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文献名1霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻
文献名2第3篇 阪丹珍聞よみ(新仮名遣い)はんたんちんぶん
文献名3第14章 夜の山路〔1026〕よみ(新仮名遣い)よるのやまみち
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-10-22 11:37:14
あらすじ
大阪を去る前に佐一の餅屋を尋ねたところ、そこで一夜の宿をいただけることになった。いつしか佐一の一間に雑魚寝で寝入ってしまった。

西日の中、淀川のほとりにたたずんで大阪城を眺め、感慨にふけっていた。すると十二三歳の少年が番頭風の男に追われている。聞けば、店先の薬を盗んだのだという。

少年は、母が病気で苦しみ、貧乏で薬も買えずに苦しんでいたところ、どうしても薬が欲しくなって手が出てしまったのだという。喜楽は五十銭出して、少年のために薬を買ってあげた。

番頭風の男は怒りに口汚くののしりながら、五十銭をひったくるように受け取って帰ってしまった。喜楽はその無情さに歯ぎしりしながら見送っていた。

そして、この貧しい少年の境遇を見ても、鄙も都も暗黒世界は同じものだとため息をついていた。すると、佐一の妻のお繁婆さんにゆすり起こされた。今の夢は、神様の御心で喜楽の心に戒めを与えられたものだと気が付いた。

また郷里には母や祖母のあることを思いださしめ、早く帰国させようというお計らいであったことが、後日感じられた。

丹波への帰り道、夜の山路の岐路で迷っていると、怪しい白衣の旅人が現れ、案内をするように進んで行く。怪しみながら着いていくと、眠気に襲われて道端の六地蔵の屋根の下に横たわり、眠り込んでしまった。

