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文献名1霊界物語 第36巻 海洋万里 亥の巻
文献名2第3篇 神地の暗雲よみ(新仮名遣い)こうじのあんうん
文献名3第15章 眩代思潮〔1003〕よみ(新仮名遣い)げんだいしちょう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-10-10 13:25:15
あらすじ
竜雲とケールス姫は、涼しげな白衣を着て窓を引き明け、展開する山野の緑を眺めて酒を酌み交わし、雑談にふけっていた。暑い夏のことで、滲み出す汗で衣には斑紋ができていた。

ふとケールス姫が竜雲の背中を眺めると、頭部に角が生えた鬼が立っている形に汗染みができていた。ケールス姫はあっと驚き、竜雲の前に回って泣き伏しつつ、鬼が竜雲を狙っているから衣を変えるように、と歎願した。

ケールス姫は続けて、すっかり竜雲が恐ろしくなってきたと告白した。竜雲はからからと打ち笑い、一国の主を放逐して望みを遂げようという大望を果たすのだから、弱音を吐くものではない、悪人として度胸を据えろとケールス姫を叱咤した。

ケールス姫は、このような悪事はウラル教の盤古神王様もお許しになるはずがないと言い、竜雲はどうしても言って聞くような性分ではないことは知っているが、せめて自分はもう悪事から手をひかせて暇をくれるようにと嘆願した。

竜雲は、自分がこの地位までこられたのもケールス姫の悪事のおかげであり、姫こそ悪の張本人だと指摘した。そしてこの悪事は二人で責任を分担しなければならないのだ、と理屈を返した。

そして弱肉強食の現代においては、我々こそが現代思潮の真髄を体現した覇者・勇者であり、善悪は時と所と地位によって変わるもの、姫も古い道徳観念を捨てて新しい女にならなければならないと演説した。

そして社会の慣習や古い観念を打破して自由におのれの能力を発揮することこそ、盤古神王の教えにかなうことであると強弁して姫を説きつけた。

ケールス姫は黙然として善悪正邪の判断に苦しみ、その心は暗澹として迷いに捉われてしまった。竜雲も豪傑笑いに自分の悪事を正当化してみせたが、なんとなく良心のささやきに責められ、両人はしばし無言となってしまった。

そこへ竜雲の懐刀の青年テールが慌ただしく駆け込んできた。そしてサガレン王の軍勢が都に攻め来たり、さしもの大軍に味方は打ち破られ、落城の危険に見舞われていると注進した。そして二人に脱出するよう進言した。

そこへ左守のケリヤがゆうゆうと入ってきた。ケリヤの落ち着いた様子を見たテールは、この危急存亡のときに何をしているのか、とケリヤを問い詰めた。一方ケリヤは、今日のような風ひとつない日に何を騒いでいるのか、とテールに問い返した。

竜雲とケールス姫は、側近のテールの言葉を信じていたので、ケリヤの一喝し、ケールス姫は雄々しくも薙刀を取ってケリヤの足を打ち払った。そしてケールス姫は戦支度をして勇ましく門に駆け付けたが、門前に人影もなく、門番たちはのんびり酒を酌み交わしていた。

