に使はれて居ると、何も判らんぞよ。
まことの行も致さずに、天地の先祖を無視して、悪のやりかたで世界の頭になりて、此先きを悪をモ一つ強く致して、まぜこぜで行りて行ことの、初発の目的通りに、此所まではとんとん拍子に面白い程上りて来たなれど、此日の本には、神の深い経綸が、世の元から致して在りて、日本の仕組通りに九分九厘まで来たぞよ。
悪神の仕組も、九分九厘までは来たなれど、モウ輪止りとなりて、前へ行く事も出来ず、後へ戻る事も出来んのが現今のことであるぞよ。仕放題の我好しの行方で、末代の世を悪で建て行ことの目的が、今までは面白い程のぼれたなれど。
日本の国には、チット外の御魂には判らん経綸が為てあるから、人も善し我も善し、上下揃ふて行かねば、国の奪り合いを為るやうな見苦敷性来では、世は永久は続かんぞよと申して、筆先に出して気を付けてあるぞよ。斯世は、善と悪とを拵へて、何方で、この世が立つかと言ふことを、末代続かせねば成らん世であるから、何事も天地から為してあるのであるから、我が為て居るのなら、何事も思ふたやうに行けんならんのに、何ふしても行けんのが、神から皆為せられて居る証拠であるぞよ。善の道は、苦労が永いなれど、此の先は末代の世を続かすので中々に念に念が入るぞよ。
仏事は悪のやりかたで在りたぞよ。モウ是からは、仏では治まらんぞよ。
善の行は永いなれど、善の方には現界幽世に何一つ知らむ事の無い様に、世の元から行が為してあるから、此の先は悪で仕放題に行無しに出て来た守護神が辛くなるぞよ。如何な事も為ておくと、何事も堪れるなれど、行無しの守護神に使はれて居ると、世の終ひの初まりの御用は勤まらんぞよ。善と悪との変り目であるから、悪の守護神はジリジリ悶へる様になるから、一日も早く改心致して、善の道に立帰らねば、モウこれからは貧乏動ぎも為さんぞよ。善の守護神は、数は尠ないなれど、如何な行も為してあるから、サア今と云ふ様に成りて来た折には、何程烈しきことの中でも、気楽に神界の御用が出来るから、一厘の御手伝いで、日本の世の大本には、肝心の時に間に合ふ守護神が拵へて在りて、世界の止めを刺すのであるから、日本の国は小さうても、大きな国には負けは致さんぞよ。日本は、世界から見れば、小さい国であれど、天と地との、神力の強い本の先祖の神が、三千世界へ天晴と現はれて、御加勢あるから、数は少なうても、正味の御魂ばかりで、何んな事でも致すぞよ。何程人数が多くても、何の役にも立たぬ蛆虫斗りで、善い事は一つも能う為ずに、邪魔斗りを致すから、世界の物事が遅くなりて、世界中の困難であるが、未だ気の付く守護神が無い故に、何時までも筆先で知らすのであるぞよ。
天地の御恩も知らずに、利己主義で茲まで昇りつめて来た悪の守護神に、改心の為せかけが出来んので、何事も遅くなりて、総損害に上から下までの難渋となるから、明治二十五年から今じゃ早じゃと申して、引掛戻しに致して気の付く様に知らしても、元からの思ひが大間違で在るから、世界の立替の九分九厘と成りた処で、ヂリヂリ舞ふ事が見え透いて居るから、気を付けるぞよ。
天地の先祖の、思ひの判りて居る守護神と、人民は、今に無いぞよ。是程暗がりの世の中へ、世の元の正末の水火神が揃ふて表はれても、恐い斗りで腰の抜けるものやら、顎が外れて早速には物も能う言はん様な守護神や、人民が沢山出来る斗りで、神の目からは間に合ひさうに無いぞよ。
判りた御魂の宿りて居る肉体でありたら、何んな神徳でも授るから、斯神徳を受る御魂に使はれて居りたら、一荷に持ん程神徳を渡すから、其貰ふた神徳に光りを出して呉る人民で無いと、持切りに為ては天地へ申訳が無いぞよ。