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文献名1霊界物語 第5巻 霊主体従 辰の巻
文献名2第3篇 予言と警告よみ(新仮名遣い)よげんとけいこく
文献名3第20章 猿蟹合戦〔220〕よみ(新仮名遣い)さるかにがっせん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-03-27 13:52:13
あらすじ
顕恩郷の南には、エデン側をはさんで桃園郷という部落があった。顕恩郷の住人が蟹に変化するのに対し、桃園郷の住人は、猿のような出で立ちをしていた。

桃園郷は異常気象に見舞われて積雪・寒風吹きすさび、住人たちは飢えていた。ついに桃園郷の王は、顕恩郷を占領しようと企てた。

桃園郷の住人たちは夜陰にまぎれて顕恩郷に襲来し、果実で飢えを満たすと、鬨の声を上げて攻め寄せた。桃園王は大刀を引っさげて南天王の宮殿に暴れこんだ。

不意を突かれた南天王は桃園王の一撃に深手を負って、山中の鬼武彦の石像まで逃げて行った。

そこへ桃園郷の追っ手が迫ってきたが、鬼武彦の石像から怪しい光が発射し、強熱で桃園郷軍を追い払った。エデン河に追い立てられた桃園郷軍は、蟹と化した顕恩郷軍にさんざんに敗北した。

鷹住別の南天王は、最初の敗北と逃走で、顕恩郷の人々の信頼を失ってしまった。これはいつしか鷹住別が心を緩めて慢心し、祭祀の道をおろそかにした故であった。鷹住別夫婦は顕恩郷を飛び出して、モスコーへ逃げ帰ることになってしまった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月09日(旧12月12日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年4月15日 愛善世界社版117頁 八幡書店版第1輯 559頁 修補版 校定版120頁 普及版53頁 初版 ページ備考
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本文  顕恩郷の南方なるエデン河の南岸にあたつて橙園郷といふ一大部落がある。この国の長を橙園王といふ。この数年、何ゆゑか霜雪しきりに降り積り、時々寒風吹ききたつて橙樹実らず、この郷の住民いづれも饑餓に迫り、ほとんど共喰ひの惨状であつた。これに引換へ、北岸の顕恩郷は、北に高山を繞らし、東西に低き山を囲ひ、気候は中和を得、果実豊熟して、郷神の食事は常に足り余りつつあつた。
 対岸の橙園王はこの河を渡り、顕恩郷を占領せむことを造次にも顛沛にも忘れなかつた。されど顕恩郷は天上より降下したりてふ威力絶倫なる生神の親臨して固くこれを守り、かつ棒岩の鬼武彦の神霊、時に敵に向つて無上の神力を発揮し敵を艱ますとの風説を固く信じ恐れ、これが占領を躊躇しつつあつた。されど数多の住民の饑餓に迫りて苦しむを坐視するに忍びず、背に腹はかへられぬ場合となり、いちか、ばちか、一度占領を試みむと、住民を集めて協議の結果、夜陰にまぎれ、顕恩郷を襲ひ、自分らの安住所と定めむとした。
 顕恩郷の神人はすべて蟹面をなせるに引きかへ、この郷の住民はいづれも猿猴のごとき容貌の持主であつた。さうして全身荒き毛を生じ、ほとんど猩々のごとく、言葉は単にアオウエイの五音をもつてたがひに意思を表示してゐたのである。
 雨激しく風強く、雷鳴なり轟く夜を見すまし、大挙してエデンの大河を各手をつなぎながら打ち渡り、各自に棍棒を携へ、あるひは石塊をもち、顕恩郷に襲来した。夜中のこととてこの郷の神人らは一柱として、敵の襲来を感知するものはなかつた。橙園郷の住民は餓虎のごとく果実をむしり取り、飢ゑたる腹を膨らせ、元気はますます旺盛となつた。住民らは一所に集まつて議していふ、
『もはや吾々はかくのごとく元気回復したれば、強きこと鬼に金棒のごとし。いかに南天王の威力も、鬼武彦の神力も、何の恐るるところかあらむ、この期に乗じて南天王の宮殿を襲へ』
と橙園王は先に立つて鬨をつくつて進み寄せた。塒を離れて驚きさわぐ鶏の羽音に南天王は目を醒まし、耳をすまして殿外の声を聞きいつた。つひに聞き慣れぬ声であつて、ただウウ、エエとのみ聞ゆるのである。ただちに殿内の神人らを呼びおこし偵察せしめむとする時しも、橙園王は岩をもつて作りたる鋭利なる大刀を引提げ、奥殿目がけて阿修羅王の暴れたるごとく突進しきたり、南天王目がけて物をもいはず斬りつけたり。南天王はひらりと体をかはし、わづかに身をもつて山奥に免れ、棒岩の麓にいたつて強敵退散の祈願を籠めてゐた。さうして南天王は背部に重傷を負ひ、苦痛に悶えつつ岩下に打倒れた。春日姫はその後を追ひ、泣く泣く南天王に谷水を掬ひ来りて飲ましめ介抱をつくした。ウアーウアーの声はますます近く聞えてきた。鬼武彦の石像よりはたちまち怪しき光を発し、敵軍の群にむかつて放射した。敵はその光と強熱に堪へかねて、両手をもつて面部を覆ひ隠した、頭髪および全身の毛は、ぢりぢりと音して焼けるばかりになつた。いづれの敵人も残らず谷川に頭を突込み、臀部を上方に向け、あたかも尻を花立のやうにして、ぶるぶると震うてゐた。このとき尻は強熱に焼かれて赤色に変じてしまつた。顕恩郷の神人らは、たちまち得意の通力をもつて巨大なる蟹と変じ、谷川に倒さまになつて震うてゐる敵住民らの頭を左右の鋭利なる鋏にてはさみ切らむとした。中には頭を削られ、首をちぎられ、悲鳴をあげて泣く者もたくさんできた。橙園王は恐れて退却を命じた。いづれの人民も橙園王の指揮にしたがひ、命からがらエデンの河を渡つて橙園に逃れ帰らむとして河中に足を投ずるや、巨大なる蟹は水中にあまた集まりゐて、足を切りちぎつた。オーオーと声を張り上げて泣きながら、辛うじてその過半は無事に南岸に着き、その他は残らず滅ぼされてしまつた。これより橙園郷の住民は容易に顕恩郷に襲撃するの念を断つた。されど何時またもや襲来せむも計りがたしと、顕恩郷の神人らは安き心もなかつた。そして天津神の降臨と信任しゐたる南天王は、敵の橙園王に斬り立てられ、卑怯にも少しの抵抗をもなさず、背部に大負傷をなして石神のもとに逃げゆき戦慄しゐたるを見て、神人らは各自に心もとなく思ひ、かつ天神の天降りを疑ふやうになつてきた。
 鷹住別の南天王は、かくのごとく脆くも橙園王のために敗を取り、日ごろの神力を発揮し得ざりしは、衣食住の安全を得たる上に、神人らの尊敬畏拝するにいつしか心をゆるめ、やや慢心を兆し、天地の神恩を忘却し、祭祀の道を忽諸に附したるがゆゑであつた。これより南天王は部下の神人らの信任を失ひ、やむを得ず夜陰に紛れ、夫婦は手に手をとつて遠く、夜な夜なかはる草枕、旅の苦労を重ねて、つひに元のモスコーに辛うじて逃げ帰ることを得た。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 加藤明子録)
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