ケールス姫と竜雲は厳しくテールを叱責した。テールは両人の身を案じるあまり、恐ろしい夢を見たのだと言い訳した。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年09月23日(旧08月3日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年12月30日 愛善世界社版153頁 八幡書店版第6輯 637頁 修補版 校定版159頁 普及版66頁 初版 ページ備考
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本文  久方の天津御空はドンヨリとして、暗雲低迷し、四方の山々は白雲の断片を胸腹のあたりに纓め、何とはなしに蒸しあつく、風は殆ど其権威を失ひ、白楊樹のデリケートな柔かな新芽さへビクとも動かぬ陰鬱の気漂ふ。神地の城の別殿は、幾十丈とも知れぬ岩石、地球の中心より根ざしたるかと思はるる如く抜き出し、其上面は殆ど西瓜を縦に切つたやうな平面を現はしてゐる、風景よき上津岩根に建設されてある。
 竜雲、ケールス姫の二人は、涼しさうな布を以て織上げたる白衣を身に着し、窓を引あけ、展開せる山野の緑を眺めて酒酌みかはし、心地よげに雑談に耽つてゐる。さしもに暑き夏の空、何とはなしに、四肢五体より滲み出だす汗水に麻の衣までアトラスの如き斑紋を描いてゐる。ふとケールス姫は竜雲の背を眺むれば、何の制縛も受けないと云つた様に、恣に滲み出でたる汗は衣を少しくこげ茶色に染め、輪廓正しく、不思議な斑紋が現はれてゐるので、近寄り見れば、人が立つてゐる様に見える。姫は何となく心掛り、竜雲の背に近寄つてよくよく覗き見れば、頭部に角を生やした鬼の形であつた。「アツ」と驚き竜雲の前に廻つて泣き伏しつつ、
『竜雲様、竜雲様』
と連呼し、
『早く其衣を脱がせ玉へ。あなたには鬼が付け狙つて居りまする。妾はそれを見るより、俄に貴方が怖くなつて参りました。否々サツパリ厭になりました。どうぞ其麻衣を脱ぎ捨てて下さいませ』
 竜雲はカラカラと打笑ひ、
『アハヽヽヽ、どうせ鬼も居らうし、大蛇も居るであらう。何と云つても一国の主を放逐し、天下の覇権を握ると云ふ英雄にはすべて半面のあるものだ。神仏の心を以て如何して此大望が遂行されようか。そんな訳の分らぬ弱音を吹くものでない。そして自然的に滲み出た汗の斑痕を見て、驚くといふ者が何処にあらうか。其方も此竜雲と心を協せ、ここ迄大事をやつつけた位の悪人だから、モウ少し度胸を据ゑないと、到底生存競争の激烈なる現代に立つて、完全な生活を続くる事は出来なからうよ』
『何は兎もあれ、俄に吾身が恐ろしくなつて参りました。どうぞお頼みですから私にお暇を下さいませ。不義不道の行為を以て、神に対し忠実なる勤めをなしたとは如何しても考へられませぬ。私は第一にあなたに帰依し、次にウラルのお道に帰依し、次で盤古神王様の神徳に帰依した者で御座います。盤古神王様は決して悪神では御座いますまい。さすればあなたの行為を決してお許し遊ばす筈はなからうと存じます。今に如何なる天罰が酬い来るやも知れますまい。あなたは飽く迄も初心を貫徹せなくては、後へは引かない御気象だから、何程私がお諫め申しても、到底駄目でせう』
『これは又異なる事を云ふではないか。人の心は持方が肝腎だ。此竜雲だとて今日の地位に納まり返つて居られるやうになつたのは、八九分迄其方の内助に依つたからである。言はば其方は、竜雲に悪逆無道を勧めた張本人だ』
『エヽ何と言はれます。私が悪の張本人とは聞き捨てならぬ其お言葉……』
 竜雲は嘲笑ひ、
