文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治35年旧3月12日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-06-27 18:04:37
年月日1902(明治35)年4月19日(旧3月12日)
神霊界掲載号大正8年8月1日号(第91号) 4頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 224頁
七巻本第6巻 68頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os205
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本文
艮の金神が出口の守と現はれて守護を致すから、是れからは此の中は間違ひありたり、見苦しき心のものが、此の中に這入りて来たなれば、出口の相貌が直ぐ変るぞよ。皆能く心得て居らんと、丸恥をかく人が出来るぞよ。忽ちに何事も善悪を顕はして見せて、此の中から改心を為して、物事を明白に審判て見せねば、是丈け永らくの骨折りが一人にも判らいでは、艮の金神の威勢が出んから、今迄通りの様に思ふて、此の世の立替を致す大本へ来て居ると、何時ドンナ目に遇をうも知れんから、気を附けて置くぞよ。此の中に居りて神の心の判らん様なことでは、此の方の聖旨には叶はぬぞよ。我が身が可愛い様な事では到底、艮の金神の御用は聞けん様に成るから、我が目的を付けるやうな事在りては、今は大経綸が判りて居らんから、今は何とも思うて居らんが、是から激しく成る程判り出すから、地団駄踏んでも取り戻しは出来んから、腹の中の掃除を十分致して、神の心と同じ心に成らねば誠で無いぞよ。人民の心が神の心に成りたら、夫れを神世と申すぞよと、筆先に出して在ろうがな。艮の金神が世に出る信心は、身欲信心を致したなれば、物が逆様に成りて、大変心配が出来るから、不調法ありては成らんから、神がかかへる様に思ふて、何遍も何遍も気を附けるぞよ。皆能く心得て、最後審判と成りた折り、明けの鳥と成りた折に、口惜しき事の無い様に致されよ。
誠の道を貫くのは、奥山え這入る様な精神で無いと、誠の事は貫ぬけぬぞよ。出て歩き度い様な精神で在りたなら、辛棒が出来んぞえ。思ひの違ふ人は神の見る目が辛いから、今が性念場の叶はん折りの金輪際の処で在るなれど、左程の覚悟は皆未だ出来ては居らんぞよ。此の方を表へ出して呉れるのは、筆先き通りに何事も致して呉れぬと、仕損ないが出来るから、鼻を高ふ致して我で行ろうと思ふと、後で涙も出ん様な事が出来るぞよ。綾部の霊的中府を越して、未だ先きへ行かうと致しても、先きにはモウ行く処は無いぞよ。此の筆先きを能く見もせんものが好い加減な事を申して、艮の金神の名を汚したものが在りたら、何処でも是れから、艮の金神から、審査めて在る守護神の性来を顕はして、神則鑑照を見せるから、是れ迄の格合には行かんぞよ。外の教会は皆な先駆り、神業完成が此の綾部の大本で、末代の世の元に成る所で在るから、艮の金神を表へ出そうと思ふ人は、多勢で無うて良いから、筆先をすっくり見て置かんと、誰が来たとて咄が出来んぞよ。筆先を能く腹へ入れて、行ひを良く致して居りたら、誰が出て来ても、懼ず憚からず御話が出来るなれど、行ひが出来んと、口で立派な事を申して居りても、直ぐやりこめられて、神の名を汚すぞよ。余り聞かん故に同じ事を書くのに、手を籍るのが出口に気の毒で在るぞよ。