ふと目を覚ますと、怪しい女が赤ん坊を背に負い、『南無阿弥陀仏』と唱えながら地蔵の数多から水をかけて祈願しているようである。喜楽は恐ろしくなったが、気を落ち着かせ、恐ろしい思いをしながら山道をたどって一目散に馳せかえった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月10日(旧08月20日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年3月3日 愛善世界社版176頁 八幡書店版第7輯 97頁 修補版 校定版184頁 普及版87頁 初版 ページ備考
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本文  喜楽は懐淋しく、何となしに力落ちがして愈帰国の途に就かむとした。一度空心町の斎藤の家に暇乞ひに立寄つて見ようと思ひ、再び訪れると、佐市夫婦を始め、四年以前に一寸悶錯を起して別れた娘が折よく来て居た。お繁婆アさんは粋を利かして、狭い内だけれど今晩は泊つて帰れと云ふ。そこへ十六七の富野といふ妹が居るので、僅四畳半の間で、五人が雑魚寝することとなつた。姉娘のお秋といふのが夜の十時頃に、ガラガラと車でやつて来て、何だかブツブツ小言を云ひ乍ら、おいのといふ女を合乗りで連れて帰つて了つた。油揚を鳶にさらはれたやうな気分で、喜楽は舌打ちし乍ら眠に就いた。併し乍ら此時の喜楽は一切の情欲に離れ、只信仰一点張に酔つ払つて居た時だから、昔の女に出会ひ一間に寝た所で、別に旧交を温めようとも何ともそんな考へは持つて居なかつた。乍併何となくなつかしいやうな気がして、其女と同じ家に一宿することを嬉しく思うて居たのである。
 夜は容赦なく更け渡る。四人は何時の間にか安々と眠りについて了つた。
    ○
 永き春日も稍西に傾いて、淀の川水に金鱗の光を流す、水瀬も深き浪速潟、水の都の天神橋の上に立つて、首を傾け思案にくれてゐた。巽の方を見れば、山岳の如く巍々として築き上げられた、宏壮雄大なる大阪城が水に映つて、薨がキラキラと西日に輝いてゐる。喜楽は之を見て感に打たれ、独言を云つてゐた。
『あゝ人間の運命といふものは不思議なものだ。二百八間の矢矧の長橋に菰を纏うた腕白小僧の藤吉郎も、忍耐勉励の功空しからず、登竜の大志を達成し威徳赫々として、旭日東海の波をけり、躍り出でたるが如く、遂に六十余州の天下を掌握し、三韓を切り従へ、大明王を驚かせ、万古不朽の偉業を後世に伝へた。話に聞くも実に心持よき英雄である。豊太閤だとてヤツパリ人間の生んだ子だ。彼も亦同じ百姓から生れた人間だ。豊太閤の幼時の境遇は、又喜楽の当時に酷似してゐる。矢矧の橋ならぬ天神橋の袂、自分も此処で一つ何か思案をせなくてはなるまい。折角無理算段をして持つて来た旅費はいつの間にか、煙の都の煙と消えて了ひ、何一つ持つて帰るべき土産もない。精神一到何事か成らざむや、吾れも太閤の成功位に甘んじては居れまい。神を力に誠を杖に、五六七神政の基礎を固めねばならぬ』
と往来しげき橋の上にて、吾れを忘れて雄健びなしつつ、空想にからるる一刹那、ドンと突当つた十二三歳の子供があつた。喜楽は驚いて其子供の顔を見つめてゐる。あとより息せき切つてかけ来る三十前後の番頭風の大男有無をいはせず子供を引掴み、打つやら、蹴るやら、乱暴狼藉を恣にしてゐる。子供は悲鳴をあげて、泣き叫ぶのを、物見高い大阪人の常として、忽ち橋の上は三人、五人、十人と立止まり、往来止めの姿と変つて了つた。番頭風の男は尚も続いて手首を無理に固く執り、腕もぬけむ計りに引張り乍ら、
男『一寸警察迄出て来い!』
と引きずつて行かうとする。喜楽は見るに見かねて、
喜楽『モシモシ暫く待つてやつて下さい。どんな悪いことをしたか知りませぬが……』
と言はせも果てず、男は言も荒々しく、
男『お前は田舎下りの旅人、構うてくれな。此奴アチボの玉子だ。今店先にあつた実母散を一服かつさらへ、逃げ出してうせたヅ太き小僧だ。今後の戒めに橋詰の巡査に引渡すのだ』
と鼻息あらく、エライ権幕で睨みつける。子供は薬の包をそこへなげ出し、両手をつき、涙乍らに泣きわびるいぢらしさ。喜楽は此子供もウブからのチボではあるまいと思ひ、大の男に向つて言葉を叮嚀に、子供に代つてあやまり、子供の言ふことを聞訊してみれば、
子供『私の母は永らく子宮病とかに罹つて苦み最早生命も危うなつて居ります。貧乏の為に薬を買ふことも出来ず、お医者さまに診て貰ふことも出来ないので、居乍らお母アサンの死ぬのを見るに忍びず、日々エライ心配をして居りましたが、隣の人の話によると、女の病には実母散を呑んだら、キツと全快すると聞いて、俄に其薬が欲しくなり母を大事と思ふ一念から、後前の弁へもなく薬屋の店先にあつた実母散を一服持つて逃げて来ました』
と語り了つて、ワツと計り其場に泣き倒れた。孝行息子の心にほだされて、喜楽も思はず知らず貰ひ泣きをし乍ら、懐を探つて五十銭を取出し、
喜楽『此薬を私に売つて下さい、そして子供の罪を許してやつて下さい』
といへば、大の男は面をふくらせ乍ら、
男『此奴は許し難い奴だが、今日はお前に免じて忘れてやるから今後はキツと慎め!』
と口汚く罵り、一服十銭の薬に五十銭を引つたくるやうにして受取り、ツリをも払はず肩を怒らして帰つて行く其無情さ。血も涙も通はぬ男かなと、怒りの色を現はして、帰り行く男の姿を歯ぎしりし乍ら見送つて居た。

