高天原の大主宰神は大国常立尊である。またの御名は天之御中主大神と称え奉る。その霊徳が完全に発揮し給う御状態を称して天照皇大神と称え奉るのである。
この大神様は厳霊と申し奉る。厳という意義は、至厳至貴至尊にして過去、現在、未来に一貫し、無限絶対無始無終にまします神という意義である。愛と信との源泉と現れます至聖至高の御神格である。
あるときには瑞霊と現れて、現界、幽界、神界の三方面に出没し、一切万有に永遠の生命を与えて歓喜悦楽を下し給う神様である。瑞という意義は、水々しということであって、至善至美至愛至真にましまし、かつ円満具足の大光明ということである。また霊力体の三大元に関して守護し給うゆえに三つの御魂と称え奉り、現・幽・神三界を守り給う。
神は宇宙にただ一柱ましますのみであるが、その御神格の情動によって万神と化現し給うものである。厳霊は経の御魂と申し上げ神格の本体とならせ給い、瑞霊は実地の活動力におわしまして御神格の目的(用)をなし給うべく現れ給う。ゆえに言霊学上、瑞霊を豊国主尊と申し奉り、また神素盞嗚尊とも称え奉るのである。
厳霊は高天原の太陽と現れ給うが、瑞霊は高天原の月と現れ給う。ミロクの大神を月の大神と申し上げる。ミロクは至仁至愛の意味である。その仁愛と信真によって宇宙の改造に直接当たらせ給うゆえに、漢字にて弥勒すなわち「いよいよ革む力」と書く。これによってこの神の御神業を知ることができる。
善悪不二、正邪一如ということも、自然界の法則を基礎としてはとうていその真相はわからない。これらの言葉は、自然界の人間が言うべき資格はない。ただ神の大慈大悲の御目より見給いて仰せられる言葉であって、その大愛に区別がないことを示しているのである。
人は自然界に身を置きながらも、霊主体従といって神を先にし愛の善と信の智を主として世に立たなければならない。しかし現代人はどうしても体を重んじ霊を軽んじて物質的欲念にかられて地獄に落ちやすい。
こうした現界の不備欠点を補うために、大神は自ら地に降りその神格によって精霊を充たし、予言者に天界の福音を宣伝せしめ給うにいたったのである。
人間は天人の養成器となり苗代となるべきもので、天人は人間の善徳が発達したものである。ゆえに人間は、現界の生を終えて天国に復活し、天国をますます円満ならしめるべく活動するために、大神の目的によって造られたのである。
大神の神格の内流は終極点である人間の肉体に来たり、そこに留まってその霊性を発達せしめ、しかして天国に復活し、ここに初めて天国各団体を構成するに至るものである。ゆえに人は天地経綸の司宰者といい、天地の花といい、神の生き宮と称えるゆえんである。
治国別と竜公は、言霊別命の案内によって第一天国に着いた。ここには得も言われぬ荘厳を極めた宮殿が立っている。これは日の大神の永久に鎮まります都率天の天国紫微宮であって、神道家のいう日の若宮である。
宮殿の前の広庭には天人が列をなして一行が来るのを歓喜をもって迎えていた。言霊別命はこの情景を指さして二人に示したが、二人はただ輝く光と天人の姿がかすかに見えるだけであった。
二人は言霊別命の後にしたがい、天人たちが歓迎する中、被面布をかぶって静かに進んで行った。言霊別命は門内に二人を待たせて奥に進んで行った。二人は園内の美しさに驚きに打たれて吐息をもらしている。
そこへ目もくらむばかりの光を放ち、ゆうゆうと入り来る天女があった。二人は思わず大地にしゃがみ敬礼を表した。この女神は西王母といって伊邪那美尊の御分身、坤の金神であった。
女神は言霊別命が奥殿から帰ってくるまで、二人に庭園を巡覧させようと桃畑に導いた。庭園は前園、中園、後園に区画されており、西王母は二人に桃園の説明をしながら案内した。
前園の桃は三千年に一度熟し、これを食う者は最高天国の天人の列に加えられる。中園の桃は六千年に一度実り、これを食う者は天地とともに長生きし不老不死の生命を続けることができる。後園の桃は九千年に一度実り、これを食う者は天地日月と共に生命を等しくする。
西王母はこの因縁の詳細を治国別に説いた。この密意は容易に発表することはできない。しかし桃は地上においては三月三日に花咲き、五月五日に熟するものであることは、この物語に示された。これによってこの桃にどんな御経綸があるかは推知できるであろう。
西王母はひとたび地上に降臨して黄錦の御衣を着し、数多のエンゼルと共にこれを地上の神権者にささげ給う時機があることは、現在流行の謡曲によっても推知することができるであろう。
西王母は桃園の案内を終わり、二人に別れを告げて神姿を隠し給うた。二人はその後ろ姿を伏し拝み、示された神界経綸の密意を覚り合掌して感涙にむせんだ。
そこへ、紫微宮の黄金の中門を開いて現れ来た美しい天女が五色の光輝に満ちた羽衣を来て現れ来たるその荘厳さとその円満の相は、二人にとっても天国巡覧以来初めてであった。
十二人の天女たちは無言のまま二人を差し招いた。今まで聞いたこともない微妙な音楽が四方から起こり、芳香馥郁として薫じ、二人は歓喜に充たされてかすかに天津祝詞を奏上しながら進んで行った。