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文献名1霊界物語 第6巻 霊主体従 巳の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-05-01 11:12:56
あらすじ
太古の神霊界における政治の大要を述べる。数百万年以前のことであり、高熊山の霊学修行中に王仁が見聞したままを記憶から呼び起こして吐露するまでである。

本巻は、諾冊二尊が天照大御神の御魂の大御柱を中心に天から降り、天の浮き橋に立ってくらげなす漂える国を修理固成し、現代の日本である豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣とし神実として、地上のあらゆる世界を修理固成した経綸の大略を述べている。

それゆえ、舞台は日本のみではなく、地上神人界全体にわたって起こった出来事なのである。

太古の御神政は、神祭を第一とし、次に神政を行った。国々には国魂神があり、各国魂神はその国の神王、また八王といって八尋殿を建ててその至聖所に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、同殿同床で奉仕した。左守神、右守神(八頭)に神示を伝えて神政を司らしめた。

国治立命の御神政の時代には、天使長(あまつこいのをさ)という聖職があり、国祖の御神慮を奉じて各地の八王八頭を統轄していた。

諾冊二尊ご降臨の後は、伊弉諾の大神が八尋殿を作って造化三神を祀り、同殿同床の制を敷いた。伊弉冊尊は国の御柱神となって地上世界の主管者となった。

しかしながら時代が下るにつれて地上世界は体主霊従の邪気がみなぎり、収集できない状態になった。

ここにいたって、大神の神政を補佐するために、糞に成りますという埴安彦の神が現れて、天地の洪徳を世界に説示するために教えを立てて、宣伝使を天下に派遣することになったのである。

国祖・国治立命は天教山に隠れ、宣伝使を任命して地上世界に派遣した。これが、神代における治教的宣伝の始まりであった。このとき宣伝使に任じられた神人らは、多芸多能で、六芸に通達した神人ばかりであった。

後に埴安彦・埴安姫の二神が地上に顕現して麻柱(あななひ)の教えを説き、宣伝使を通じて世界の神人らの御魂の救済に尽くした。麻柱の宣伝使もまた、士農工商の道に通達し、天測を守り、忍耐を唯一の武器としてあらゆる迫害を甘受してその任務を尽くしたのである。

