文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年閏5月23日よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2021-04-06 02:14:07
年月日1903(明治36)年7月17日(旧閏5月23日)
神霊界掲載号大正8年7月1日号(第89号) 9頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 121頁
七巻本第6巻 8頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os193
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日本の国は日本で建てて、外国とは立別けて在りたなれど、世が乱れて来て、世の末と成りて、六茶苦茶に成りて了ふた世を、此の世を創造た元の実地の艮の金神が、此の世を潰ぬ為に、変性男子、変性女子の身魂を造らへて、世界には大きな水も漏さん仕組が為て在りての、二度目の世の立替で在るから、ナカナカ大事業なれど、地固めが出来たら成るのも早いから、日本の人民に一人でも多く、早う日本魂の生粋に復帰らねば成らぬぞよ。此の大本は、世の始まりの世界の大本と申すのは、艮の金神が世を持つ教を致して、神代に間に合ふ日本魂を造る、純真純美の光明彩筆の世の始まりで在るから、此中へ立寄る人よ、其の心得で修行を致して下さらんと、真正の御蔭は判らぬぞよ。役員は皆其の心得で、御用を勤めて下されよ。
日本と外国との大戦ひが此の綾部の大本の中に、縮図が為て見せて在るが、神力は日本なり学力は外国、一分と九分との艮めの大決戦で在るから、余程日本魂を練りて、胴を据へて居らねば成らんぞよ。負けたら従ふて与るし、勝ちたら従はして末代の世を天下泰平に治めるぞよ。魯国から始まりて、世界の大戦に成ると云ふ事が、明治二十八年の十一月に、出口手で書かして在るが、時節が迫々と出て来て、疑ひの雲が晴れ行くやうに成りたぞよ。永い間の大きな経綸であるから。申した事に遅し速しは在る事も在るなれど、一度申した事は何も違はん、其の通りが出て来るのじゃぞよ。
此の世に類無き落ぶれ者の出口直に、昔から未だ無い結構な事が命して在りて、口と手とで世界の事を知らしても、真実に今の人民は致さんから、此の中に実地が為て見せて在れども、判らねば判るやうにして見せて与るぞよ。疑ひの雲も晴行きて、何処から破裂致すやら、ヲドスで無いが、三千世界の幽顕の建替と云ふ様な大規模の神業を為て居りて、是だけ世界から実地が現出て来るのに、改心も致さずに、今に疑ふて居る人民、地部下にならんやうに致されよ。疑ふも際限が在るぞよ。此の世でさえも一ト切りに成りて、世の立替と云ふ様な大神模な経綸を致す大本で在るから、疑ふ様な小さい肝魂を持ちて居りて、神の聖慮も汲み取れんやうな人民は、今度は真正の御神徳もやう得らんから、天地の御用は間に合はんから。省かれるより仕様は無いぞよ。器量が小さいと、自己の損じゃと申して気が附けて在るぞよ。
今度綾部に咲くハナは、昔から未だ此の世始まりてから、類例の無い事のハナが咲くので在るから、其の大本で在るから、世が放漫的開化て汚濁切た今の世の中に、末代萎れん結構な花の咲く基礎工事の御用は、苦労艱難の凝結の花が咲く御用で在るから、軽挙妄動有りては出来んぞよ。
