太古の神霊界における政治の大要を述べる。数百万年以前のことであり、高熊山の霊学修行中に王仁が見聞したままを記憶から呼び起こして吐露するまでである。
本巻は、諾冊二尊が天照大御神の御魂の大御柱を中心に天から降り、天の浮き橋に立ってくらげなす漂える国を修理固成し、現代の日本である豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣とし神実として、地上のあらゆる世界を修理固成した経綸の大略を述べている。
それゆえ、舞台は日本のみではなく、地上神人界全体にわたって起こった出来事なのである。
太古の御神政は、神祭を第一とし、次に神政を行った。国々には国魂神があり、各国魂神はその国の神王、また八王といって八尋殿を建ててその至聖所に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、同殿同床で奉仕した。左守神、右守神(八頭)に神示を伝えて神政を司らしめた。
国治立命の御神政の時代には、天使長(あまつこいのをさ)という聖職があり、国祖の御神慮を奉じて各地の八王八頭を統轄していた。
諾冊二尊ご降臨の後は、伊弉諾の大神が八尋殿を作って造化三神を祀り、同殿同床の制を敷いた。伊弉冊尊は国の御柱神となって地上世界の主管者となった。
しかしながら時代が下るにつれて地上世界は体主霊従の邪気がみなぎり、収集できない状態になった。
ここにいたって、大神の神政を補佐するために、糞に成りますという埴安彦の神が現れて、天地の洪徳を世界に説示するために教えを立てて、宣伝使を天下に派遣することになったのである。
国祖・国治立命は天教山に隠れ、宣伝使を任命して地上世界に派遣した。これが、神代における治教的宣伝の始まりであった。このとき宣伝使に任じられた神人らは、多芸多能で、六芸に通達した神人ばかりであった。
後に埴安彦・埴安姫の二神が地上に顕現して麻柱(あななひ)の教えを説き、宣伝使を通じて世界の神人らの御魂の救済に尽くした。麻柱の宣伝使もまた、士農工商の道に通達し、天測を守り、忍耐を唯一の武器としてあらゆる迫害を甘受してその任務を尽くしたのである。
太古の人間の生活は決して楽なものではなかったが、天地の大恩を感謝して楽しく暮らしていた。地上の人間の数が増えるにしたがって弱肉強食の社会となってしまったのである。