文献名1霊界物語 第2巻 霊主体従 丑の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3凡例よみ(新仮名遣い)はんれい
著者(編者)
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2024-05-24 12:10:00
あらすじ
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年01月06日(旧12月09日)
口述場所龍宮館
筆録者編者
校正日
校正場所
初版発行日1922(大正11)年1月27日
愛善世界社版前付 13頁
八幡書店版第1輯
修補版
校定版266頁
普及版1頁
初版
ページ備考校定版では『あとがき』になっており、後半部の東大寺五重塔の話が削除されている。
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本文の文字数2040
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本文
一、第一巻より第四巻までは、まだ伊那那岐尊、伊邪那美尊二神の御降臨まします以前の物語であります。第四巻にいたつて始めて国祖の御隠退遊ばされるところになり、第六巻において、諾冊二尊が葦原中津国へ御降臨遊ばすところになるのであります。それゆゑ、あまりに小さく現在の大本といふものにとらわれてはならないのであります。たとへば『聖地エルサレム』とあるごときも、決して綾部を指されたものではありません。これは、瑞月大先生より特に御注意がありましたから、読者諸氏のお含みおきを願つておきます。要するに『生れ赤児』の心になつて拝読することが、もつとも必要であらうと思ひます。
一、しかしながら、歴史は繰返すといふごとく、これは今から六七千万年前の物語で、いかにも吾々とは縁が遠いもののやうに油断をしてゐると、脚下から鳥が立つやうなことが出来して、にはかに狼狽へ騒がねばならぬとも限らないのであります。
一、本書第一巻の発表とともに、かれこれ種々な批評も出てゐるやうですが、単に第一巻や第二巻を読んだだけでは、たうてい分らないのであります。何にしても批評は後廻しにして、本書の全部刊行されるまで待つていただきたい。神諭にも『細工は流々仕上げを見て下されよ』と示されてゐます。ただ一端を覗いただけで、批評がましき言を弄するのは、いかにも軽率であるばかりでなく、御神業にたいして大なる妨害を与へるやうな結果になりはしないかと思ひます。
一、第二巻以下には処々に神様の歌が出てきますが、これはすべて神代語で歌はれたものださうですが、そのままでは今の吾々には理解出来ませぬので、特に現代語に翻訳されたものであります。例へば、本書の第二十三章『竜世姫の奇智』の中に、竜世姫が滑稽諧謔な歌を唄はれるところがあります。その歌の神代語と現代語を大先生の御教示のまま、一例として対照しておきます。
歌
言霊別の神さんは (コトトモオコヨカムソモホ)
こしの常世へ使ひして (コスヨトコヨイツコイステ)
道に倒れて腰を折り (ミツイトホレテコスヨオイ)
輿に乗せられ腰痛む (コスイノソロレコスイトム)
こしの国でも腰抜かし (コスヨクシデモコスヌコス)
腰抜け神と笑はれる (コスヌクカムヨワロヲレル)
他のことなら何ともない (フトヨコトノロノムトヨノイ)
こしやかまやせん こしやかまやせん こしやかまやせん こしやかまやせん(コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ)
一、神代語の数字一二三四五六七八九十百千万は、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓(略して〓)〓といふ風に表はすさうであります。
一、最近一つの神秘的な話を聞きましたから、読者諸氏の御参考のためにここに御紹介しておきます。
昔、南都東大寺五重塔丸柱の虫喰ひ跡に次のやうな文字が表れたことがあります。
九九五一 合 二十四西より上る四日月
一五一一 合 八洲の神地となる
○五○六 合 十一神世の初
一三一一 合 六合となる
二一六一 合 十即ち神となる
一一一一 合 四魂となる
三一六一 合 十一即ち土の神となる
一○一一 合 三体の大神となる
○○○ 合 三ツの御魂となる
(数字の下の「合云々」の文字は瑞月大先生がつけ加へられたものです)
しかし、誰一人これを読むことも出来なければ、その意味も分るものはありませんでしたが、当時の高僧弘法大師は之を斯う読みました。
月九中岸
閑居一一
露五幽苔
獨身一一
法一不一
一一一一
道一不一
時節一一
瑞月大先生にこの事を伺ひましたら、ただちにその意味を御教示下さいました。その五重塔の丸柱に現はれた不可思議な文字は全体を数へると七十七の数になります。そして七十七は上からも下からも七十七となります。上下そろふ訳であります。七十七数は〓の代詞で七は『成』の意であり、十は『神』の意であり、七はまた『国』の意であり、つまり『成神国』の意味になるさうであります。その数字の中の○三つは三ツの三玉の意であります。つまり瑞の御魂が隠されてゐるといふことになるのであります。弘法大師はこの事を知つてゐたのだけれども、故意とかくしてゐたといふことであります。
大先生は斯う読まれました。
月懸中岸
閑居誰待
露萎幽苔
獨身孤寂
法初不蔓
隨鼓増光
道獨不擴
時節待人
いかにも月光が万界の暗を照破し、神政成就の機運の到達することを暗示せる神秘的な面白い話であるやうに思はれます。
大正十一年一月六日 於竜宮館 編者識す
酸いも甘いも皆尻の穴、おならの如くにぬけて行く、間抜けた顔の鼻高が、尻毛を抜かれ眉毛をよまれ、狐狸のうさ言と、相手にせねばせぬで良い。雪隠で饅頭喰ひつ武士、武士の言葉に二言はないと、こいた誤託の鼻の糞、ひねつて聞いて馬鹿にして、一度は読んで暮の空、きよろ月、まご月、嘘月の、空言ならぬ瑞月霊界物語穴かしこ穴かしこ。