文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治36年旧6月17日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1903(明治36)年8月9日(旧6月17日)
神霊界掲載号大正10年3月1日号(第135号)【出口王仁三郎執筆】 16頁
神霊界八幡書店復刻版第9巻 28頁
七巻本第7巻 233頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os269
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本文
艮の金神稚姫岐美命、出口の神と顕はれるは、変性男子の身魂、むかしから、此の世の来るのは、知れて居るから、永くかかりて致した仕組が、わかる世が参りたのざぞよ。此の仕組てあることが時節で、世が廻りて来るのは、天然に出来て来るのであるぞよ。
時節まゐれば、何事も出来て来るのであるから、時節程恐き結構なことは無いと申すのであるぞよ。時節が来ると、如何な事でも出来るから、恐い結構な時節がまゐりて来たぞよ。
一旦世の立替を致さんと、世がのぼりて仕舞うて、人民の下に落ちて居る人民は、泣きの涙で暮して居る人民があるが、上にたちて政治をする人には、この下々の人民のことはわかりはせんから、かみは知らんことであるなれど、国がいけんと、かみのくらゐも無くなりて、下ははざざほざざ、かみの名が悪くなるから、そばに付いて居る、一の番頭が、身慾に離れて、上下のことのわかる番頭で無いと、世は持てんぞよ。
一の番頭、二の番頭、随従の此の世の政治法律かまふ人が、隅々迄眼のつく人民で無くては、此の世は治まらんぞよ。
人は如何でも良い、吾れさへ良けら良いと云ふ遣り方でありたらば、此の世治まりそうなことは無いぞよ。
上から遣り方変へて貰はな、下の難渋見る眼が辛いから、それと申すは、此の世の来るのも皆時節であるから、此の世が来るから、此の方が押し込まれて居りて、仕組みて待ち焦れて居りた世が、まゐりて来たのであるから、申した世がまゐりて来たのざ。申したことは皆でて来るぞよ。
誰が何と申しても、微躯りとも致さん如うに仕組てあるから、心大丈夫に持ちて、小さいことに心配を致さんやうに致して、身魂を磨きて居りて呉れたら、是で良いと思ふ如うになりたら、此の方がそれぞれの神を使うて、何事も致すのざぞよ。