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文献名1霊界物語 第34巻 海洋万里 酉の巻
文献名2第1篇 筑紫の不知火よみ(新仮名遣い)つくしのしらぬい
文献名3第8章 暴風雨〔949〕よみ(新仮名遣い)ぼうふうう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-09-13 13:10:15
あらすじ
黒姫は二人をせきたてたが、芳公と房公はどうしたことか、その場から動けなくなってしまった。黒姫は怒って二人をその場に置いて、先に行ってしまった。

残された二人は身体が動かないことに不安になったが、神様が休養をさせようとしているのだろうと善意に受け取り、気を落ち着かせた。そして逆に、先に一人で行ってしまった黒姫の身の上を案じ、自分たちの身体の回復と併せて祈願をこらした。

日は次第に傾き、大粒の雨が降り出した。二人は一生懸命に三五教の大神に祈りをこらしている。強風が吹きだして山の老木や巨石を吹き飛ばし始めた。

そんな中、風のままに宣伝歌が聞こえてきた。宣伝歌の主は玉治別であった。玉治別は黒姫が恋の闇に迷って筑紫の島まで高山彦を追ってきたのを言向け和して、心を鎮めて聖地に連れ戻すためにやってきたのであった。

房公と芳公は、神徳高い玉治別の宣伝歌を聞いて感謝の涙を流した。玉治別の宣伝歌が終わると暴風雨はぴたりと止んだ。二人の身体も自由がきくようになっていた。

二人は玉治別の姿を探したが、辺りには見つけることができなかった。そこでまず、先の暴風雨で行き悩んでいるであろう黒姫に追いつくこととし、先を急いで急坂を登って行った。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年09月12日(旧07月21日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年12月10日 愛善世界社版101頁 八幡書店版第6輯 398頁 修補版 校定版107頁 普及版41頁 初版 ページ備考
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本文
 房公、芳公の二人は、どうしたものか、尻が大地に吸ひついたやうになつて、ビクとも動けなくなつて了つた。黒姫は『早く早く』と急き立てる。されど二人の身体はビクとも実際動かなくなつてゐるのだ。黒姫はそんなこととは少しも気がつかず、余りのジレツたさに声を尖らし、
黒姫『コレコレ両人、お前はこんな所へ来て、此黒姫を困らす所存だな。あれ程事をわけて言ふのに、何故立たないのかい』
房公『黒姫さーま、何と仰有つて下さつても、如何したものか、チツとも足が立ちませぬワ、……なア芳公、お前はどうだ。チツと動けさうかなア』
芳公『おれも如何したものか、チーツとも動けないよ。地の底から鼈でも居つて吸ひつけるやうに、どうもがいたとて、動きがとれぬのだよ。あゝ困つたことが出来た。……モシモシ黒姫さま、一つ鎮魂をして下さいな』
黒姫『ヘン、今迄あれ丈能く喋り、あれ丈無花果を食つておき乍ら、そんな元気な顔をして居つて、足が立たぬの、腰が動かぬのと、能う云へたものだ。動けな動けぬで、私は先に失礼致します』
とピンと身体をふり、不足そうな顔をし乍ら、エチエチと登つて行く。瞬く中に黒姫の姿は木の茂みに隠れて了つた。
芳公『オイ黒姫も余程水臭い奴だないか……落ぶれて袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる……と云ふ古歌があつたねえ、黒姫に依つて、此歌の意を実地に味はふことが出来たぢやないか』
房公『オウさうだ……腰ぬけて涙に曇る山の路 黒姫さまの心知らるる……
黒姫が何時もベラベラ口先で チヨロマカしたる尾は見えにけり……
だ。アハヽヽヽ』
芳公『此様に脛腰立たぬ身を以て 人の事共誹る所か……
どうしても脛腰立たぬ其時は 野垂死より外はあるまい……』
