文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧8月30日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-07-10 21:50:46
年月日1903(明治36)年10月20日(旧8月30日)
神霊界掲載号大正8年12月15日号(第100号) 13頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 561頁
七巻本第7巻 102頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os242
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本文
艮の金神若姫岐美命、出口の加美が顕現ると、世界が何彼の出来事が激しくなるぞよ。
明治二十五年から申してある神示が、追々日に増しに実現て来るぞよ。
先繰り鏡の出る大本、心に間違ありて、取り損ひを為て置いて、実地が出て来ると、口惜しき事がある由って、未然に気を付けて置くぞよ。
今度の神業は太古から未だ此の世に無き神業であるから、皆が取り違ひを致すから、充分判る如うに、出口の手で、徹底的判る如うに書かすのであるから、取り様が違ふと、眼の前に降りて来て居る神理霊徳が感得れん様になるぞよ。
神理霊徳感得れぬのは種々様々と心に間違ひがありて、結構な御神徳を取り外すのざが、人民と言ふ者は、神とは全然反対であるぞよ。
此の方は心の清浄な人民を好くぞよ。
余り気の穢ない人民は、良い御神徳を能う感得らんぞよ。
是からは表面を飾らいでも、腹の中の潔白な人民が、御神徳感得るのが速いぞよ。
醜しき人民の掃除致すのには、骨が折れるぞよ。
吾れの身魂が曇りて居ると、神とは物事が全然反対であるから、真実申して遣ると悪く感得ので、真実の神理霊徳を遣る人民が無いから、神業が遅くなるのじゃぞよ。
此の方が表面に天晴と顕現ると、霊主体従と体主霊従とが立別るから、今の内に身魂を磨いて置かんと、大本に吾れも私もと申して出て来だすが、磨けん身魂は這入る事が出来んことになるぞよ。
綾部の大本は、日参を致しても、昔から信心して居りても、道の違ふ信心為て居ると、正実神秘の神言経綸を言ふて貰へんぞよ。
腹の中迄視貫いた其の上で、初発から松心で、続いて来た人は結構なれど、迷い心のある人は、又夫れ丈けの御神徳ほかないぞよ。
初発から変らずに、艮の金神一と筋で来た人は、霊異た応果があるなり。
アチラに迷ひコチラに迷ひ、心の多い人の、利己主義の人は、又夫れ丈けの御神徳ほか無いと言ふ神言は、度々気が付けてあるのに、聞かんと置いて、仕放題に為て置いて、行く道が無き如うになりたと申して、後に戻りて、旧道の勉強は、仕放題に為て居りた人は、綾部の大本のイロハ四十八文字の手習ひは、外国の学の勉強とは辛いぞよ。
辛いと申すのは、イロハの勉強は、筆先通りに、行状から日日の処世法を、筆先と合致やうに、行状を為て貰はねばならんから、イロハを是迄に軽侮て居りた人程、大本に出て来ると修業が辛くなるぞよ。
全然世が顛倒て居りた故に、経綸法が違うて居るのを、全然綾部の大本から、革正さなならん大本であるぞよ。
八十の手習ひと申すのは、今度世が変ると神代に戻るから、何も譬喩が出してあるぞよ。
六十になりてからでも、八十になりてからでも、イロハから手習ひを致さなならん世が参るから。
明治廿五年から出口の手で知らして居るのに、今疑惑ある人、気の毒なものざ。疑がふて居る人民程、今度は苦しむぞよ。
苦しむのを見るのが神は辛いから、煩う気が付けてあれども、今に判らん人民斗り、可愛相でも是非無きこと。
言ふて遣りても真実に致さんし、書いて見せても見えず、盲目聾者の世になりて仕舞うて居るので。
神理霊徳の戴かせ方が無いぞよ。
何時迄大本に初発から来て、長年月修行して来たとか、私は古参信者だとか申して、エラソウに言ふて居る人民程、真実が判りて居らんのざぞよ。
大本の信仰の仕様は、判る人程口数静かなぞよ。
吾れに信仰出来て居ると思ふて出て来る人、夫れが途中の鼻高ざ。
鼻を捻じ折りて仕舞うて遣るぞよ。
厭な人は来んと置いて下されよ。
却って神の邪魔になるぞよ。
何卒して改心をさして、又夫れ夫れの御用さしてと思ふても、邪魔になる人民、寄り附かれん如うになるが、御詫を致すが良いぞよ。