文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧6月8日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-07-07 23:35:38
年月日1903(明治36)年7月31日(旧6月8日)
神霊界掲載号大正7年4月15日号(第60号) 3頁
神霊界八幡書店復刻版第2巻 265頁
七巻本第3巻 237頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻60頁
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成25頁
OBC os115
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本文
艮の金神変性男子の御魂が顕はれて、世界の守護を致すには、此の世に今迄に無りた事ばかりを致さねばならんから、実に大事業であるぞよ。永き世の終末となりた世の中を立替るには、世界の人民を守護いたして居る暗雲の守護神の心が、金輪際見苦しき事に化りて了ふて、世の立替を致すのに掛りかけが出来んやうな非道い状態になりて居れども、ドウしても今度は水晶の神代に立替いたさねばならん、変性男子の御魂の天職であるから、何時も直が心配をいたすのを見て居る神も辛いから、大本の内の二人と役員の身魂が水晶に磨けて来んと、誠の教が立たんから、明治二十五年からの筆先を役員と二人とが全部腹へ入れたら、大きな声で物を言ふのも言えんやうに成るから、そう成って貰はんと神が表に現はれる事が出来んぞよ。斯の曇りた世を立替るには、世間から、何ンとした結構な御道で在ると申して、大本の中へ来いでも改心を致す位に、大本の中から成って貰はな、誠の神の威勢は出ぬ由って、日々に大本の中の様子を見て、神と出口とが気苦労をいたすぞよ。
口で言へば行かず、筆に出せば気に障るなり、斯の曇りた世の中の彼方此方の一切の事を構はねば物事は成就いたさんし、今では直が肉体心で勝手に申す如うに、吾児でさえも未だ大本へは立寄らん如うな事なり、肝心の上田会長は一寸も力に成って呉れず、一々反対ばかり致すなり、出口直はまだ一人で辛い事なれど、是が変性男子の御魂の御役であるぞよ。夫れで明治二十六年に出口直が牢へ這入りて居る折に、推量節が作りて在るぞよ。
『今度の推量節は何処から流行る、綾部出口の屋敷から推量々々』と申してあるぞよ。出口が座敷牢へ這入りて居る折、夜の十一時と思ふ時分に、二十歳ぐらいな声で二人が牢の傍で、推量々々と謳ふて居る声が致した事がありたが、翌る日の朝になりて明神の高倉稲荷と鬼嶽稲荷で在りたが、推量節を唐土天竺へ拡めに行くのでありたと云ふ事が直に分りて喜びたぞよ。
推量節が流行て来るやうに成りたらば判りて来るなれど、○○きちの心と出口の心を推量せいとの歌でありたぞよ。それから十一年の今日になるまでの出口直の気苦労と申すものは普通の苦労では無いが、何の教祖でも中々の苦労を致して居るが、此綾部の艮の金神を世に出す教祖は亦た一層の骨が折れるから、普通の身魂では世に落ちた地の先祖の生神を世に出すと云ふ事は六ケ敷ぞよ。後の世継と成る人が山奥に潜みて居る様な落付いた、何事が出て来てもビクともせぬ大精神になりて下さらねば、今の如うな状態では、艮の金神が国常立尊と世界へ現はれて、昔からの因縁を、神の席へ引寄して話して、世界の人民に言ひ聞かすと言ふ所へは未だ未だ行かんぞよ。我身や世界の良くなる事ばかりを何程待ちて居りても、肝腎の行状が不修成と、誠の生神が世界の表面へ現た所で、そこらが醜るしくて神の鎮る所も無いぞよ。俄に土地面貌をふりて神徳の墜る如うな失態のないやうに、胴を据えて居らんと、是からの世界は一日増しに激しく成りて来るぞよ。チョロコイ精神では斯んな誠の神の御用は勤まらんぞよ。艮の金神が体内へ這入りての正実の御用いたすのは、変性男子の身魂で無いと、イツまで掛りたとて今度の二度目の神政成就の経綸は、人民の知らん事であるから六ケ敷のじゃぞよ。今が世界大洗濯の初発であるから、斯大本へ立寄る人は余程精神を改めて来て下されよ。今は掛りであれども日増しに辛くなるから、其覚悟をいたして居らんと、外の教会の行り方とは全然天地の相違であるから、各自に身魂を審判られると辛いぞよ。是迄の世界は夜の食国の守護で在りたから、ドンナ行為を致して居りても罸も当らず、大悪人の覇張るに都合が能く出来て居りて、神の利益と云ふものも微弱位より現はれなんだが、是からは神界で調査て在る事を厳重に現はして了ふぞよ。