世が変りて、梅と松との世に成るぞよ。梅は寒候に向へば花の準備致す、花の中では一番苦労が永がいなれど、節操正しく良い実を結ぶなり、大本のハナは苦労の凝結で咲くので在るから、梅に譬へて在るぞよ。松は変らん昔から一すじの金院無欠至霊心、此の心に日本の人民よ、皆が揃ふて成りて来んと、今度の日本と外国との戦ひは、彼我も人民では見当の取れん、大きな仕組が出来て居るから、外国の方が良いと思ふ様な、真政理解の無い日本の人民は、仕様無くば外国へ服順と云ふ者が八分も九分も有るが、今度の最後審判の瀬戸際で外国に服従ふた人民は、畜生道へ堕落て万劫末代モウ日本の神国へは帰る事は出来んぞよ。松も梅も皆今度の事の譬へ、心で汲取なされ。出口の筆先は書放題、其れが皆世界から出て来るのじゃぞよ。日本はいろは四十八文字で世界中が見え透くので在るから、荒振神共よ、改心致さな成らん世が参りたぞよ。世の刷新に霊魂の改善整理で在るから、改心せん身魂は自然淘汰から、不足は世界中に何処へも云ふて行く処は無いぞよ。
旅立ちの身風を書き置くぞよ。出口の旅立ちは、世を立替へる大本で在るから、薩張り現今流とは風相を変へる、何処へ行きても木綿着物に晒しの脚線、紙巻草履を穿きて参ると申して在るが、現代は余り世が贅沢て、物的欲望極致から、大本から末代の神政の行り方を創始て見せるぞよ。
鬼門の金神は悪神と世界の人民に言はれた神、悪神で在りたか、善を竭して此の天地を潰さぬ様に、悪に見せて善一つを立て貫きて来た事を、変性男子を顕はして、世界の人民に改心悦服絶対的帰順を為して、賦興安心立命す、綾部の大本は、善と悪との行り方を、世界の人民に見せて、末代の神政の手本を出して、人民に本然感知を致す大本で在るぞよ。悪の行り方は人がドンナ苦労を為てもドウでも良いなり、自我の思はくに行かんと四方八方当たりまくって、小言を申し立てて恨み合ひの行り方、善の行り方は我身を犠牲て人を助けるのが善の行り方で、善と悪との行り方は天地の違ひであるぞよ。此の世は善の行り方で無いと、悪ではテンと行当りて、途中で道が無くなりて、世が難渋な事に成るから、善の行り方の世へ持ち方を改めるぞよ。コンナ事を申すとよい狂気者じゃと申して、一層悪く申すなれど、辛い残念を隠忍りて行かねば成就らん誠の道で在るから、普通並製の身魂で在りたら、辛棒は出来んと申して、筆先に出して在るぞよ。三千世界の大狂者の真似で在るから、辛棒りて行けよ。此の方の行り方は、今では人民の心の通りに見えるぞよ。悪き心の人民には悪神に見るし、善き心の人民には是程善き神は先づは無いなれど、心の事が出来るぞよ。
此の世は是迄は四ツ足の守護で在りたから、腹心の中は腐りて居りても、容色飾りてドンナ罪科の金でも立派に使用ばエライ者じゃと鄭重に致すから、日本の人民が不真不実く堕落て、学と金とが此世の宝と申したが、世を変えて、此の先きは日本の国は、天立本然の日本に致して了ふから、直接の分霊分身は申すに及ばんなり、其の系統の身魂は天下泰平に世が治まりたら、夫れ夫れに御用を仰せ附けるから、本来が結構な天地の霊徳で在るから、日本の人民は天賦精霊を磨きて、心性の容れ変えを致したら、世界中が善くなるのじゃぞよ。
昔の神代が循環り来て、本来の神政へ帰復りて、昔の元へ何事も日本の行ひを復顕から、世界には大きな間違ひが出来て来て、思慮腹案の相異う人が多数に出来るが、是迄は悪が跳梁りた世で在りたなれど、善一つに平定て了ふて、悪は掃蕩げるぞよ。
神代に成ると近い遠いの懸隔は無いぞよ。水晶の真心の信念なら、千里を隔てた所でも利益は与るが、膝下にをりても、神に心の無き人民は構いはせんぞよ。心丈けの事より報酬は与らん此方じゃぞよ。
出口教祖三千世界を開きます大神の御用致されし御経歴を少し誌し奉らん。原文は教祖御直筆なり。
……………錮れては置かんと御指図ありて、四月の十五日(教祖出獄の御日)に成る迄に、大槻鹿造が牢の入口へ参りて「家(出口家)を売りて御前(教祖)に気楽に暮らさし度い」と申して、私のやうな者の言ふ事でも聞て下さり、「福知山の叔父様の言はるるやう、また伝吉(教祖第三男)の言ふ事も聞いて呉れたなら、御前(教祖)を牢から出して上げやう」と往生攻めに致したのだ。出口は家も何も要らん、牢から出さえしたら良いのであるよって鹿造の言ふ通り、夫れは良い法立てで在る故結構じゃから、御前の都合に為されと委して置いて、四月十五日に出して貰ふたのでありた。科なきものを牢へ入れて、四十日の間食物も食べずに居りたのも、皆神様からの事で在りました。