丹波何鹿郡東八田村字淤与岐という小さな村がある。大本に因縁深い木花咲耶姫命が祀られている弥仙山のふもとである。ここに吉崎兼吉という不思議な人があって、自ら九十九仙人と称している。
彼は七歳のときに白髪異様の老人に山中で出会って様々な神秘を伝えられてから、筆先を書き表して、天のお宮の一の馬場の大神様の命令を受けて、天地の神々に大神の神勅を宣伝するのをもって天職となしていた。
家族や近隣からは発狂者とみなされていたが屈せず、二十五六歳のころから郷里を出て口上林村の山奥に入って、木こりをしながら板に神勅を書き表して暮らしていた。
その筆先の大要とは、「いよいよ天運循環し、われわれ大自在天派の世界は済んでしまった。これからは綾部の大本へ世を流して、神界の権利を艮の金神に手渡ししなければならない」というものであった。また出口教祖の古き神代からの因縁なども、あらまし書き表してある。
上谷の幽斎修行場で、この九十九仙人の精霊が四方春蔵に神懸り、足立正信、四方春蔵と喜楽の三人に神界のことを引き継がなければならないから、至急三人来てくれと依頼文をしたためた。
しかし足立と春蔵は、喜楽を出し抜いて自分たちだけが神界の秘術に預かろうと、先に出立してしまった。教祖に相談して、喜楽は二人を追いかけて行くことになった。
途中、山番の小屋で足立と春蔵が山番の爺さんと金銭のことでもめているのに追いついた。喜楽はそこに割って入り、山番に山道の修繕費用を渡した。これは、九十九仙人の精霊が山番の爺さんに懸って、三人の心を試していたということが後でわかったのである。
足立と春蔵は、喜楽に追いつかれて面食らい、捨て台詞を残して小屋を出ると、さっさと山路を登って行ってしまった。しかし山番の老人は、喜楽に九十九仙人の小屋への近道を教えてくれたので、五六丁も登ると仙人の小屋に着いた。
仙人は喜楽を歓暮迎し、神界の秘事を一夜間の間に諄々と説き諭してくれた。それは高熊山の修行で神界から見せられていたことと一致していたので、自分の信念はいよいよ強くなってきた。
九十九仙人は、足立と春蔵は大変な野心を起こしたために、神様から足止めをくっているのだと語った。果たして二人は濃霧のために方向を誤り、谷に転落してけがをするなどほうほうの体で山番の老人の小屋に戻って怒鳴りつけられていた。
二人は翌日の十一時ごろ、山番の老人の案内でようやく仙人の小屋に現れた。仙人は足立に対して、面部に殺気が現れているから早く惟神の道に立ち返るようにと忠告した。また春蔵に対しては、盤古の霊が守護しているから、大望を捨て、ただちに良心に立ち返って神界に仕えるように、と忠告した。
仙人は、時節が到来して自分の役目は今日で終わったので、明日からは人界に下って人場の勤めにしたがって余生を送ることにする、再び訪ねて来てももう話すことは何もない、と言って山奥に姿を没してしまった。
三人は帰途に就いたが、四方春蔵は盤古の悪霊に憑依され、喜楽を排斥しようと多くの役員信者を籠絡して計画を立てていたが、一年後にたいへんな神罰をこうむって悶死するに至った。慢心と取違は、実に慎むべきである。