斯世が斯う云ふ事に乱れて居ると云ふ事を、出口直の一番姉娘の米に為して見せて在るから、是を見て斯大本へ立寄る人は心得て下されよ。我児にして見せねば、他の児に斯大本から瑕は付けられんから、神と出口の心を推量いたして、各自に身魂を研いて、日本魂に成りて下されよ。今の世の中に清らかな水晶の人民は何程も無いぞよ。何れも皆深い罪過が有り勝ちじゃぞよ。誰も雪蔭で饅頭を喰たやうな顔を致して居れど、神界ではモウ何事も能く調べて在るから、斯大本へ立寄ろうと思ふ人は誰に由らず厳しき調査をいたすから、其覚悟で居りて下されよ。我子、人の子、親、兄弟の隔ては出来んのが神界の規則であるぞよ。改心の出来た守護神に使はれて居る身魂は善く成るし、誠の判らん守護神に使はれて居る人民は可愛想なから、上から改心をさせねば成らんと申して、筆先に毎度出して気を附けて在るぞよ。何事も時節が近よりたから、変性男子の御役は誠に辛いぞよ。人には命せられん約らん事を我子に命して鏡に出して置て、人の心を直さねば成らんと云ふ、実に辛い変性男子の天職であるぞよ。上から下まで、隅から隅まで、薩張暗黒界に化りて居る世を根本から立替て、昔の神代の政治に戻さねば成らん神界からの御役であるぞよ。世界が総体泥水同様に汚れて居るのを、綾部の大本から澄まして、水晶の清らかな世に改復ねばならんから、是迄のやうな行状を仕て居りては、世が元の水晶の神代へ戻らんから、是から大本の中は神が一々気を附けるから、一日増しに激しく成る。斯大本へ這入りて来て、陽気な気楽な精神では一時の間も居る事は出来ぬやうに致すぞよ。出口の口で申す代りに筆先に書して在るから、此大本へ改心いたして来たなれば、外では判らん結構な事を言ふて聞かして身魂を磨いて、日本魂の種に致して遣るから、タタキ落しても人からは能う奪らん、神徳を持たして帰して遣るなれど、其人民が無いので中々骨が折れるぞよ。何事も神の経綸の早く解るのは良き守護神の憑りて居る人民であるぞよ。艮の金神の気に合ふ身魂は、一を申せば十を感得て眼配り心配りを能く致し、人の心が見え透くやうに成らねば、誠の神界の肝腎の御用は勤まらんぞよ。我身が苦労いたして人に罪穢を積せんやう、我身は次ぎにして他人良かれの心でないと、誠の神の心に叶はんぞよ。斯の心の在る身魂でありたなら、一旦は人より一倍苦労を致さねば成らぬなれど、神界から其精神の者は何彼の事を守護いたすから、何事も思ふやうに行くなれど。夫れは水晶の身魂に研かんと、曇りが在りては此世は思ふやうには行きはせんぞよ。思ふやうに斯世で行かんのは我の心の持方が遠ふて居るので在るから、熟々思と考えて見るが良いぞよ。大本の明治二十五年からの神諭を落度の無いやうに見たなれば、何事にも腹が立たぬやうに成るし、一々我の心が耻かしうて黙りて居て改心が出来るなれど、余り激烈くもり如うで斯大本へ罪穢を持って来る斗りであるぞよ。何んな重い罪穢でも大本は引請けて遣るなれど慮見を持代えて来て呉れんと、是からは今迄の如うに思ふて来ると何んと無く気遣いで、罪穢を祓ふて貰ふ所まで辛抱を能ふ致さんぞよ。この高天原へ何も構はずに上りて来ても其行状が出来んと、途中で変るやうな事では、却って神界に罪穢を積む事になるぞよ。初発は好くても後縮りは艮の金神見る眼が辛いから、初発から充分に心得て、誠の御道を一足々々と段々に高天原へ上げて貰ふ様に謹慎みて、油断の無き如うに身魂を研いて下されよ。高天原の神の席へ列ねて頂けば、人民は神の分身魂であるから、何んな事でも出来るやうの神徳が授かるので在るぞよ。
今では未だ判りて居らんから左程には無いなれど、天晴れ表面に現はれたら、モウ一度身魂を審査るから、撰り出すと気の毒な身魂が沢山に有るから、其処へ成りて来て余り明白に審別と可愛想なから、各自に判らん中に心得て置かんと、耻かしき事が出来いたすぞよ。余り面向で申すと誰も能う立寄らんから、口と筆とで曳へるだけは扣えて知らして置くぞよ。今度の七社参拝の御供は我も私もと申して参拝いたすのは結構では在れども、変性男子と変性女子と竜宮の音霊観殿と禁闕金の神殿と四魂揃ふた御礼やら、三代の世継を授けて貰ふた御礼やら、結構に神界の経綸の成就いたした大望な事の御礼やら、弥仙山で神界の岩戸を開いた御礼やら、産土、氏神さまに国々所々の氏子を構ふて貰ふ願いやら、大望な神業ばかりで在るから、何に付けても斯の大本の御用は気づかいな事斗りで、人民には一寸も知らん事で在るから、昔から未だ斯世に無き事やら、人民の知らぬ事を先きに知らして、世界の人民に改心をさせて、三千世界を一とつに丸めて、日本と外国との身魂を立分けて、日本の御魂は開発統一楽天清浄魂ばかりを撰抜て、日本は神国霊主体従で在ると云ふ事を、斯大本から世界へ模範を出して見せねば成らぬ所であるから、今度七社の神へ御礼参拝を致すのは、昔から無き事の深い因縁の在る、大望な神業であるから、余程皆が清らかな心に復りて、後戻りをせぬやうに心得なされよ。
変性男子と変性女子も薩張り守護が代りて、坤の金神の守護と成りた御礼やら、又た此の先の日本と露国との大戦いや、世界中の大戦争の御幽助の御願や色々の深い経綸の御礼の参拝であるから、今度の参拝の御供いたした人に能く言い付けておくぞよ。今度の御供を致してから心間違いやら、神の気勘に叶はぬ事がありたら、誰彼に由らず是からは酷しき懲戒をいたすから、此心得を胸に離さぬ様に致されよ。御供さえ致したら、直ぐに良い利益が貰えるやうに思ふて居ると慮見が違ふぞよ。まだまだ是から世界が悪るく成りて来るから、我一人の御蔭を頂く所へは行かんから出口の手で気を附けておくぞよ。三千世界の世の立替で有るから、我身の都合の良い事ばかりを待ちて居りても、一旦世界が九分九厘まで行くから、松の心で神の道に歩みて居らんと、ヂリヂリ煩悶いたす事が出て来るぞよ。