『天帝一物を創造す。悉く力徳による。故に善悪相混じ美醜互に相交はる』とは、道の大原の最初に示された聖句である。
全知全能の神が創造した世界になにゆえ、美醜善悪の違いがあるのかについては、いろいろと理屈をこねる人もある。しかしながらこれは全く力徳の塩梅によるものと断定を下してあるのは、万古不易の真理なのである。
力徳は一朝一夕に説き明かすことはできないが、つづめて言えば、動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力の活動がどうなるかによって、善悪・美醜・大小・強弱が分かれるのである。
大本では、人は万物の霊長であるのみならず、『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり』と断定しているのである。これも出口教祖の二十七年間の筆先の大精神を通観して得たところの断案である。
天地経綸の司宰者である人間にも、また善悪・美醜・大小・強弱の区別があって、中には経綸の妨害をなす人間もたくさんに出来ているのである。この大原因は天賦の力徳の過不及による結果であり、いわゆる身魂の因縁性来によるものである。
しかし人は神様に次いで尊きものであるから、世界を善に進め美に開くべき天職を、天賦的に持っているものである。人間は小なる神、神の生き宮としてこの世に生れ出たのである。
そうである以上、終生神の御旨を奉戴して天地の御用を助け奉ることが、人として生まれ出た本文を尽くすことになるのである。
人間は裸で生まれてきたから裸で死ねばよいという捨て鉢根性では、人生天賦の職責は遂げられない。それどころか、神界より選ばれて生まれさせていただいた大神の御聖旨に背く罪人となってしまうのである。
天地神明の大業に奉仕し、政治を進め、産業を拓き、真の宗教を宣伝し、道義心の発達を助けて世界の醜悪を駆追し、真善美の天地に進めて行かねばならない。
皇祖天照大神様の建国の御主旨は政教慣造の四大主義の実行である。政は万世一系、教は天授の真理、慣は天人道の常、造は適宜の事務。この四大主義を実践するのが人生の本分である。ただ天下公共のために自分としての転職を尽くし得ることが肝心である。
役員や信者の中には、出口教祖のお筆先によって、私に対して空想を描いている人が多い。またなにほど筆先の精神を縦横無尽に説いても、それは教祖の筆先に出ていないと言って十分に感得させることができないことは、実に遺憾である。
自分の肉体に対して好意を表してくれてはいるが、肝心要の真実の精神を汲み取ってくれるものが少ないのは、自分にとって最大の苦痛である。
役員や信者の迷信を利用して猫をかぶっていたなら、物質的方面のことはどんなことでもできたであろう。しかしながら、自分の天授の良心が、どうしてもそんなことは許さない。神の道は方便や手段では行かない。
至誠至直の神に仕える身分としては、神の大道より他の道を歩むことはできない。今日の場合にはいかにしても社会一般の誤解を正し、大本を正しく理解させることが必要であると感じたから、神様に一身をささげて口を提供し、物語を発表することとなったのである。
混濁せる社会に対して一身をささげて五六七の御代に奉仕しようという誠の人は、一日も早くこの物語の精神に目をさまし、天下万民のために誠を尽くしていただきたいものである。