『何を云つても同じ穴に棲む貉だから、此責任は二人で分担せなくてはならないのだ。併し乍ら今の世の中は、奸者侫人、悪逆無道を敢行する丈の器量ある者を称して、英雄豪傑、紳士紳商、国民の選良と持て囃すのだ。現代思潮の真髄を極端に体験したる吾々両人は、実に現代に於ける勇者だ、覇者だ。善悪といふものは、時と所と地位とに依つて変るものである。人間も肉体のある限りは、何と云つても衣食住の完全を望まなければ、人生は嘘だ。下らぬ古き道徳観念に捉はれ、半死人的行為をなすを以て至善の道と迷信してゐるやうな人物は、最早此世界に生存の価値もなければ、見識もない馬鹿の骨頂だ。それだからこの竜雲は無抵抗主義を標榜する人類愛善の教の三五教や、人間の階級を三段に分けて、上中下三流に対し社会的待遇を異にするやうな矛盾を、平気でやつてゐるバラモン教は猶更嫌ひだ。すべて世界の人種は有色無色を問はず、一切平等に神の恩恵……語を換へて言へば、自然の天恵は偏頗なく均霑さるべきものだ。今日の矛盾不合理極まる社会の習慣を打破し、智者をして其智を振はしめ、勇者をして其勇を活躍せしめ、自由競争を以て社会の原則となさねばならない。さすれば力一杯の大活動もする事が出来、野に叫ぶ聖人は頭を抬げて、平素懐抱せる其妙智妙案を発揮する様になるのが所謂一切平等、偏頗なき自然の神慮に叶つたものである。さうだから姫も今迄の旧慣をスツカリ放擲し、日進月歩の今日だから、吾教に従つて、世界第一の新しき女となつて、其驍名を竜雲と共に世界に輝かすだけの覚悟を持つて貰はなくちやアならない。此夫にして此妻あり、諺にも鬼の夫に蛇の女房といふ事がある。これは取りも直さず此世界を造り玉うた盤古神王さまが、比喩を作つて、世界万民の口に知らず知らずの間に伝へさせ玉うたのである。これ程鬼大蛇悪魔の蔓る世の中に処するには、それ以上の強圧力がなくては到底駄目だ。鬼と蛇との夫婦が現はれて、世界を統一するといふ予言を神さまがしておかれたのだ。其予言の体顕者は即ち吾等両人だ。自由自在に行使すべき独特の権能者だ。仮令根の国底の国が仮りにありとしても、此現幽神の三界は残らず盤古神王様の掌握し玉ふ所、盤古神王の御意に叶うた行動をなす者が如何して罪になるものか。姫も少しは胸に手を当てて、よく考へて見たがよからう。善悪不二、正邪一如と云ふではないか。人の体だつて前後ろがある。吾背中の鬼の斑紋は吾唯一の守護神が顕現したのだ。前から見れば実に円満具足の好男子、真善美の極致に達した立派な竜雲王である。裏面より見れば即ち悪鬼羅刹の首魁である。床の間の掛物を見てもさうではないか。あの通り美しい絵画が描かれてあるが、彼の軸の裏面は実に粗末な紙計りの殺風景な品物ではないか。人間の同じ一つの体にも、清浄無垢にして日月にも比喩ふべき両眼のあると共に汚穢極まる大小便の噴出口があるであらう。此噴出口が汚穢だと云つて取り去つて了ふものなら、到底全身の安静を保つ事は出来ない、従つて何程美しい両眼も忽ち其光明を失つてしまふであらう。葱の白根を見てもさうではないか。土にかくれた汚い臭気のある所に却て無限の味がある。屍のある所には鷲集り、濁れる水には数多の魚集まり来る。これ位な天地の道理が分らなくて、如何して神地の城の花形役者となつて、世に時めく事が出来るであらうか。チツと其方も改心をして貰はねば、此竜雲の社稷は到底保たれないぢやないか』
『そんなら盤古神王さまのお為になる事、お心に叶ふことならば、人の認めて悪逆無道とする所も、敢へて神さまはお咎めなさらないのですか。そんなら一つ伺ひますが、それだけ智謀絶倫、神力無双の竜雲さまの危き生命を助けたエームスは、なぜ牢獄へ投ぜられたのです。エームスは言つてゐたぢやありませぬか……人の生命を助くるのは、人間として最善の行ひだと思ふ。然るに思はざりき、人を助けて罪人となり、暗き獄舎につながれて、日夜苦悶をつづけねばならぬならば、吾々は最早此社会に手も足も出す事は出来ない……と云つて居りましたでせう。それは如何いふ解釈になるのでせう。一向此点が合点が参りませぬ。盤古神王さまの御為に働きながら、又もや盤古神王の為に根底の国の牢獄に身魂を投込まれるやうな悲惨な事は出来はしますまいか』
