顕幽神の三界を説き明かす霊界物語は、神の御言をかしこみて朝夕に述べているものである。
しかし智者学者と自認する人たちは、「瑞月は百科全書を読破して、それを種に書いているのだ」と中傷するのである。
いったい、何を根拠にそんなことを言っているのか。百科全書を全部暗記して、それを種にして著作しているというなら、それはそれで、人間業を超えてたいしたものであろうが。そもそも、三日で千二百五十ページを口述する、この大著述が、人間業でできるものではないのだ。
「神諭は、大開祖の書いた錦の糸である。それを変性女子が手を入れて劣等糸にしてしまったのだ」などと言って、元の筆先を調べてみたら、錦の糸どころか元は桑葉のようなものであったことにアフンとして、今度は神諭はさっぱり当てにならないと、自己の不明を触れ歩くような人が、そのようなことを言うのだ。
一日も早く迷いの雲を晴らして、真如の日月を、迷える人の心天に照らさせたまえ。惟神お願い奉る。
「今の大本の変性女子は偽者で、やがて本物が現れる」「女子の御魂を根本改造しなくては、誠の道はいつまでも開けない」といって他に候補者を探しても、見当たらない。
「時節を待てば、みのか尾張の国の中で、変性女子がわかってくる。そうしたらもう大本も駄目だろう。一足先に行っているので、皆様あとからゆっくり来なさい。盲目千人の中の一人の目明きが気をつけるぞよ」などと慢心している、王仁はこのような言葉を聞くにつけて、気の毒でたまらない。
こんなわからぬ奴ばかり。盲目ばかりが物を言う。