そして最後には、世界全体が一致して日の神の御国へ攻め寄せてくるのである。これが最後の世界の大峠である。
千引岩とは、君国を思う勇士の軍隊のことである。国家鎮護の神霊の御威徳、国防軍である。霊主体従国と、体主霊従国は、その国魂相応のやり方で立て分ける、という神勅が、事戸を渡す、ということである。和光同塵的なやり方ではもう行かない、ということである。
古事記に伊邪那美命が一日に千人を殺す、というのは大本の信者を一日に千人妨害して離教させようという邪神の企みを示している。それに対して、生まれ赤子の人民を千五百人養成しよう、と返しているのである。
人民を養成するチイホウブヤとは、神の血筋の因縁の御魂が寄り集まって霊主体従の本領を発揮する聖場である。綾部大本の神示の経綸がチイホウブヤ(千五百産屋)である。
黄泉大神は道敷大神とも言われる。チシキとは外に向かって乱を起こし、正道を妨害する大神、ということである。
それにたえして伊邪那岐命が道に置かれた道返大神は、邪道・邪神を防ぐ神ということである。
古事記に言うイフヤザカ(伊賦夜坂)とは、善悪正邪の分水嶺である。黄泉軍の経綸は惟神の大道に反している。ゆえに大動乱の末に破滅に至るのである。
どこまでも徳を積み重ね、よく隠忍して天下の大徳を保つ日本に対して、世界各国はほとんど争乱の極みに達して、正義人道は地を払い、⦿スに事のある暴国となっている。
ここに、仁義の神の国は、一切の善事瑞祥を発生して、仁慈大神の神世に復し治めるべきである。そうして、暗黒界に光を輝かせて、妖軍に悩まされて滅亡せんとする国土人民に対して、身命を投げ出して救助するべきである。
治国平天下の神の鍵を握るときであり、治乱・興亡の大境界線である現代も、またこれ、古事記に言う「出雲の伊賦夜坂」というべきものなのである。