文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治32年旧4月22日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1899(明治32)年5月31日(旧4月22日)
神霊界掲載号大正6年11月1日号(第53号) 7頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 459頁
七巻本第3巻 30頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻87頁
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os080
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本文
足立殿に任して置いては、中々金神は表には成らんから、此事は大望で在るから、誠の人に世話だけ致して貰ふのじゃぞよ。兎ても一人や二人で、シャチに成りても行かんぞよ。この事は神が仕組いたして在る事であるから、其方へ行きて世話に成りたら、心配は致さいでも宜いぞよ。此事は遠国から開けると申して在ろうがな。早う表へ出て守護をいたさんと、物事が遅くなりて、世界の人民が永う苦しむぞよ。表に成りたら神激しくなりて、人民は善くなるぞよ。陰からの守護は神力が薄いから、陽になりて助けるぞよ。仕事も致さずの信心は、斯神は嫌ふぞよ。信心は業務の間暇に出来るぞよ、出口直に是だけの御用をさしたが、六年程は仕事の間暇にさしたぞよ。
上田茂頴明治三十二年二月十日、出口開祖に初めて送りたる文
(一) 真の神の僕上田茂頴は、丹波国船井郡園部村黒田に在りて、神の御柱なる最も敬愛する処の、出口の開祖に心の文を書き送り奉る。
(二) 神の国の、地の上に建てらる可き時は来れり。一日片時も躊躇し玉ふ時にあらず。仰ぎ願はくは尊き開祖よ、幾多の障害を排除して、只管大神の御心に従ろい玉へ。
(三) 神の生命は永遠無窮なり、去れど人の生命には限りあり。大神は斯の限りある人の体によりて、天の下に美はしき神の御国を建てさせむと為し玉ふ。
(四) 開祖刀自は大神の御宮居にして、また神の力と頼み玉ふ御柱なり。茂頴もまた神に仕へ奉る者なり。故に、御身と我とは互に大神より、直接の御言葉を聞けり。何を苦しみ玉ひて乎、罪に汚れし人々の言葉に躊らい玉ふや。時は来たれり、為すは今なり。
(五)織機は経糸と緯糸とに由りて初めて織り上るなり。車は両つの輪ありて進み行くなり。如何に強く太く美はしく共、一つ柱の何事をか能よ為す事を得んや。大神の御神諭に由りて伺い奉るに、刀自は百日の水行を以て人々の身魂を清め、神国成就の神業に仕え賜ふ。茂頴は鎮魂を以て人々の身魂を清むる事を仕え奉る。仰ぎ願はくは開祖刀自よ、大神より受け玉へる汝が身の内の、最と清く美はしき直日の霊魂に由りて、省み玉はん事を。
(六) いと小さき事の為に、最大なる神の御業を、誤ち玉ふ事忽れ、人の為に万民を救ふ、神の大道を忽諸になし玉ふ事なかれ。
(七) 彼の大道に障れる人々等も救ふ可き道あり、彼等も共に嬉びて、手を携ふるに至る可し。兎角刀自が平素主唱せらるる、敬神尊皇愛国の至誠には、如何なる邪神と雖も妨ぐる事を得ざるべし。
(八) 茲に上田の茂頴、天津神の御言以て、布刀麻邇に占へて、瑞能御魂と現はれて、厳能御魂の宿らせ玉へる開祖刀自の御許に、赤心を書き送り待べる。厳の雄猛び邇猛び玉ひて、神国成就之首途に急がせ玉はん事を祈り奉る。』