文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧6月15日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1903(明治36)年8月7日(旧6月15日)
神霊界掲載号大正9年1月15日号(第102号) 3頁
神霊界八幡書店復刻版第6巻 45頁
七巻本第7巻 140頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os251
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本文
艮の金神稚姫岐美命出口の加美と顕現れるは変性男子の身魂が顕現れて、二度目の世の立替を致すには、世の中の心が曇り切りて居るから昼の最中に灯を点けて岩戸開きに行かねばならん如うな酷たらしき世態に堕落て居る世を、薩張り立替を致すには人民からは、何結構な神業致さしても吾れが為て居りて我が為る所作が判ろまいがな。それで肉体で今度は我を出したら、物事が遅く延引て神に気障りが出来るから、人民の力で為る事なら何故目的たてて見んのざ。思ふ如うに行かねば、吾れが為るので無かろうがな。その判らん因縁摂理を解明て聞かして与る大本の教背いて、何なりと為て見よれ、誰に由らんぞよ。誰でもアチラに外れコチラに外れ、細引の褌ざ。不可と言はしたら行きはせんのに、誰でも出口が我を出して申す如うに、今に思うて居るが、未だ判らんが、可哀相なぞよ。神は神、人民は人民と全然立別けての行状を為て貰はんと、神に次での人民であるのに、今の人民の行状神の道を薩張り潰して、昼灯を点けな道が判らんと言ふ如うな実状になりて居るから、道無き所に道を設けたり良い道ざと思ふて行よると道を、此の大本は潰したり。今では変性男子の申す神勅、筆で書かす神言は御気に入らん神示斗り、御気に入り相な諭告は無いぞよ。腹の中を充分考へて見ると大きな声も出ん如うになるぞよ。誰に由らんぞよ。大きな声で話も敢うせん如うになるぞよ。皆モット声が低くならんと誠は彰て来んぞよ。此の大本は大勢居るが何とした静かなざと申す如うに成らんと本真物にならんぞよ。言はれるも辛いが煩う申すも辛いぞよ。それで推量節を待兼ると申すのざ。腹の立つ人あるなら、出口に不足言ひに御座れ因縁吾れに判ろまい。身魂の因縁説いて聞かせば頭は上らんぞよ。此の大本は他の教会と同じ如うな所ざと思ふて居ると大間違ひが出来るぞよ。神から視ると視られんぞよ。この見苦しき世の中天晴れ表面に彰りたら恐がりて、此の中には居れん如うな異変あると却りて迷惑するから、改心致すなら今の内であるぞよ。それを取り違ひを致して腹立つ如うな人は各自に損ざけざ。神が困るで斯様再三再四申すのざぞよ。判りてから改心致してもそれは水臭いから、此の世に出て仕放題に為て居れた守護神は、恐い事もなし耻かしい事も無い守護神シブトイぞよ。是迄は恐い者の無き世でありたが、恐い神人が顕れて逃げて去なねばならん此の大本の行状は、世に出て居りた守護神では此の大本の辛抱は出来んぞよ。此の大本は上下揃へて神代の本元に戻すところであるから一と通りの人は這入りて来ても大気遣ひで能う居らんぞよ。その筈であるぞよ。天の規則を制定る高天原であるから、斯様な霊地を一と通りの所ざと思うて居ると、判りて来た折恥かして顔も見合されん如うな失態出来ると矢張り可哀相なから、吾れの心が身を責めて約らん取り戻しのならん事が出来て来るのが見え透いて居るから皆面晒されて大本の御用聞けん失態が出来て来ることあると気の毒な。此の大本は世界には無き気遣ひな霊地であるのに、普通の所ざと思うて居ると、甚大間違ひが出来るから、人が取り違ひを致さん如う我を鎮めて改心致さぬと、今度御神徳落したらモウ其の御神徳は取れんぞよ。余り取違ひ為て居ると耻かしくて、立寄る人にも顔が合せられんことが出来て来るぞよ。蛭に塩した如うになることあると、気の毒なから、判らん内に気を付けて置くのざぞよ。腹の立つのは判らんのざ。吾れが為て居ると思うて居るのざ。皆命してあるぞよ。