文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治38年旧4月16日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-07-18 06:52:50
年月日1905(明治38)年5月20日(旧4月16日)
神霊界掲載号大正6年8月1日号(第50号) 4頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 320頁
七巻本第1巻 232頁
五巻本未調査
三五神諭第23章(霊界物語第60巻「三五神諭」の章)
東洋文庫天の巻36頁
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os041
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本文
艮金神国常立尊出口の守と現れて、二度目の天の岩戸開きを致すに就ては、昔の世の元から拵らへてある、因縁の身魂を此大本へ引寄して、夫々に御用を申付けるぞよ。今度の御用は因縁無くては勤まらんぞよ。先に成りたら金銀は降る如くに寄りて来るから、そうなりたら我も私もと申して金持って御用さして下されと申て出て来るなれど、因縁なき身魂には何程結構に申しても一文も使ふ事は出来んぞよ。是から先になると金銀を積んで、神の御用を致さして欲しいと、頼みに来るもの斗りで在れど、一々神に伺い致してからで無いと、受取る事は成らんぞよ。この大本は金銀に目を掛る事は相成らんから、何程辛くても今の内は木の葉なりと、草なりと食てでも、凌ぎて御用を致して居りて下さりたら、神が性念を見届た上では何事も思ふやうに、金の心配も致さいでも善きやうに守護が致してあるぞよ。今が金輪際の叶はん辛いとこで在るから、茲を一つ堪りて誠を立抜きて下さりたら、神が是で善いと云ふやうに成りたら、楽に御用が出来るやうにチャンと仕組てあるから、罪穢のある金は神の御用には立てられんぞよ。
いつも筆先で気を附けて在るが、此大本は艮金神の筆先で世を開く処であるから、余り霊学斗りに凝ると筆先が粗略になりて、誠が却って解らんやうに成りて、神の神慮に叶はんから、筆先を七分にして霊学を三分で開いて下されよ。帰神ばかりに固ると最初は人が珍らしがりて寄りて来るなれど、余り碌な神は出て来んから、終には山子師、飯綱使、悪魔使と言はれて、一代思はくは立んぞよ。思はくが立ん斗りか、神の経綸を取違い致す人民が出来て来て、此の誠の正味の教をワヤに致すから、永らく変生女子に気を附けて知らしたなれど、今に霊学が結構じゃ、筆先ども何に成ると申して一寸も聞入れぬが、どうしても聞かな聞くやうにして、改心さして見せるぞよ。神の申す事を叛いて何なりと行りて見よれ、足元から鳥が飛やうなビックリが出て来るぞよ。世間からは悪く申され、神には気障と成るから、何も成就いたさずに大きな気の毒が出来るのが、見え透いて居るから、其れを見るのが憐然なから、毎度出口の手で神が知らせば、肉体で出口直が書くのじゃと申して御座るが、茲しばらく見て居りたら解りて来て、頭を逆様にして歩行んならん事が出来するぞよ。変生女子は帰神で開きたいのが病気であるから、一番にこの病気を癒してやるぞよ。心から発根と癒せば宜いなれど、如何しても聞かねば激しき事をして見せて、眼を開けさしてやるぞよ。狐狸野天狗なぞの霊魂に弄びに仕られて、夫れで神国の御用が出来ると思ふのか。夫れでも神国の人民じゃと思ふて居るのか。畜生の容器にしられて夫れを結構と思ふのか。神界の大罪人と成りても満足なのか。訳が判らんと申しても余りであるぞよ。斯うは言ふものの、女子の霊魂は何時も申す通り、世界一切の事が写るのであるから、此大本へ立寄る人民は女子の行りかたを見て、世界は斯んな事に成りて居るのかと改心を為るやうに、神から女子の身魂が拵らへて在るのであるから、誤解をいたさぬやうに御蔭を取りて下されよ。他人が悪い悪いと思ふて居ると、全部自分の事が鏡に写りて居るのであるから、他人が悪く見えるのは、自己に悪い処や霊魂に雲が掛りて居るからであるから、鏡を見て自己の身魂から改心いたさす様に、此世の元から変生女子の霊魂がこしらへて在りての、今度の二度目の天の岩戸開きであるから、一寸やソットには解る様な浅い経綸で無いから、改心いたして身魂を研くが一等であるぞよ。世の元の誠の生神は、今迄は物は言はなんだぞよ。世の替り目に神が移りて、世界の事を知らせねば成らぬから、出口直は因縁ある霊魂であるから、憑りて何事も知らせるぞよ。世が治りたら神は何も申さんぞよ。狐狸や天狗ぐらいは何時でも誰にでも憑るが、この金神は禰宜や巫子には憑らんぞよ。何程神憑に骨を折りたとて、誠の神は肝腎の時でないと憑らんぞよ。何も解らん神が憑りて参りて、知った顔をいたして種々と口走りて、肝腎の仕組も解らずに世の立替の邪魔をいたすから、一寸の油断も出来んから、余程審神者が確固いたさんと大きな不首尾が出来するから、厭がられても世界中が大事であるから、不調法の無いやうに気を附けてやるのを、野蛮神が何を吐す位により取りて呉れんから、誠に神も出口直も苦労をいたすぞよ。神憑で何も彼も世界中の事が、解るやうに思ふて居ると、全然了見が違ふぞよ。神の申す中に聞いて置かんと、世間へ顔出しが出来んやうな、恥かしき事が出来いたすぞよ。この神一言申したら何時になりても、一分一厘間違いはないぞよ。髪の毛一本程でも間違ふやうな事では、三千年かかりて仕組んだ事が水の泡に成るから、そんな下手な経綸は世の元から、元の生神は致して無いから、素直に神の申す事を聞て下されよ。世界の神、仏事、人民を助けたさの永らくの神は苦労であるぞよ。誰に因らず慢神と誤解が大怪我の元と成るぞよ。