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文献名1霊界物語 第2巻 霊主体従 丑の巻
文献名2第5篇 神の慈愛よみ(新仮名遣い)かみのじあい
文献名3第38章 歓天喜地〔88〕よみ(新仮名遣い)かんてんきち
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2019-11-13 16:55:12
あらすじ
清照彦は最愛の妻に死に別れ、両親を討滅することになった。荒熊彦夫妻はかろうじて逃れたが、清照彦は追撃せず、両親が無事に落ち延びて、どこかで隠棲することを願った。

しかし風の便りに、両親はローマで捉えられ、殺されたという噂を耳にした。清照彦は悲嘆のあまり自刃しようとしたが、天空から女神が現れて、しばらく隠忍するようにと諭し、必ず妻と両親に再会させよう、約束した。

清照彦は合点がいかなかったが、自分が死んでしまっては両親と妻の霊を慰める者がいなくなってしまうと、思いとどまった。

清照彦は悲哀のうちにも暮らしていたが、あるとき十曜の神旗が立った鳥船が数十も、高白山めがけて下り来た。鳥船からは言霊別命らが現れ、稚桜姫命の神使として清照彦の忠孝を賞するためにやってきたのだ、と来意を告げた。

清照彦が不審の念を抱きつつも来意を謝すると、鳥船から降ろした輿から現れたのは、父母の荒熊彦・荒熊姫、そして自害したはずの妻・末世姫であった。清照彦は思いもかけぬ親子夫婦の対面にうれし涙にくれた。