太古の人間の生活は決して楽なものではなかったが、天地の大恩を感謝して楽しく暮らしていた。地上の人間の数が増えるにしたがって弱肉強食の社会となってしまったのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月25日(旧12月28日) 口述場所 筆録者出口王仁三郎 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年5月10日 愛善世界社版1頁 八幡書店版第1輯 631頁 修補版 校定版3頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm060003
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本文  太古の神霊界における政治の大要を述べて見ようと思ふ。固より数百万年以前の事であつて、吾々人間としては、その真偽を的確に判別する事は到底不可能であります。然し王仁の述ぶるところは、臆説や想像ではない。また創作物でもない。高熊山における霊学修行中に、見聞したる有りのままを、覚束なき記憶より呼び出して、僅かにその片鱗を吐露したばかりであります。
 現代文明の空気に触れたる、天文地文学者や国学者および宗教家、哲学者などの、深遠なる知識から、この物語を見るならば、実に欠点だらけで、中には抱腹絶倒、批判の価値なきものと、断定さるるでありませう。しかし王仁の物語は、寓意的の教訓でもなければ、また虚構でもない、有りのままの見聞談である。
 総て霊界の話は現界とは異つて、率直で簡明であり、濃厚複雑等の説話は、神の最も忌み玉ふところ、女にも子供にも、どんな無知識階級にも、なるべく解り易く、平易簡単にして、明瞭なるを主眼とするが故である。
 本巻は、いよいよ天津神の命により諾冊の二尊が、天照大御神の御魂の大御柱を中心に、天より降り、天の浮橋に立ちて、海月なす漂へる国を修理固成し玉ひ、現代の我日本国即ち豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣となし、かつ神実として、地上のあらゆる世界を修理固成し玉うた神界経綸の大略を述べたものであります。それゆゑ舞台は、地球上一般の神人界に渉つた出来事であつて、区々たる極東我神国のみの神話を写したものでない事は勿論である。
    ○
 総て太古の御神政は神祭を第一とし、次に神政を行ひ、国々に国魂神があり、国魂神は、その国々の神王、又は八王などと云つて八尋殿を建てられ、殿内の至聖処に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、神王および八王は、同殿同床にて神明に奉仕された。さうして神政は左守神又は右守神(或は八頭神とも云ふ)に神示を伝へ神政を司掌らしめ玉うたのであります。さうして国治立命御神政の時代は、天使長と云ふ聖職があつて、国祖の神慮を奉じ、各地の国魂たる八王神を統轄せしめつつあつたのが、諾冊二尊の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き、伊弉冊尊を、国の御柱神として、地上神政の主管者たらしめ玉うたのであります。しかるに地上の世界は、日に月に、体主霊従の邪気漲り、物質的文明の進歩と共に、地上神人の精神は、その反比例に悪化し、大蛇、鬼、悪狐の邪霊は天地に充満して有らゆる災害をなし、収拾すべからざるに立ち致つた。そこで神界の神人の最も下層社会より、所謂糞に成り坐すてふ埴安彦神が現はれて、大神の神政を輔佐し奉るべく、天地の洪徳を汎く世界に説示するために教を立て、宣伝使を天下に派遣さるる事となつたのである。
 また国祖国治立命は天教山に隠れ、世界の大峠を免るることを汎く地上の神人に告げ諭し、大難を免れしめむとして、宣伝使神を任命し、地上の世界に派遣せしめ玉うた。これが神代における、治教的宣伝の濫觴であつたのである。さうして宣伝使神の任にあたる神は多芸多能にして、礼、楽、射、御、書、数の六芸に通達してゐた神人ばかりである。さうして一身を神に捧げ、衆生救済の天職に喜びて従事されたのである。
 それより後、埴安彦、埴安姫の二神司が地上に顕現して麻柱教を説き、宣伝使を任じて世界を覚醒し、神人の御魂の救済に尽さしめた。その宣伝使もまた、士、農、工、商の道に通達し、天則を守り忍耐を唯一の武器として労苦を惜まず、有らゆる迫害を甘受してその任務を尽したのである。現今の各教各宗の宣教師の、安逸遊惰なる生活に比すれば、実に天地霄壤の差があるのである。
 総て神の福音を述べ伝ふる宣伝使の聖職に在るものは、神代の宣伝使神の心を以て心とし、克く堪え忍び以て神格を保持し、世人の模範とならねばならぬのである。
    ○
 太古の人民の生活状態は、今日のごとく安全なる生活は到底望まれ得なかつた。家屋と云つても、木と木とを組み合せ、杭を地上に打ち、藤蔓の蔓を以てこれを縛り、茅や笹の葉や木の葉を以て屋根を覆ひ、纔に雨露を凌ぐものもあり、岩窟の中に住むもの、山腹に穴を穿ち、草を敷きて住むもの、巨岩を畳み、洞穴を造つてこれに住むものなどで、衣服のごときも、一般の人民は獣皮を身に纏ひ、或は木の葉を編み、草を編み、麻の衣を着るものは人民の中でも最も上等の部である。また絹布を纏へるは最も高貴なる神人のみであつた。
 夫れでも古代の人間は天地の大恩を感謝し、生活を楽しみ、和気靄々として楽しくその日を暮して居つたのである。さうして村々には酋長の如きものがあつて、これを各自に統一してゐた。遂には地上に人間の数の殖えるに従つて、争奪をはじめ、生存競争の悪社会を馴致し、弱肉強食の修羅場と化するに至つた。その人心を善導すべく、神の大御心に依つて教なるものが興り、宣伝使の必要を招来するに至つたのであります。
  大正十一年一月二十五日 旧十年十二月二十八日
      出口王仁三郎
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