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文献名1霊界物語 第7巻 霊主体従 午の巻
文献名2第1篇 大台ケ原よみ(新仮名遣い)おおだいがはら
文献名3第5章 日出ケ嶽〔305〕よみ(新仮名遣い)ひのでがだけ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
石土毘古の危急を報せたのは、元は竜宮城の従属であった豆寅である。豆寅は善悪正邪の区別なく、旗色のよしあしによって仕える軽率者であったが、本心は正直であった。大国治立命の御代以来、この男の行動を寛恕していたのも、心中には一片の悪意もないからであった。

豆寅は八岐大蛇の暴虐ぶりに驚いて本心に立ち返り、石土毘古の危急を報せに来たのであった。一同は豆寅の案内で、石土毘古のところに急行した。

そこは固い岩戸に閉ざされていたが、康代彦が祝詞を上げて打ち叩くと、脆くもさっと開いた。この勇気を賞して、日の出神は神名の一字を取り、康代彦を大戸日別を称した。

四柱は中に進み入った。豆寅は勇将たちに囲まれて、意気揚々と歌を歌ってしゃちこ張り、八岐大蛇に啖呵を切った。

八岐大蛇は吹き出して鉄拳で豆寅を打った。豆寅は中空を舞って岩窟に腰を打ちつけた。邪神の手下どもはいっせいに四柱に打ってかかった。

真鉄彦は真っ先に進み出て臍下丹田から息を吹きかけた。岩窟の中は狭霧に包まれ、辺りの様子も見えないようになってしまった。岩窟の屋根は落ち、天上の青雲が現れた。すると大蛇は部下を引き連れて黒雲を巻き起こし、ウラル山さして一目散に逃げ帰ってしまった。

日の出神は真鉄彦に、天吹男という名を与えた。そして東方の山頂に登り、天津日の神に感謝の祝詞を捧げた。この山を、日の出ケ嶽という。

大事忍男神は大台ケ原の守護神となり、石土毘古・石巣比女はこの岩窟を住処として国土を永遠に守護することとなった。

日の出神は、大戸日別、天吹男とともに、ゆうゆうと大台ケ原を下っていった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月30日(旧01月03日) 口述場所 筆録者桜井重雄 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年5月31日 愛善世界社版28頁 八幡書店版第2輯 46頁 修補版 校定版30頁 普及版12頁 初版 ページ備考
OBC rm0705
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本文  日の出神、石巣比売、その他二神の前に、息せき切つて現はれきたり、石土毘古の危急を報じたる男は、旧と竜宮城の従属なりし豆寅なりける。
 豆寅はその名のごとく、豆々しく何れの神人にも、よく仕ふる男なり。善悪正邪の区別なく、その旗色の善し悪しを見て、波のごとく漂ふ軽卒なるハシタ者なり。常に神業の妨害のみ不知不識の間に為しつつありしが、彼の本心は極めて正直なりける。
 大国治立の大神の御代より、この男の行動を看過し給ひしも、彼が心中には一片の悪意なかりし故なり。諺にも『腐り縄にも取り得あり、棒杭も三年経てば肥料となる』との筆法にて、至仁至愛の神は之を寛恕し給ひたるなりき。
 この時、豆寅は八岐の大蛇のあまりの暴虐に驚き、石土毘古を虐ぐるを見るに忍びず、驚いて本心に立ちかへり、その妻神の石巣比売に、この危急を報告したるなり。四柱神は豆寅を先頭に、巌窟の奥深く進みいりけるに、隔ての岩戸は堅く閉され一歩も進むこと能はざりしかば、四柱は止むを得ず、岩戸に耳をすりつけて様子を聞き入るに、邪神の囁く声、大蛇の呶鳴る声、石土毘古の怒り声、手にとる如く聞えけり。
 されど、岩戸は堅く閉されて開くこと容易ならざりしが、この時、康代彦は祝詞を奏上し、拳骨を固めて門戸を打ちたたけば、門は意外に脆く左右にサツと開きぬ。日の出神はその勇気を賞し、我が神名の一字を与へて大戸日別と称へしめたまひぬ。
 日の出神を先頭に四柱は、なほも奥深く進み入りぬ。流石に弱き豆寅も、四柱神の勇神猛将の力を藉り、虎の威を藉る狐のごとく、禿げた頭に捻ぢ鉢巻きをしながら、瓢箪を逆様にしたやうな面をヌツと突き出し、真先に進み劫託を並べ、
『こらやいこらやい八岐大蛇  今日は命の正念場
 この方を何と心得る  酒酌め豆寅汗拭け豆寅
 肩もめ豆寅腰うて豆寅  豆な俺ぢやと思ひやがつて
 今まで俺を酷使ひ  大事の大事の秘密まで
 サツパリ明したうつけ者  俺を何ぢやと心得る
 日の出神の一の乾児  その乾児モ一つ乾児また乾児
 そのまた乾児の豆狸  オツトどつこい豆寅の
 俺の頭を知らないか  目玉も光るがよく光る
 俺の頭にや日の出神が  宿つて御座るが知らないか
 八岐の大蛇の偉さうに  岩戸の中へと逃げ込ンで
 鳥なき里の蝙蝠か  弱い者虐めの曲津神
 豆寅さまのこの腕で  曲津の神も一掴み
 掴み潰して食てやろか  サアサアサア返答返答』
と、シヤチコ張りゐる。
 大蛇は噴き出し、
『塵に等しきヤクザ共、劫託ひろぐな』
と言ふより早く、鉄拳を堅めてポカリと打てば、豆寅は三つ四つ中空を水車の如く、くるくると廻つて、傍の巌窟に腰を打ちつけ、
『イヽヽヽイツタイ』
と泣き出す。曲津共は此方を目がけて一斉に詰め寄り来たる。
 真鉄彦は真先に進み出で、臍下丹田より息を吹きかくれば、忽ち巌窟の中は狭霧に包まれ、四辺を弁ぜざるに致りぬ。天地も破るるばかりの音聞ゆると共に、巌窟の屋根は落ちて、たちまち天上の青雲あらはれ来り、大蛇は数多の部下を伴ひ、黒雲を捲き起し、西方の天を目がけウラルの山指して一目散に逃げ帰りけり。
 日の出神は真鉄彦に天吹男神といふ名を与へたまひ、自分は東方の山巓に登り、天津日の神に感謝の祝詞を奏上したまひけり。この山を今に日の出ケ嶽とぞいふ。
 大事忍男神は大台ケ原の守護神となり、石土毘古、石巣比売は、この巌窟を住家とし、国土を永遠に守護し玉ふ事となりける。日の出神は大戸日別、天吹男を伴ひ、悠々として大台ケ原山を下り行く。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 桜井重雄録)
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