高白山は元のとおり荒熊彦夫妻が治めることになり、清照彦は長高山を治めるよう神命が下った。

末世姫は自害したと見えたが、その貞節に感じた天使によって身代わりに助けられ、ずっと言霊別命の側に仕えていたのであった。
主な人物 舞台 口述日1921(大正10)年11月06日(旧10月07日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年1月27日 愛善世界社版189頁 八幡書店版第1輯 226頁 修補版 校定版193頁 普及版89頁 初版 ページ備考
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本文  清照彦は最愛の妻に死に別れ、厚くこれを葬るのいとまもなく、言霊別命の進退ならぬ厳命に接し、ただちに高白山に向ひ、呑剣断腸の思ひをなして、骨肉の父母両親を討滅するのやむなき窮境にたちいたつた。されど神命辞するに由なく、大義を重んじ、ここに血をもつて血を洗ふ悲惨なる戦闘を開始した。
 荒熊彦、荒熊姫は一方血路を開き辛うじて免るることを得た。この時清照彦は、ただちに追撃せばこれを滅ぼすこと実に容易であつた。されど敵といひながら、肉身の情にひかされ、わざとこれを見逃し、心の中にその影を拝みつつ、父母の前途を気遣ひ、いづれへなりとも両親の隠れて安く余生を送らむことを祈願した。親子の情としてはさもあるべきことである。
 荒熊彦は、散軍を集めて尚も懲りずまに羅馬城に進み、決死の覚悟をもつて戦ふた。されど天運つたなき荒熊彦は力尽き、つひに大島彦のために捕虜となり、夫婦ともに密に幽閉され、面白からぬ幾ばくかの月日を送つた。
 清照彦は、風の共響きに両親の羅馬に敗れ、幽閉され、苦しみつつあることを伝へ聞きて、心も心ならず、煩悶苦悩しつつ面白からぬ月日を淋しく送つてゐた。清照彦は忠義に篤く、孝道深き神司なれば、その心中の煩悶は一入察するに余りありといふべし。清照彦は雨の朝風の夕に空を仰いで吐息を漏らし、われ両親の憂目を見ながら坐視するに忍びず、これを救はむとすれば主命に背き、大逆の罪を重ぬるにいたるべし。あゝ両親といひ妻といひ、今は或ひは幽界に、あるひは敵城に囚はれ、子たるもの如何に心を鬼畜に持すとも忍び難し、いつそ自刃を遂げ、もつて忠孝の大義を全うせむ、と決心せる折しも、また飛報あり、
『荒熊彦夫妻は、羅馬において大島彦のために殺されたり』
と。これを聞きたる清照彦は矢も楯もたまらず、吾は山海の洪恩ある恋しき両親に別れ妻に別れ、生きて何の楽しみもなし、自刃するはこの時なりと、天に向つて吾身の不遇を歎き号泣し、短刀を逆手に持ち双肌脱いで覚悟をきはむるをりしも、天空より光強き宝玉眼前に落下するよと見えしが、たちまちその光玉破裂して、中より麗しく優しき女神現はれたまひ、
『吾は天極紫微宮より来れる天使なり。天津神は汝が忠孝両全の至誠を憐みたまひ、ここに汝を救ふべく吾を降したまへり。汝しばらく隠忍して時を待て、汝がもつとも敬愛する両親および妻に再会せしめむ。夢疑ふなかれ』
との言葉を残して、再び鮮光まばゆき玉と化り天上にその影を隠した。後に清照彦は夢に夢見る心地して、合点のゆかぬ今の天女の言葉、われは憂苦のあまり遂に狂せるには非ざるか。あるひは父母、妻を思ふのあまり、一念凝つて幻影を認めしに非ずやと、みづから疑ふのであつた。されどどこやら心の底に、一道の光明が輝くのを認めた。何はともあれ、吾ここに自刃せば、たれか両親および妻の霊を慰むるものあらむ、と心を取り直し、時節を覚束なくも待つことに決心した。
 待つこと幾星霜、山は緑に包まれ、諸々の鳥は春を謳ひ、麗しき花は芳香を放ち、所狭きまで咲き満ち、神司はその光景を見て喜び勇み、あたかも天国の春に遇へるがごとく舞ひ狂うてゐた。されど清照彦の心の空はますます曇り、花は咲けども、鳥は歌へども、諸神司は勇み遊べども、自分に取つては見るもの聞くもの、すべてが吾を呪ふもののごとく、悲哀の涙はかはく術なく、日に夜に憂愁の念は増すばかりであつた。
 清照彦は天の一方を眺め、長大歎息を漏らす折しも、天空高く数十の鳥船は翼を連ね高白山めがけて降り来るあり、いづれの鳥船にもみな十曜の神旗が立てられてあつた。清照彦は、かかる歎きの際、又もや竜宮城よりいかなる厳命の下りしならむかと、心を千々に砕きつつ重き頭を痛めた。
 鳥船はたちまち清照彦の面前近く下り来りて、内より言霊別命、元照彦、梅若彦は英気に満ちたる顔色にて現はれ来り、言霊別命は第一に進んで清照彦にむかひ慇懃に礼を述べ、かつ容を改め正座に直り、
『われ今、稚桜姫命の神使として、当城に来りし理由は、汝に賞賜のためなり』
と云ひをはつて、数多の従臣に命じ善美を尽した御輿を鳥船よりかつぎおろさしめ、清照彦の前に据ゑ、
『汝は忠孝を全うし、かつ至誠をよく天地に貫徹したり。国治立の大神は深くこれを嘉して汝に珍宝を授与し賜ひたり。謹んで拝受されよ』
と莞爾として控へてをられた。清照彦は不審の念ますます晴れず、とも角もその厚意を感謝した。前方の輿よりは顔色美しく勇気凛々たる男神が現はれた。つらつら見れば思ひがけなきわが父荒熊彦であつた。第二の輿を開いて母の荒熊姫が現はれた。第三の輿よりは自殺せしと思ひし最愛の妻末世姫が現はれ、ただちに清照彦の手を取つてうれし泣きに泣く。清照彦は夢に夢見る心地して何と言葉も泣くばかり、ここに四人一度に声を放つて嬉し涙に時を移した。親子夫婦の目出たき対面に、高白山の木も草も空の景色も、一入光を添へるやうであつた。
 ここに言霊別命は懐中より一書を取出し、声も涼しく神文を読み聞かした。その意味は、
『長高山は汝荒熊彦、荒熊姫これを主宰せよ。また高白山は清照彦永遠にこれを主宰せよ』
との神勅である。
附記
末世姫は長高山の城中において自刃せむとしたるとき、たちまちその貞節に感じ、天使来りて身代りとなり、末世姫は無事に言霊別命の傍近く仕へてゐた。
(大正一〇・一一・六 旧一〇・七 加藤明子録)
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