房公『オイ、芳、そんな気の弱いことを言ふものぢやないよ。神様が何かの御都合で、吾々に少時休養を与へて下さつたのかも知れないよ。大方此向うあたりに、大きな大蛇が居つて、俺たち一行を呑まうと待ち構へてをるのを、大慈大悲の神様が助ける為に、ワザとに足が立たないやうにして下さつたのか知れぬ。何事も善意に解釈し、神直日大直日に見直し聞直し、何事が出て来ても、神様の恵を感謝し、災に会うても神を忘れず、喜びに会うても神を忘れぬ様に、誠一つを立てぬきさへすれば、神様が助けて下さるに違ひない、サア是から神言を奏上し、病気平癒の祈願をしようぢやないか』
芳公『それもさうだ。併し黒姫さまが、一人先へ行つたやうだが、其大蛇に呑まれるやうなことはあるまいかな。俺はそれが心配でならないワ。何程憎いことをいふ婆アさまでも、ヤツパリ可哀相なからな』
房公『それが人間の真心だよ。俺だつて、あゝ喧しく、黒姫さまを捉へてからかつてはゐるものの、はるばると夫の後を尋ねて、こんな所までやつて来る女と云ふものは、滅多にあるものぢやない。実に女房としては尊い志だ。俺はモウ黒姫のあの心に、実の所は感服してゐるのだ。どうぞ途中に災のない様、怪我のない様に先づ第一に御祈願し、其次に自分たちの病気の平癒を御祈りすることにしようかい』
芳公『ヤツパリお前もさう思ふか、それは有難い、どうしても人間の性は善だな』
房公『そこが人間の万物に霊長たる所以だ。神心だ。サア斯うして腰は立たないが、其外は何ともないのだから、まだしも神様の御恵だ。先づ感謝の詞を捧げて、次に祈願することにしよう』
と云ひ乍ら、二人は天津祝詞を奏上し了り、静かに祈願をこらし始めた。
房公『あゝ天地を造り固め、万物を愛育し玉うたる、宇宙の大元霊たる大国治立大尊様を始め奉り、天津神、国津神、八百万神々様、私はあなた方の尊き御威光と、深きあつき御恵に依りまして、此尊い地の上に生れさして頂き、何不自由なく、尊き日を送らして頂きました。そうして知らず識らずに重々の罪科を重ね、人間としての天職を全う致さず、不都合なる吾々をも御咎め玉はず、いたはり助けて此世を安く楽しく送らせ玉ふ、広きあつき御恩寵を有難く感謝致します。……此度三五教の宣伝使、黒姫様の御伴を致しまして、万里の海洋を渡り、恙なく此筑紫の島に渡らして頂き、此処迄無事に神様の懐に抱かれて登つて参りました。乍併、如何なる神様の御摂理にや、吾々両人は此木蔭に息を休めますると共に、不思議にも腰が立たなくなつて了ひました。これと云ふのも、全く吾々の重々の罪が酬うて来たので御座いませう。神様の広大無辺の大御心を、吾々として計り知ることは到底出来ませぬが、乍併、神様は吾々人間をどこ迄も愛し玉ふ尊き父母で御座いまする以上、何か吾々に対して手篤き御保護の為に斯の如く吾が身をお縛り下さつたことと有難く感謝致します。つきましては黒姫様は一足先に御立腹遊ばして、此坂路を登られました。何卒途中に於て、悩み災の起りませず、どうぞ恙なく火の国の都へお着きになりますやう、特別の御恩寵を与へ玉はむことを懇願致します。又吾々両人は如何なる深き罪科が御座いませうとも、大慈大悲の大御心に見直し聞直し、宣り直し下さいまして、何卒一時も早く、此身体に自由を御与へ下さいますやう、慎み敬ひ祈り上げ奉りまする、あゝ惟神霊幸倍坐世』
と合掌し、感謝の涙をハラハラと流してゐる。何程祈つても、如何したものか、二人の身体はビクともせない。
 日は追々と西山に傾き、一天俄に黒雲起り、礫のやうな雨パラパラとマバラに降り来る。雷鳴か暴風雨か将た地震の勃発か、何とも云へぬ凄惨の気が四面を包むのであつた。
 二人は撓まず屈せず、一生懸命に……三五教を守り玉ふ皇大神、吾等両人を始め、黒姫の身辺を守らせ玉へ……と主一無適に祈願をこらしてゐる。山の老木も打倒れむ許りの強風、忽ち吹き来り、巨石を木の葉の如く四方に飛ばせ、木を倒し、枝を裂き其物音の凄じさ、何に譬へむものも泣く計りなりき。
 此時何処よりともなく風のまにまに、宣伝歌が聞え来たりぬ。
玉治別『神が表に現はれて  善と悪とを立別ける
 此世を造りし神直日  心も広き大直日
 只何事も人の世は  直日に見直せ聞直せ
 身の過ちは宣り直せ  三五教の宣伝使
 吾は玉治別司  三五教の黒姫が
