文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧8月22日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1903(明治36)年10月12日(旧8月22日)
神霊界掲載号大正9年1月1日号(第101号) 5頁
神霊界八幡書店復刻版第6巻 11頁
七巻本第7巻 133頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os249
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本文
綾部の大本の本部に這入りて、御神徳を貰ふと思ふと、眼配り心配り、是迄の心持ちて居りては、此の大本の御神徳が感得れんぞよ。眼で見いでも心で、何かの事物が黙然として居りて、見え透く如うになりて来んと、日々の御神徳は渡さんから、他人に言挙て貰はな判らん如うなことでは、此の御用は出来んぞよ。何彼の神言を汲み取りて、一を申せば十を知る身魂でありたら、上にも眼が付き、下にも眼が付て、此の方出口の因縁摂理の判る身魂でありたら、今度は大きな御神徳が感得るなれど、器量が小さいと其処迄は気が届かんぞよ。心丈けで他人に判らん神理霊徳は心で感得るのざぞよ。十人並の精神では此の方出口の加美の神心には叶はんぞよ。チト超絶た実行が無いと、此の方出口の万分の一なりと真似の出来た身魂でありたら、特異た利益を遣るなれど、苦労致さん身魂の肉体は、今度の間には合はんぞよ。今度の御用は、大我も無けら御用が勤まらんぞよ。勇猛心はありて、勇猛心は臍下丹田鎮魂て置いて、小我を出さん如うにして、奥に智慧のある人で無いと猿智慧では今度の御用は能う勤め上んから、同一御用は無いぞよ。一人一人に御用が違ふぞよ。身魂の将来で、夫れ夫れの御用を命すから、善き精神の人民善き応果が出来る、悪き精神の人民は悪き神の守護となるから、心の応果を命から、今の世界の人民の心が邪悪堕落て居るから、世界が一平に邪悪汚濁て居るのを、艮の金神若姫岐美命が、出口の加美と顕現れて、二度目の世を建替るのであるから、二度目の世の大修祓革正は、一番に骨が折れるぞよ。此の曇りた世を水晶の世に建替て、曇り無き世に致すのであるから、此の大本は何彼の遣り方が異から、是迄の精神では此の大本には辛うて能う居らんぞよ。チト卓越精神でなくば、神業の真似は出来は致さんぞよ。一とつの事に夫れ丈けに眼が付いて、一とつの事ほか出来ん如うな有様では、此の大本に来て御用し度いと申しても、何彼の資格が揃はんと、此の大本の真実肝腎の御用は奉仕不能ぞよ。 是迄は寛大にありたなれど、是からは判るに就いては厳しくなるぞよ。厳しくならねば真価は判らんぞよ。遺書にも書物にも無き神言福音を、四十八文字のイロハで手本無しに、出放題に出口の手で書いて呉れた神示の筆先通りが、世界から皆実現て来るのであるから、如何な学者も大きな口を開けて、アフンとして傍覧て居らなならん結果になるから、余り空を視て居ると、天地が顛倒て空向いて居りた人が、又文字を見習はんならん世が循環て来るから、明治二十五年から出口の手と口とで、世は持ち切りには致させんと申して、何も一切筆先に出して知らしてあるのに、左様な事実があるものかと、空視て居りた人民が、是から思ひが違ふて来て、心を苦しまねばならんぞよ。