その一
現代人は霊界一切の事物と人間一切の事物との間に一種の相応があることを知らず、また相応がどのようなものであるかを知る者がない。我と世間に執着して天界から遠ざかってしまっているからである。
古の宣伝使や信者は、相応に関する知識をもってもっとも重要とみなし、これによって智慧と証覚を得たのである。相応の理を知得して天人の知識を得、思索することなお天人のごとく、またしばしば主神とも相見るを得てその教えを直接に受けた者もたくさんある。
自然界は太陽の下にあって熱と光を受ける一切の事物を言う。自然界に属するものはすべて、太陽によって存在を継続するのである。一方、霊界に属するものは天界にある。
人間は一小天界にして、また一小世界である。至大なるものを模しているゆえに、人間の中に自然界もあり霊界もあるのである。心性に属して智と意とに関する内分は霊界を作り、肉体に属して感覚と動作に関する外分は、自然界を成す。
自然界に属する肉体や感覚や動作が、その存在の源泉を霊界に有する時、すなわちその心性、智力、意力から来るときは、これを相応者という。三五教の宣伝使にして以上の相応の真理を知悉しない者はただの一人も無かった。実に主の神の神格を十分に認識しえたからである。
この物語を心にひそめて神の大御心のあるところを会得し、相応の真理を覚り、現界においては万民を善道に救い、死後は天界に上って天人の班に伍して神業に参加されることを希望するものである。
その二
主神の国土は、目的の国土である。目的とは「用」そのものであるため、主神の国土を称して用の国土ということもできる。主神は神格の始めに宇宙を創造し形成し給うや、はじめは天界においてなし給い、次に世界において至るところ、動作の上・結果の上に用を発揮しようとし給うた。
自然界の創造と形成は、天界と同様、種々の度を経て次第をおって、その終局点にまで至らなければ已まない。そのため、自然界事物と霊界事物、世間と天界の相応は、用によって成就する。
この用を中に収めるのは、形体である。和合の媒介によって、この形体が、天界と現界において相応をなすのである。自然界に在っては、用のために、用によって造られたものはみな「相応者」である。
人間にあっては、神の法則にしたがって生活する、主神に対して愛があり、隣人に対して仁ある限り、その行動は「用の形態」に現れたものなのである。
人間は、自然界を霊界に和合せしむるための方便である。すなわち、和合の媒介者となることが、その用なのである。けだし、人間には自然界と霊界と二つの者が備わっているものである。
人間は霊的なることにおいて和合の媒介者となるが、もし自然的であるだけならば、媒介者となることはできない。そうはいっても神格の内流は人間の媒介を経なくても、絶えず世間に流れ入り、人間内の世間的事物にも流れてはいる。
以上のごとく、神の法則にしたがう者はことごとく、自然界にあって天界に相応している。これと反するものはみな、地獄と相応している。天界に相応するものはみな善と真とに関係があるが、地獄と相応するものはみな、偽りと罪悪に交渉している。
霊界が諸々の相応によって自然界と和合しているがゆえに、人は諸々の相応によって天界と交通することができる。人間でありがなら諸相応の知識に住しているときは、その霊的、内的人格において天人と和合しているのである。
地上においても最太古の人間は天的人間であって、相応によって思索していた。ただ自然的な思索は方便にすぎなかったのである。太古の人間は天人とたがいに相交わり相語り、天界と世間の和合は、彼らを通して成就していた。これが黄金時代である。
次に白銀時代になると、もはや人間は相応そのものから思索するのではなく、相応についての知識によって思索していた。なお天と人との和合はあったが、以前のように親密ではなかった。
次に赤銅時代になると、その思索は相応の知識によらなかった。彼らの善徳は自然的のもので、以前のように霊的ではなくなっていた。この時代以後は人間は次第に外的となり、肉体的となり終え、相応の知識も亡びて霊界に関する多くの事項も会得しがたくなってしまった。
さらに下って黒鉄時代となった。黒鉄は冷酷な真を表す。善はここに居らない時代である。現代は黒鉄時代を過ぎて泥土世界と堕落し、善も真もその影を没した暗黒無明の地獄である。
国祖の神はこのような惨憺たる世界を松の代、三五の代、天国の代に復活せしめようとして不断的に愛善と真信のために御活動あそばしつつある。
これを思えば我々は安閑として現代を看過することはできない。一日も早く神の教えに眼をさまし、善のために善を励み、真のために真を照らして空前絶後の神業に参加されることを希望する次第である。