『天に風雨の障りあり、人に病の悩みあり、心に雲のかかる事あり。仮令日月晃々として下界を照らすと雖も、中空に今日の如く暗雲とざす時は、日月の光も地上に透徹せない如く、此竜雲だとてヤハリ宇宙の模型、天地の断片だから、心天の日月、黒雲に閉ざさるる事も偶にはあるであらう。されど疑の雲一度晴れなば、心天忽ち清明となり、真如の日月は其光を放つやうになつて来る。それは一時の雲の障りだ。決して曇つた空は永遠に晴らさないといふ盤古神王さまは御約束はなさらない。そんな小問題に齷齪してゐて、此一国をどうして支へ保つて行く事が出来ようか。賢いやうでも流石は女の愚痴、イヤもう呆れて物が言はれないわい、アツハヽヽヽ』
と肩をゆすつて豪傑笑ひに紛らす。其狡猾さ加減、流石の盤古神王も呆れて三舎を避け玉ふであらう。
 ケールス姫は黙然として差し俯むき、暫くは善悪正邪の判断に苦しみ、或は鬼となり、或は神となり、獣となり、大蛇となり、時々刻々に吾心の変化を目撃して益々迷路にふみこみ、咫尺暗澹として壺中につめこめられたる如き心理状態となつて了つた。一方竜雲も空威張して、前の如く言ひ放つてみたものの、何とはなしに良心の囁きは彼が論旨を一々否定せむと、勢猛くいき巻き来るやうであつた。二人は黙然として暫く無言の幕をつづけてゐた。
 かかる所へあわただしく顔色変へて駆込み来る一人の男は、竜雲が常に懐刀として寵愛してゐるテールといふ青年である。彼は自分の居間に閉ぢ籠り、ウラル教の経文を一心不乱に研究しつつあつた熱心なる竜雲崇拝者である。
『モシモシ御二方様、タヽ大変な珍事が突発致しました。悠々閑々として御座る時ではありますまい。サア一時も早く縄梯子をかけ、此岩窟をお下り遊ばし、谷川を越えて暫し御身を忍ばせ玉へ、危険刻々に迫り来る!』
と顔色変へて、何となく落付かぬ体にて言ひ放つを竜雲、ケールス姫はテールの言に打驚き、竜雲は立膝しながら、
『一大事とは何事なるか』
と忽ち形を更め、言葉せはしく問ひつめるを、テールは其前に据ゑおかれたる瓶の水を二口三口グツと呑み、胸を撫で下し、
『されば候、テールの吾は書斎に閉ぢこもり、神書を研究する折しもあれ、俄に騒ぐ庭の群烏、人馬の物音かまびすしく、風が持て来る攻め太鼓、はげしく追々近寄る金鼓の響、敵は間近く押寄せたり。何者の反逆なるかと、あたりを見れば廊下の勾欄、コレ幸ひと云ふより早く、猿の如くかけ登り、眼下の村手をキツと見渡し眺むれば、思ひ掛なき三つ葉葵の旗印、合点行かぬと見る内に、先に立つたるサガレン王を始めとしテーリス、エームス其他の勇将、武備をととのへ、雲霞の如き大軍を引率し、単梯陣の構へを以て三方よりチクリチクリと攻め来る、其光景の物々しさ。こは一大事と、テールは味方の守兵を駆り集め、勇敢決死の若者数十人、手鎗を揃へて寄せ来る敵に向つて、真一文字に突進し、縦横無尽に突き立て薙ぎ立て、斬りまくり、暴虎馮河の勢を以て詰め寄れば、流石の敵も辟易し、雪崩を打つて三町許り、数多の死傷者を残こしつつ退却したりと思ひきや、左右の林の中より、俄に現れ来る数万の軍勢、こは一大事、深入りしては却て敵に謀られむ、無念ながらも、予定の退却をなさむと、表門へと引返す数十の味方は、或は討たれ或は遁走し、残るはテール只一人と脆くもなりにけり。ケリヤ、ハルマの両人は、見る見る内に敵の為に捕へられ、其他の部下は卑怯にも甲をぬぎ、白旗を掲げ、敵に降服したる其腑甲斐なさ。テール一人如何に切歯扼腕すればとて、大廈の将に覆へらむとする時、一木の支ふ能はざるの如く、無念乍らも只一人、此危急を君に報ぜむが為に、群がる敵を伐立て薙立て、此処まで無事に立帰つて候。イザ早く此場を立退き玉へ。長居は恐れ、早く早く……』