余り苦酷から牢の中で死のうと思ふて見ても、何程死のうと思ふても、神がキッと憑いて居るから死なれせんぞと、艮の金神様が言ひなされて止めに致したが、死ぬも生きるも皆神様からの都合の事で在りますから、何事も神様にお委任申せば楽なもの、天竺へ行けと神様が言ひなされて、真実に行くのじゃと思ふて、神様や近所へ子供を頼みて置いて、天竺へ行かうと思ふて居りたら、裏の庭園の松の木の余程太い枝が折れてをりた、其の松に嘴が出来、羽翼が出来、大きな鳥に成りて、其の鳥を捕まへたら、何処やら行ったと思ふたら綺麗な室に来て居りて、見ると妙見様が大きな御厨子の中に這入りて居りなされて、又其の次の室へ行きたら、女神様が御ズシの中へ這入りなされて、其の前に七福神と兎が居りました。また向ひには福禄寿が立てりて居りなされた思ふたら、矢張り出口の宅で寝て居りたので在りた。其次に龍宮へ行けと言ひなされて、龍宮へ行ったと思ふたら、龍宮の眷属が梯子をさして大勢上りて来た事も見えました。
牢から出て西町(大槻鹿造宅)に二日居りて、八木へ行きたのだ。家も売り道具も売りて、路頭に立ちたなれど綺麗な新つの出口直に成りて、今に成りたら家を売りて下されたのが誠に結構だ。茲まで致さんと此の取り次ぎ(教祖)は出来んのじゃぞ。出口は方々で糸引きて、新つに衣類を造らへて、生れ赤子に成りたのじゃ。皆神が命して在る事ぞ。茲まで世に落して御用を命して居るぞよ。神と人民とは薩張心が反対で在るから、神の御用を聞くものは何か非凡ぞよ。人民は表面体を飾り、金の廻りが良いと誠に重宝がりて、落ぶれた者には言交ふと、汚れるやうに思ふ世の中、世が変るから反対に変るぞよ。
出口牢から出て、四月の十八日に八木へ参りたなれど、四十日牢へ這入りて居りたので、身体は柔弱う成りて、又一ト働き致さねば成らんから、ナカナカ辛い事で御座りました。その中に六月に成り、独言独語は言ふて居れども(教祖は神の霊憑りまして、常住座臥独言独語し玉ふが常なりきも)神様の御容姿は拝めず、頼り無き故、神様の御姿を見せて頂き度いと御願ひ申したら、モウ三十日待ちて呉れいと御指図が在りて、ソウする間に七月の六日の朝御体拝致せば、チット御話も無かりたなれど、達磨さんが金神様は二日間は御留守じゃと申しなされた。其頃は生き達磨じゃと申しなされて、何でも言ふて下さりたのじゃ。ソウする間に天え上りなされて、天で赤装束で明白に御姿を見せなされて、夫れからは夫れ切りで今に御言葉も無いなれど、仏事から神道へ立ち帰ると申しなされたのじゃぞよ。七月六日に天へ御上りなされて、七日の日の暮れに御礼致して居りたらお帰りなされて、天へ二日上りて、位を貰ふて来たのじゃと申しなされたが、夫れからまたお容姿が拝め出したのでありた。福島(八木の人、教祖の御女婿)が誠に結構な事と大事に致して、鄭重に致して下さりたが、亦大槻鹿造は出口の事チットも判らず、狂者待遇に致すので、鹿造の宅へ行くと荒立て鬼か蛇の様に成るなり、八木は金神と言ふ事が良く判りて居るから、誠に結構で在りた。久(教祖第三女)が時計が狂ふて、ドウしても掛りませんからお母さん御伺ひを為て下されと申したから、御伺ひ致したら、大槻鹿造の家に置てある刀と譬への書とを八木へ早う引取りて呉れんと、彼の家に置くと祟るから、一日も早く取寄せて呉れい。其の知らせで時計は狂はしてありたのじゃと、艮の金神様が御言葉ありた。その御言葉ある間に時計が掛りて、これはドウじゃ結構な事と、すぐ福島が手紙を書いて神様の御言葉を大槻鹿造の家へ与りたが聞かず、言伝してもおこさず、福島が大変怒りて居る間に、神様が純(二代様)を連れて、早う帰れと仰せなさる故に、八月の四日に純を連れて帰りましたら、神様御指図の通り、大槻鹿造は刀と譬への書とが祟りて、手が破傷風に成りて、夏中もて余したと、出口の家を売りた、出口の家の再建する金も喰ひ込て了ふたので在りた。此の神様は天でも自由に成さる神様故、時計位ひを掛けなさるのは安き事なれど、御姿も拝めずに伺ふ間に時計がかかるのは、人民からは余程不思議に御座ります。