文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治35年旧6月1日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1902(明治35)年7月5日(旧6月1日)
神霊界掲載号大正8年7月15日号(第90号) 1頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 165頁
七巻本第6巻 22頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os196
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本文
艮の金神出口の神と現れて守護を致すから、是迄の調子には行んから、慮見が違ふて気の毒な人が大分出来るから、何彼の事を気も無い中から、衆に知らして在ろうがな。是迄の事は何も不必要害物に成るぞよ。何も先きに知らす出口で在るから、暫らく致さな何も判りて来んが、詳細う筆先に書して知して置くから、ドウゾ取違いを為ん様に、心を鎮めて見て下されよ。此の世を持ち荒らして、行けん様に成りたから、世を立直す天から命令を頂いて居る此の艮の金神出口を大概にして、肝腎の経綸致した本元を枝に為て横へ除りて置いて、外の教で、此の大本の艮の金神を拡め様と致したら、薩張り仕組が違ふから、エライ間違が出来て、皆に気の毒が生出るから、余り恥さらさん内に何彼にを心得なされよ。聞かん守護神は、此の方が許可を出さねば、御給仕は為せん様に致すから、判らん神は其の覚悟を致すが可いぞよ。現出て来ねば判らん様な事では神の神力が無い我力斗りで在るので在るから、ソレデ何も判らんので在るから、揃ふて改心なされよ。肉体が可愛想で在るぞよ。神の申す事は誠じゃと肉体では思ふて、皆が訛されるから、神業神律も知らぬ眷属が神の名をカタリて、何も知らん人民を奔弄物に致すが可愛想なぞよ。何も後に判明りて来るから、先きに気を付けて置くぞよ。此の大経綸な世の立替を致すに、苦労も無しに仕放題に仕て
居りて、此の方出口を要らん者に方附けて置いて、我れの利口で行ろうと思ふても、後戻り斗りより出来んから、大本の神の経綸を邪魔致した守護神は、是れからは霊を誅戮げて、取り掃ひを申し付ける様に、段々何彼の様子が厳格く成るぞよ。是丈け普遍的う筆先に出しともないと思ふたなれど、怒られても気を注けねば、余り慢心致して居ると、良き事を申して与りても、皆悪く見えるから、慢心致すと大怪我が出来ると申して気が注けて在るのに、余り鼻高に成りて、人を見下げると恥かしき事に終局が、気の注いて居る人民は少いぞよ。今は守護神が世に出て居れた方の神で在るから、前後不達観放縦主義行り方で、今さえ好けりや良い行り方で、此の方が控へて見て居れば、肝腎の艮の金神の世を持つ仕組の筆先も見ずにおいて、他の行り方で行りて居りては、暫時は何にも知らん今の人民はエライ良い様に思ふて、初発は重宝がるなれど、其の行り方では永うは続かんが可愛想なから、初発にクドウ気を注けたので在るぞよ。守護神にも人民にも気が注て、判りて居るもの一人も無いから、是丈けに気を注けて与ても悪く感得りて居るなれど、地団太踏んでもかなわん残念な事が出来るが判りて居るから、口で申して与ると、出口の肉体で無理を申す様に思ふなり、又筆先に出して与れば見も致さず、エライと自身が思ふて居りても、人から見てアレでならこそと云う様に成らねば誠で無いぞよ。学理に凝ると総て皆がエラモノ斗りで、誠を致して居る人は虚偽物に致して、方附けて了ふて居りたなれど、此の手本なしに、誠を貫いて呉れる出口で無いと、世の立替の御用は出来んから、是れからソロソロと誠を初めんと、可愛想な人民が沢山に出来るから、立直いて是からが誠の教に成るぞよ。此の方の教は筆先で無いとチットも見当が取れんから、筆先を見れば金を使ふて勉強要らんと申して在るが、誠の事が出来んのは此の方の教を用ひんからじやぞよ。