と夢中になつて急き立てる。其様子の決して虚偽とも思はれねば、二人は忽ち顔色を変へ轟く胸を無理に鎮めむとすれども、俄の驚異にハートの鼓動は暴風雨の吹き荒ぶが如く、大地震の如く鎮静すべくも見えず、歯はガチガチと震ひ出し、手足は戦き見るも憐れな光景なりけり。
 斯かる所へ悠々として入り来る左守神のケリヤは、テールの様子と言ひ、竜雲、ケールス姫のそはそはしき行体を眺めて不審に堪へず、三人の顔を見比べ、テールはケリヤの此処に入り来りしを見て、言葉せはしく、
『貴殿は左守神のケリヤ殿では御座らぬか。かかる危急存亡の場合、何悠々として御座る。早く防戦の用意をなし、敵を千里に撃退し、君の御身辺をお守りなさらぬか』
といきり切つてまくし立てる。ケリヤは少しも合点往かず、
『今日の如き天地寂然として声もなく、風もなき夏の日に、何をうろたへ召さるか。又竜雲さま、ケールス姫さまは、何としてかくもそはそはしく遊ばすや、合点が参りませぬ。何とか是には深き仔細が御座いませう。つぶさに仰せ付け下さいますれば、ケリヤはケリヤとしてのベストを尽し、君の御心を安んじ奉りませう』
 竜雲は言せはしく、
『ケリヤ、其方は今日の敵の攻撃を何と心得居るか。一刻の猶予もあるまい。早く防戦の用意を致せ!』
『コレは心得ぬ其言葉、敵なきに何を以て防戦の用意に及びませう。ナニ、是は大方何かの御考へ違では御座いますまいか』
『エー腑甲斐なき其方の言葉、斯くの如く押しよせ来るサガレン王の大軍を、其方は何と心得て居らるるか。イヤ分つた、其方はサガレン王に内通し、王の神軍を甘く引入れ、妾を滅さむとする、憎き張本人であらう。モウ斯うなる上は容赦はせぬ、覚悟せよ!』
とケールス姫は、長押の薙刀取るより早く、ケリヤに向つて伐つてかかる。上を薙ぎ下を払ひ一進一退、水車の如く薙刀を使ふ。其修練の早業、鬼神も近付く可らざる勢なり。
 ケリヤは身に寸鉄も帯びず、又余りの驚きに度を失ひ、逃場を求めて迷ひ居る。憐れやケールス姫の薙刀はケリヤの足をかすつた。「アツ」と悲鳴を上げ其場に打倒るるを姫は見向もなさず、
『竜雲どの、其鎗を以てわれに続かせ玉へ…』
と表をさして襷十字にあやどり、後鉢巻リンとしめ、女武者の凛々しき姿、阿修羅王の荒れたる如く駆出し見れば、人の影は何処にもなく、門番のシール、ベスの両人は門館に胡坐かき、気楽さうに鼻唄をうたひ乍ら、チビリチビリと酒を酌みかはしてゐた。ケールス姫は合点行かず、吾居間に引返せば、竜雲は奥の間に腰をぬかして身動きならぬまま、鈍栗眼をギロつかせてゐる。報告に出て来たテールは亦同じく肝玉を潰し、以前の場所につくばつた儘身動きもせず目をパチつかせてゐた。ケールス姫は言葉きびしく、
『テール、汝テール、虚偽の報告をなして、吾等の心を動かしたる不届きな奴、サア汝は何者に頼まれたか、一伍一什を白状致せ』
『ハイ、今になつて能く考へて見ますれば、あまり御両人様の御身の上を案じ過して居つたもので御座いますから、知らず知らずに眠つた間に、あんな恐ろしい夢を見たので御座いませう』
 竜雲は安心と怒りの混線した声を張り上げて、
『不都合至極の卑怯者、否馬鹿者だなア。以後はキツと慎んだがよからうぞ』
『ハイ、誠に誠にソソウ致しました……』
『ホヽヽヽヽ、えらい夢の相伴をしたものだ』
(大正一一・九・二三 旧八・三 松村真澄録)
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