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文献名1霊界物語 第40巻 舎身活躍 卯の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3序文に代へてよみ(新仮名遣い)じょぶんにかえて
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ日の出神諭 データ凡例 データ最終更新日2020-05-17 01:28:48
あらすじ
瑞月は大正十年十月十八日(旧九月十八日)より、教祖神霊の示教のまにまに明治三十一年二月、高熊山の霊山に天使に導かれて幽斎の修業中、神幽二界を探検して見聞した事柄を後述し始めた。

そのとき、非法の三玉とか自ら称えている守護神どのの急忙な催促の下に、擬理天常非の出の神とか、大小軍とか床夜姫とかの筆先を見てもらいたいと申し込まれた。

けれども神様の御注意によって、『霊界物語』霊主体従第十二巻の後述を了るまでは一枚も見ることはできない、しかし第一輯が出来上がったら一見してもよい、との約を履行すべく、たくさんの筆先を読んでみたところ、抱腹絶倒せざるを得ませんでした。

要するにヒポコンデルの作用でできたもので、取るに足らぬ支離滅裂の乱書狂の世迷言を並べ立てたものであった。

まったく狐狸のいたずらに出たもので、男子女子の御霊をかつお節に使って、擬理天常非の出の神とかいう邪霊妖神の浅薄な奸計に出たものである。去る明治三十二年の夏、上谷の幽斎修業の際に四方某の体内に出入して書いた筆先そのままの文句であった。

神界のことがわからない人々の中には、一時に迷うものもあるかもしれない。実に困ったものである。万一、こんな神の書いたことを信じる人があるとすると、それは決して心の正しい人ではない。

誰の霊魂はどうだとか、彼の霊魂はどうだとか下らないことを言って、邪神が世人を狂惑しているのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年11月01日(旧09月13日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年5月25日 愛善世界社版前付 1頁 八幡書店版第7輯 411頁 修補版 校定版前付 1頁 普及版前付 1頁 初版 ページ備考
OBC rm400001
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本文  瑞月は大正十年十月十八日旧九月十八日より教祖神霊の示教のまにまに去る明治三十一年二月高熊山の霊山に天使に導かれて幽斎の修業中、神幽二界を探険して見聞したる事柄を口述し始めむとした時、非法の三玉とか自ら称へて居る守護神どのの矢を射るやうな急忙な催促の下に、擬理天常非の出の神とか大小軍とか床夜姫とかの筆先を見て貰ひたいと申込まれました。けれども神様の御注意に由つて『霊界物語』霊主体従第十二巻の口述を了るまでは一枚も見る事は出来ない。併し第一輯が出来上つたら一見してもよいと約しておいたのを履行すべく、沢山の筆先を読んで見た所、抱腹絶倒せざるを得ないやうになりました。
 要するにヒポコンデルの作用で出来たもので、採るに足らぬ支離滅裂の乱書狂の世迷言を並べ立てたものであつた。全く狐狸の悪戯に出でたるもので、男子女子の御霊を、松魚節に使つて、擬理天常非の出の神とかいふ邪霊妖神の浅薄なる奸計に出でたるもので、去る明治三十二年の夏、上谷に於て幽斎修業の際に憑依し来り、四方某の体内に出入して書いた筆先その儘の文句である。神界の事の分らぬ人々の中には一時は迷ふものもあるであらうが、実に困つたものである。万々一こんな神の書いたことを信ずる人がありとすれば、それは決して心の正しい人ではない。仮令正しい人でも、その精神上に大欠陥がある人々であることを表明しておきます。誰の霊魂はどうだとか、彼の霊魂は斯うだとか下らぬ事を謂つて、邪神が世人を誑惑して居るのである。有苗の輩が歓んで読むべきものである。併し今何程言を尽して、注意を与へても、その一派のカンカン連は容易に耳に入れないから、茲に書き誌して後日の証に致しておきました。一寸参考のために、

 ぎりてん上ひのでのおおかみたいしよ十ういちねんの十うがつのに十うさんにちのおんふでさき
 (註)かなづかひ原文のまま
 前文省略
 あやのたかまのはらにおいては、なんしさまと、のしがあらわしてあるのも、よのもとからのいんねんで、みたまのはたらきのごよおが、てんちさまから、せかいおたてなおすための、りよかがみであるから、なんしさまは、かみのあがないなり、のしわ、せかいいばんにあらわれておいでるいきみやのしごおいたしておいでますしごおじんが、これがこのよのたいしようであると、いちにんかまうしごおじんが、うゑからしたまで、かみのしんりきよこどりいたして、ちからだけにはばりた、かみのそのなかでも、とくべつつみのふかい、つみびとのつみとるための、あがないとなりて、ごくろおなごよおであるのに、そのごよおしりつゝ、みわけがつかぬため、のしのいきみやにむかうときわ、けがらわしいともおして、しおできよめはらいおいたして、むこおたものがありたが、それはいたんまごころで、たかまのはらでは、たつとりもおとすよおにもおした、なかむらたけぞおともおしたかみであるが、そのかみは、あまりなんしと、のしとのなかで、かたよりがいたしたために、あとからのかみがみに、ぶちよほおがありてはならぬから、こゆうことのないよおに、いとおになりかわりて、十うまんどおのせいばいのごとくのゑらいせめくで、われとわがでにおふでさきおまるのみいたして、わるいかがみにでておるから、これからさきが、なんしさまとのしのしよねんばのおしゑであるから、おおさかだいもんまさみちかいと、やしろじんしやのしんせいかいとが、りよかいなとなりて、まことのみちおたてる、ひのでのかみのちから、ごのかみのおおじであるによて、せかい十うの、おおひろきおおやしまに、ゑだはとなりてあらわれておいでますいきみやに、よのはじまりの、こぼんのかみのしんりきうけついで、いちいちしんりきさしこまねばならぬじせつがみなきたのであるから、いちにうといたして、おおもんじんじやにあつまるいきみやは、いんねんなしにはあつめてないから、みなかみのことであるから、うやまいよおて、ておひきよおて、あしなみがそろおてきたら、このうゑはしんかいのおしぐみが、げんざいにあらわれてきかけたのが、もとのかみよともおすのであるぞよ、とおときことである。

 マアざつと、ひのでのかみさんとやらの、おふでさきのよりだしが、こんなものです、このなかにも、じやしんのいんぼうが、ふくざいしてゐますから、かんがへてごらんなさい。
  大正十一年十月二十九日
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