八木に居りた頃、明治二十六年の五月頃に、来春四月から唐(清)と日本との戦争が在ると御指図ありて、コンナ時節に戦争と言ふ様な事は無いと、皆が申して居りたなれど、違い無く戦争、明治二十七八年は大戦争、明治二十九年の大洪水も神様から聞いて居りましたから、福知山の青木さんに、今年は大暴風雨が在りますげなと、明治二十九年の春申して置いたが、えあり大暴れが在りました。明治二十五年に綾部近所がミヤコに成ると、十三日食物をも食べずに叫めいて、昼夜世界の事を言ふて居りました。言ふて在ること皆出て来るぞえ。明治二十六年にカラえ行て呉れいと言ひなされたので在るから、種まきて苗が立ちたら出て行くぞよ。刈込みに成りたら手柄を為せて本へ返すそよと御神示が出たので、苗が立ちた時分にう、唐へ行くので在ろうと思ふて居りたら、明治二十七年の五月の八日に、カラに行って呉れいと御指図ありたから、ハイ参りますと承知致し、ほのぼのと出て行けぞ心淋しく思ふなよ、力に成る人は用意して有ると、又御神示に出た故、一人で出て行きたら、誰そ外国へ連れて行って呉れるものが有るじゃろうと思ふて、用意を致して居りたら、都倉の吉九郎の家内トキと申すものが、御前の御供なら天竺までも着いて行くと申して、御願ひ致したなれど、都合が在りて出口は五月八日立ちにて先きに行って居るなり、トキの来るのが遅いから、子が有りて出難いなれば、子は八木に預かりて置くから、早う御出でと手紙与りたが、余り来るのが遅いので、二三十日待ちて居りた。モウ六月に成り、六月七日には明八日に立てとの神言ありたから、一人行きたら誰ぞ連れて行きて呉れるものあるじゃらうと思ふて八日に八木を出て、亀岡の大橋銀次郎の宅へ一寸寄りまして、私は外国へ行くので御座います、天理王様へ御筆先が与りて有りますから、大和へ参りて其の先きは唐へ行くので在りますと言へば、いづれは行く様に成るが、御前さんが歩いて行かいでも良いのじゃ。大和へも此の暑いに行かいでも良い。綾部へ帰りて人助けなりと為なされ。人が助かるかと申す故、四十人ほど助かりて居りますと申せば、それなら後へ返りて助けなされといふのを聞かずと、王子へ行きて居りたら、都倉のおときどの参りたから、御伺ひ致せば、一時も早く行て呉れいとの御神示が有りて、其の翌朝京都まで行きて、天理王の先生の宅へ宿まりて居りたら、出口の用済みてから、教会まで行って貰い度いと、承りて、河原町の教会へ行きたら、先生が七人居りて、出口の筆先を見せいと申して、奥室へ持って入りて見たれば、天理王のおみきさんの筆先と似て居る事で御座いますと、出て来て申す故、左様かコンナ事が書けたので御座いますに。」「神様に下げて頂かうかと相談致すから、ハイ下げて貰いますと申して、直ぐ水を浴びて神前にへ連れ行きてすれば、戦場へ連れ行けと荒立ちて、夫れから二階へ上りて、種々と神様が出口の体から申しなされば、疑ふて七人の先生が評議致し、是れは狐狸では無い宮嬪さんで有ろうと申したり、ナカナカ判らんので、宿屋へ帰りたが、宿屋も皆心配致し、宿屋の家内が申すには、是が誠の神様で在りたらナヤミが出来て帰なれせぬと申すなり、出口が誠の神様で在るならナヤミを造らへなされと、神様に寝際に申して置きても何の事も無く、夜が明けて居りますれば、おときどのは眠むそうな顔をして夜具を整み居る時、出口の体荒立ちて夜が変るぞよ。此の戦ひ治まりたら、天も地も世界中桝掛け引きた如くに致すぞよ。神も仏事も人民も勇んで暮す世に成るぞよと、御筆先を書かせなさりて、此の筆先を此の宅へ置て帰れとの御言葉ありたから、唐まで行かうと思ふて居るのに残念なと思へ共、御指図通りに致して居る故、残念乍ら王子まで帰りて、直ぐ神様にお伺ひ致せば、出口よ唐へ行けと申したが、行かうと思ふたかと御言葉有りたので、此の出口は唐天竺まで行かうと思ひましたと申したら、偉い者と御ン喜び、行くか行かんか気を引きなされたので在りたぞよ…………。(後略)