伊邪那岐命は霊界の主宰者として、左の目を洗って、天照大御神を生みなされた。また右の目を洗って、月読命を生みなされた。目はもっとも重要な部分であり、宇宙を納める文字通り眼なのである。
天照大御神は、綾部の本部で祭っている神様である。
次に鼻を洗って須佐之男命を生みなされた。鼻は物質の元を意味する。また真ん中の位置を示し、統治を表すのである。
三貴神を得た伊邪那岐命は、喜んで御頸玉を天照大御神にお授けになった。この御頸玉の言霊解は、恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦をお授けになった、ということである。
天照大御神は全大宇宙の主宰であり、月読命はそれを助ける補佐の役目を与えられた、ということである。須佐之男命の海原とは、地球を意味している。
したがって、天孫降臨以前は、須佐之男命が地上をしろしめしていたことが、古事記からわかるのである。
しかし地上が混乱し、須佐之男命はたいへんお嘆きになった。神代といえども世が行き詰まって、さまざまなよからぬ事件が起こってきた。今日の状態も、古事記に見られる神代のこの岩戸開き前によく似ている。
伊邪那岐命は、このような状態になってしまったことで、須佐之男命を責められた。これは文武百官が体主霊従に陥り、政党の争いがあるため、須佐之男命がなにほど一柱で努力されても、混乱を治めることができなくなってしまったのである。
そのため、須佐之男命は責任をかぶり、母神・伊邪那美命のまします根の堅洲国(月界)へと帰りたい、と申し出たのである。
伊邪那岐命は、こうなってしまった原因は体主霊従の神々らにあることはわかっているのだが、彼らの眼を覚ますために敢えて、自分の子である須佐之男命を罰して、もって広く神々らを改心させようとしたのであった。
しかし体主霊従に陥った八百万の神々らは、かえって須佐之男命が主宰者として不適格であったと、冷淡な間違った考え方を持っていた。まことに、治めがたい世であったのである。