文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧5月8日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-07-05 20:33:20
年月日1903(明治36)年6月3日(旧5月8日)
神霊界掲載号大正8年6月1日号(第87号) 2頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 10頁
七巻本第5巻 120頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os170
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本文
艮の金神変性男子の身魂が現はれて、二度目の世の立替、岩戸開きを致したら、世界には明治二十五年から、出口直に言はして在る事、手で書して在る事が皆出て来るぞよ。改心を致して此の大本へ出て来て、筆先の腹へ入る人民で在りたら、其の日から楽にして遣る艮の金神出口の神で在るなれど、皆思ひが違うて居るから、皆が我の心で身を攻めて居るのを、善うして与ろうと思ふて永く知らしたなれど、燈台元は真暗黒で、遠くから判明て来るぞよ。判らんのは自分は偉らいと皆爆心が在る故に、肝腎の本源の教が汲み取れんぞよ。慢心致して、上位じゃと思ふて居ると、下へ落ちなならん事が、此の大本は出来る事が在るから、チットも気赦しは出来んぞよ。誰に由らず別け隔ては致さん、大本へ立寄る人は能く心得て下さらんと、後で取返しは出来んから、クドウ出口の手で気を附けて置くぞよ。今の人民は取違い致すは当り前、薩張り世がヒックリ返りて居りた故に、善き身魂はトコトン世に落して在りたから、人民の目からは、神から善き事物が悪く見えるので在るが、神からは正反対であるから、何事も神と今の人民とは物が違ふので、夫れで誠を申して聞かせると、悪き事を申すやうに思ふのじゃ。何事も筆先通が世界から出て来るぞよ。チト違ふと善いなれど、毛筋も違ひは無いから、上に立ちて居る人よ用意を致されよ。是迄の事は用ひんぞよ。大分慮見の違ふ人が出来るなれど、是も時節で世は持切りには致させんので在るから、素直に致す人民が結構であるぞよ。世に落ちて居りた身魂は、水晶に早く磨けるなれど、上へ上りて学で智慧の出来た鼻高学者が気の毒な事に成るが、夫れでも身魂の洗濯を致して綾部の大本へ参りて、誠の教の耳え入る人民で在りたら、直ぐようして与る此方なれど、我が上じゃと思ふ人民斗りで、中々改心出来る人民が世界に無いぞよ。是からはアチラコチラに目覚ましが始まるから、改心致して、天地へ御詫びを致さうよりも仕方が無いぞよ。