神地の城は天恵的に火の洗礼を施され、すべての建造物は焼け落ちたが浄化された。また人々はその身にまったく傷を負うこともなかった。人々はサガレン王派も竜雲にしたがっていた者も、一同神徳に感謝した。
そして天の目一つの神の導師のもとに、国治立大神、塩長彦大神、大国彦大神を祀る祭壇を作り、天津祝詞を奏上して感謝と悔い改めの祈願をこらした。敵味方、宗教の異動も忘却してひたすら神恩を感謝し、たちまち地上の天国は築かれた。
サガレン王がもしもの時のための用意に造っていた河森川の向こう岸の八尋殿は、火災に遭わずに残っていた。王は一同を率いて新しい八尋殿に入り、天の目一つの神、君子姫、清子姫を主賓として感謝慰労の宴会を開いた。
竜雲とケールス姫も、この宴の片隅に息を殺してかしこまっていた。悪霊が脱出した竜雲は、依然と打って変わってその身は委縮し、以前のような気品や勢いがなくあわれな姿になってしまった。
人は守護する神の如何によってその身魂を向上したり向下したりするものであり、善悪正邪の行動を行うものである。
また悪魔は、常に悪相をもって顕現するものではなく、善の仮面をかぶって人の眼をくらませ、悪を敢行しようとするものである。逆に悪魔のごとく恐ろしく見える人々の中にも、かえって誠の神の身魂の活動をなし、善事善行をなす者のたくさんある。
ゆえに人間の弱い眼力ではとうてい人の善悪正邪は判別しえるものではない。人を裁く権力を有し給うのは、ただ神様だけなのである。みだりに人を裁くのは神の権限を冒すものであり、大きな罪なのである。
悪霊が脱出して委縮した竜雲も、再び正義公道に立ち返って信仰を重ね、神の恩寵に浴すれば、以前に勝る身魂を授けられるのである。ケールス姫は一足先に改心をなしたため、比較的泰然としてこの場に会った。
竜雲とケールス姫は懺悔の歌を歌い、恥ずかしげに片隅に身をひそめてうずくまっている姿は、人々の同情を誘うほどであった。