文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治32年旧12月29日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1900(明治33)年1月29日(旧12月29日)
神霊界掲載号大正6年11月1日号(第53号) 13頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 465頁
七巻本第3巻 49頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻8頁
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成7頁
OBC os092
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本文
亀岡(松山父子)の事、今いふてやりたいなれど、今言はせると、出口が肉体で申すやうに思ふから、言はねども、此者は余程目的ありてをこして居るぞよ。神が気を附けてやるが、上田の知らん事があるぞよ。肉体でないぞよ。神が手柄を致さうと思ふて、人に憑りて目論見て来て居るぞよ。大本の長に上田を致さうと思ふから、神が気を附けるぞよ。この綾部には思わくが在るから、大本は綾部に致さな成らんのじゃぞよ。それに就ては、この大本に据らうと思ふと、出て歩行く如うな事では、先に成りたらゝゝゝ。今出口に言はせると、出口が申すやうに上田も思ふて居るが、上田はそれが修行じゃぞよ。人民といふものは、表面さえ美けら、腹の中はゴモクタが在りても判らんから、明盲と同じ事であるから、ゝゝゝ