 筑紫の島に渡りたる  高山彦を探ねむと
 棚なし舟に身を任せ  渡り来ますと聞きしより
 斎苑の館を立出でて  メソポタミヤを打わたり
 ヨルダン河に棹さして  フサの海をば横断し
 いよいよ此処に来て見れば  思ひもよらぬ山嵐
 げに凄じき光景ぞ  さはさり乍ら吾々は
 誠の道の宣伝使  如何なる事も恐れむや
 朝日は照る共曇る共  月は盈つ共虧くる共
 仮令大地は沈む共  岩石雨をふらす共
 筑紫ケ岳はさくる共  神に任せし此身体
 玉治別の真心に  如何なる風もおし鎮め
 天ケ下なる人草の  百の災吹き払ひ
 助けてゆかむ吾心  あゝ惟神々々
 神の御霊の幸はひて  国霊神と現れませる
 純世の姫の神柱  吾れに力を添へ玉へ
 吾れは是より火の国の  都に出でて黒姫が
 暗路に迷ふ恋雲を  伊吹払に払ひのけ
 誠の魂を光らせて  自転倒島の中心地
 四尾の山の山麓に  大宮柱太知りて
 鎮まりませる神の前  導き帰り助けなむ
 神の御霊の幸ありて  此山嵐速に
 鎮め玉へば玉治別の  教司は逸早く
 三五教の黒姫に  出会ひて神の御詞を
 一日も早く伝へなむ  あゝ惟神々々
 御霊幸はひましませよ』
と歌ふ声、二人の耳に響き来たりぬ。
房公『オイ芳公、あの宣伝歌を聞いたか、どうやら玉治別の宣伝使が間近く見えたらしいぞ、神様は有難いものだなア。黒姫様にすてられた吾々両人は、脛腰立たず、苦み悶えている矢先、レコード破りの暴風雨に出会し、神様の御守りは信じ乍らも、戦々兢々として、如何なることか、今も吾が身を案じて居たが、神様の御恵といふものは実に尊いものだ。神徳高き玉治別命様にこんな所でお目にかからうとは、神ならぬ身の知らなかつた。あゝ有難い……神様、早速御神徳を吾々両人の目の前に下し賜はりました。何とも御礼の詞が御座いませぬ』
と涙と共に感謝する。芳公もはなを啜りしやくり泣きし乍ら、両手を合せ感謝の意を表してゐる。宣伝歌の声がピタリと止まつたと思へば、今迄山岳も吹き散れよと許り荒れ狂うて居た暴風雨も、拭ふが如く払拭され、空には雲の綻びより青雲の肌をチラチラと現はすやうになつて来た。雲の帳をあけて、天津日は漸く二人の頭上を斜に照らし始めた。
芳公『神様、有難う御座います。重ね重ねの御恵み、どうぞ今の宣伝歌の主に一目会はして下さいませ、御願ひで御座います』
と両手を合せ、又もや祈願に耽つてゐる。不思議や二人の腰は知らぬ間に、自由が利くやうになつてゐた。
房公『あゝ有難い、足が立つた、腰が直つた。オイ芳公、お前は如何だ。チと立つて見よ、俺は此通りだ』
と四股ふみならし、嬉しげに踊り狂ふ。芳公も案じ案じソウと腰を上げてみた。
芳公『ヤア俺もいつの間にか、神様に直して貰つた、あゝ有難し勿体なし、……サア房公、是からあの宣伝歌の声のした方を捜してみようぢやないか』
房公『どうも不思議だなア。つい間近に聞えた宣伝歌の声、斯うして登つて来た坂路を遠く見はらしてみても、人らしい影は見えない。乍併あの声は此坂の下から聞えて来た様だ。不思議なことがあるものだなア。確に吾れは玉治別司と歌はれた様に聞えたがなア』
芳公『確に俺もさう聞いた。ヒヨツとしたら、あの宣伝使が最前の蜂の巣の下で、休息され、あの猛烈な青蜂に目でもさされて、苦んで御座るのだあろまいかな』
房公『ヨモヤそんなヘマなことはなさる気遣ひもあるまい、又あれ丈神力のある宣伝使のことだから、蜂の布も大蛇のヒレも持つて御座るに違ない。そんな取越苦労はせなくてもよからうぞよ』
芳公『そうだらうかなア。そんなら、これからボツボツ此坂を登ることとしよう。黒姫様も最前の暴風雨で、嘸お困りだらうから、一つ追つついて御慰問を申上げねばなろまいぞ。玉治別の宣伝使も、或は此坂の上に御座るのかも分らない。風の吹きまはしやら、木谺の反響で、下の方から声がしたやうに聞えたのだらうも知れぬ。サア行かう』
と言ひ乍ら、両人は金剛杖を力に急坂を又もや登り行く。惟神霊幸倍坐世。
(大正一一・九・一二 旧七・二一 松村真澄録)
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