文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治35年旧6月10日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日2017-06-29 21:53:45
年月日1902(明治35)年7月14日(旧6月10日)
神霊界掲載号大正8年7月15日号(第90号) 5頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 169頁
七巻本第6巻 39頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os199
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1558
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
艮の金神出口の神と現はれて、二度目の世の立替に掛るから、天の様子も是迄とは変るから、是迄の様に思ふて、同じ行へを致して居ると、誰に因らずキリキリ舞はねば成らん事が出来が致すぞよ。又喜びてキリキリ舞ひを致す人もあるし、今度の世の立替は各自各自の心の事が出来るから、世界には後にも前にも無い妙な事が湧出いて来るぞよ。目舞の来る人も出来るし、フンノびる人も出来ると言ふ事は、出口直に皆申して在るぞよ。空のさえた日は無いと出口に申して在るが、空がさえたら心もさえる、心さえたら空もさえるなれど、空も心も曇り勝ちぢゃ。是れ丈けに筆先に出して在る事が順に来て居りても、今の人民は我れがキリキリ舞を致す事が出て来ねば承知致さんから、夫れ丈け不足を申すなら、不足なき事が出て来た折に、矢張り悪神じゃと申すなよ。チト目の覚める事が無いと承知が行かん。恐ろしき事に成りたものじゃ。
此の大本から、一ツ行ひを変えて貰はな、是迄の行り方が世の乱れた行り方で、仕放題に好き寸法に行りたが、アノ行り方では世界の人民に一人も喜ぶものも無いぞよ。皆が苦しみて居るぞよ。我れさえ好けりゃ良い行り方では、初発では良い様に有るから、初まりは他が喜こぶなれど、尻すぼまりで在るぞよ。チト行ひを変えなされ、神の威勢が出ると言ふ事が無いから、是迄の世は夫れで六茶で来たなれど、暗黒の世界で在りたから、何も判らなんだなれど、世に落ちた神が世に現はれると、物事が変りて来るから、一度に吃驚を致さん様に、明治二十五年から出口の手で知らして在るのに、余り疑ひが晴れんから、物事が遅く成りたのじゃぞよ。此の大本の教を致さうと思ふと、我が身の行ひを薩張り変えて貰はんと、艮の金神の教は為て貰へんぞよ。ナンボ世界が広いと申しても、尻むすばずに仰むいて行きよると探堪りへ了ひには踏み込むぞよ。何事も際限と言ふ事が在るから、ヨイ加減に気が注かんと、恥かしゅうて門へも出られん様な事が出来致すぞよ。今は変り目で上へ下たへ覆る時で在るから、判らん守護神がもだえるから、皆余程胴を据へて居らんと、ウッカリして居ると神の名をカタりて来て玩弄物に致すぞよ。神憑りの有りた肉体は憑り良いから詐しに来るぞよ。シッカリ審神を致さんと判りて来る程、もだえて来るぞよ。神は皆の心を試験すから、誠の人には誠の事を致さすし、目的ある人民には其の守護神が憑いて、目的を経綸も知らずに六茶を致して、神の誡めに遇ふて、気の毒が出来るし、夫れで良き心を持ちて呉れいと申すのじゃ。悪神の世の中に誠の事を致す守護神は、今世に出て居れるのには何程も無いぞよ。又善い神様の言付を聞く守護神はチットも無いから、薩張り世が乱れて了ふて、立替致さうにも仕掛けが出来んなれど、是でも天から命令を戴いて致す事で在るから、うけおうた事は天からの命令で在るから、何一ツままよには成らん此の方、大望な事を致す御ン役じゃ。其の御用を為て呉れる出口直を誰に因らん、余りな事を致したり、申したり為て置くと、此の方が気障が在ると、何も思ふ様にチットも行かんぞよ。此の世一切を救助る神で在るから、改心さえ出来たら、何事も聞き済みは在るなれど、改心出来んと激しく成ると、何処に何が在ろうやら判らんぞよ。コンナ我の強き神の取り次が、我も無けらな勤まらんなれど、我は何時でも出す様な事では、此の御用は勤め上がらんから、我は奥へ鎮めておいて御用を為て呉れる身魂で無いと、今度の神業は、普通並々の身魂では間に合んぞよ。出口の神と現はれる身魂が造らへて在りて、此の方と引添うて苦労致した出口の身魂、今度大望な二度目の世の立替を致すには、人民に自由に為る様なチロコイ身魂では、艮の金神の大望は出来は致さんから、神も敵はん此の出口、神の力に致す身魂じゃぞよ。