 草枕旅にし出でて悟りけり
  空恐ろしき人の心を

 大阪と云へば日本三大都会の一つ、商業発達の大地で七福神のみの楽天地と思うて居つたのに、今目のあたり貧児の境遇を見聞して、どこへ行つても、ヤツパリ秋には秋が来る、冬はヤツパリ冬だ、暗黒界は鄙も都も同じものだと溜息つくつく、『アヽアヽ』と歎いた声が、側に寝てゐるおしげ婆アサンの耳に入り、
『コレコレ喜楽サン、何寝言をいつてるのだ』
とゆすり起されて気がついてみれば、狭い餅屋の四畳半に眠つてゐた。今の橋の上の夢の中の出来事は神さまの御心によりて、喜楽の心を鞭撻し、郷里に一人の母や、老祖母のあることを思ひ出さしめ、早く帰国させむとの計らひなりしことが後日に至つて感じられた。
 易者の言葉に励まされ  丹波の国へ帰らむと
 心の駒に鞭うつて  車も呼ばずトボトボと
 梅田の駅につきにけり  仕度なさむと懐中を
 探りてみれば情ない  残りの金は二銭半
 汽車はあれ共乗るすべも  何と線路の真中を
 一直線に膝栗毛  腹も吹田のうまやぢの
 茶店にひさぐ蒸し芋は  栗より甘い十三里の
 道程一歩又一歩  茨木町を北に取り
 丹波をさして帰り行く  頃しも四月十五夜の
 月は東の山の端に  丸き面をあらはして
 ニコニコ笑ませ玉へ共  夕べの空の何となく
 心淋しき一人旅  東も西も南北も
 知人もなくなく山路を  空の月かげ力とし
 一度通りしおろ覚えの  山と山との谷路を
 どこやら不安の心地して  岐路ある所に停立し
 首をかたぐる時も時  忽ち前に現はれし
 怪しき白衣の旅人は  四五間先へ立つて行く
 喜楽が進めば彼進み  立止まれば又止まり
 モウシモウシと声をかけ  呼べど答へぬ白い影
 或は現はれ又は消え  変幻出没不思議なり
 二股道に現はれて  又もや案内をする如し
 怪しみ乍らも力得て  足を運べど空腹と
 疲れの為に進みかね  眠けの鬼におそはれて
 街路に転倒し乍らも  眠たさ怺へて帰り行く
 西別院の村外れ  下り坂にとさしかかる
 水さへ音なき丑の刻  道の片方の細谷川を
 隔てて狭き墳墓あり  六地蔵さまを祀りたる
 小さき屋根が見えてゐる  ここにて雨露を凌がむと
 厭らし墓と知り乍ら  天の与へと喜びて
 六体並んだ石地蔵の  しりへに身をば横たへて
 手枕したままグウグウと  華胥の国へ上りゆく
 あゝ惟神々々  御霊幸はへましませよ。
 あたり寂然として静まり返る時しもあれ、夢か現か幻か、吾枕頭に近く聞ゆる女の忍び泣く声、幽かに耳に入ると共にフと目をさませば、喜楽は六地蔵の後に横たはつてゐることに気が付いた。
 喜楽の頬に、冷たい水のしぶきがかかる。キツと目をあけて見れば六地蔵の前に余り背の高くない、横太い怪しい一人の女が、赤ん坊を背に負ひ乍ら、土瓶のやうな物を片手に提げ、石地蔵の頭から、『南無阿弥陀仏』といひ乍ら、冷たい水をかけて、何事か切りに、石地蔵に訴へてゐるやうである、喜楽は轟く心臓の鼓動を強て鎮圧し、息を殺して伺ひ居れば、怪しき女の影は一歩々々とゆるぐが如く、しづしづとして新しい墓の前に到り、マツチをすり蝋燭を点じ、合掌し乍ら泣き声になつて、伏し屈んでゐる。石地蔵の立つてゐる隙間から、此様子を覗きみた喜楽は俄に恐怖心にかられ、頭の毛はちぢみ、体はふるひ出し、寸時もここに居たたまらず、厭らしさに此場を逃げ出さうかと思つたが、腹の底から小さい声で、『待て』と云ふやうに聞えて来た。此声に自分は再び胴をすえ、直日に省りみることを得た。……喜楽は顕幽両界の救済者たらむとする霊学の修業者である、今幸ひにして斯の如き怪霊に出会し、研究の好材料を得たのは全く神さまの御心であらう。よく考へて見れば天が下に素より妖怪変化のあるべき筈がない、何れも皆心の迷ひから怖くない者が怖くなつたりするのである。何でもない者を妖怪変化だと思つて、昏迷誑惑其度を失はむとしたのは、何たる卑怯であらう。長途の旅にて心身疲労の結果、こんな妄想に陥つたのではあるまいか……と、キツと心胆を据え、目を見はれば妖怪でも幽霊でもなく、田舎婦人が何事か急の出来事の為に、此真夜中に亡き夫の墓に参つたのであるらしく、稍久しく祈つた後、『南無阿弥陀仏』と力なげに口ずさみ乍ら、ヨボヨボと元来し細谷川を渡つて、其姿は木立に紛れて見えなくなつて了つた。
 女の姿の消えしより、喜楽も亦俄に恐ろしくなつて来た。永居はならじとソロソロ立上り、頬かぶりをなし、尻をひつからげ、コワゴワ渓流を渡り、山路に出でたる一刹那、
『怖いツ!』
といふ子供の叫び声が、つい足許に聞えて来た。喜楽は此声に二度ビツクリし乍ら、
『何にも怖いことはない、俺は人間だ!』
と呼ばはりつつ後ふり向きもせず、一目散に足の痛みも忘れて、法貴谷の方へと走せ帰るのであつた。
(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 松村真澄録)
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