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文献名1霊界物語 第51巻 真善美愛 寅の巻
文献名2第4篇 夢狸野狸よみ(新仮名遣い)むりやり
文献名3第17章 狸相撲〔1332〕よみ(新仮名遣い)たぬきずもう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-09-15 18:20:19
あらすじ
お菊は夜明け近くになってきたので、小北山へ帰ることにした。そして暗がりに落ちていた石をニ三十拾うと、初と徳がいると思われるところに投げつけた。そして、文助の仕返しをしてやったとすばしこく帰ってしまった。

初と徳は、さらにお菊が投げた石つぶてに額や鼻を打たれて、三日ばかりウンウン唸り続け、懐のパン切れをかじって飢えをしのぐ有様であった。

ようやく手足が動くようになった二人は、暗闇から二人を馬鹿にして殴りつけ、石つぶてを打ち付けたのは高姫と杢助だと思い込み、仇を打たねば置かないと杖を突いて進んで行った。

二人は足をチガチガさせながら浮木の森にやってきた。見れば、椿の根元に高姫が泥まぶれになり、羽織を裏向けに来て、大きな狸が二匹付き添い、椿の花をおとしてうまそうに密を吸っている。高姫は一生けん命にブツブツ言いながら、腐った竹筒に草をむしっては入れ、馬糞を掴んではねじ込んでいる。

初と徳は、高姫が大きな古狸に化かされているのを見ていると、狸は椿の葉を口にくわえ、花を頭にかぶり、三つ四つ体をゆさぶると、十四五の美しい乙女になってしまった。高姫は二人の狸が化けた乙女に手をひかれ、目をつぶったまま首を振って、立派な火の見やぐらの中に引っ張られていった。

二人は抜き足差し足で火の見やぐらの側に立ち、高姫と狸の様子を覗いてみた。見れば狸たちは正体を現し、高姫に泥をかけたり木の葉を引っ付けたりしている。しまいに刈った萱をどっさり抱えてきて、高姫の体を包んで火をつけた。高姫は火焔に包まれて苦しそうに助けを呼んでいる。

何ほど憎い高姫でも、こうなると初と徳は人情にほだされて、高姫を救い出して狸を捕えようと戸をけやぶって飛び込んだ。すると二人は糞壺の中に落ち込んでしまった。

初と徳は狸に化かされたことを悔しがり、椿の木の根元の泉で着物を洗い、乾くまで寒いから相撲を取って暖を取ろうと決めた。しかし二人は依然狸に化かされており、今度は小便壺へ飛び込んで、着物を洗ったと思っている。

着物を傍らの木の枝にひっかけると、四股をふんで相撲を取りだした。妖幻坊の眷属・幻相坊、幻魔坊をはじめとしてたくさんの古狸や豆狸が幾百千ともあたりを取り巻いて、二人の相撲見物をやっている。

そこへ宣伝歌を歌いながらやってきたのは、ランチ将軍に仕えていて今は三五教改心したケースであった。ケースには、たいへんな大相撲が広い馬場で始まっているように見えた。実際は入れ替わり立ち代わり、狸が初公と徳公相手に相撲を取っていたのだが、初、徳、ケースには人間のように見えていた。

ケースは相撲の取り口が下手なのに業を煮やし、着物を脱いで四股を踏み鳴らした。数多の見物はどっと沸いた。ケースが東の土俵に腰を下ろした。ケースが取り組みを見ていると、初と徳が尻を紫色に晴らせたまま代わる代わる土俵に上がっている。

ケースは、あまり強くないくせに何度も土俵に上がる二人の男について行事に尋ねた。行事は、相撲気違いで力強く、この土地の顔役だから、特別に何度も上げているのだと答えた。ケースは取り組みを申し出て土俵に上がった。

ケースは初と取り組んだが、なんだか相手の体がヌルヌルして臭くてたまらない。初の糞まみれの体がすべり、ケースはすかしを食って土俵の真ん中へ倒れてしまった。ケースはむかついて、四本柱を引き抜いて初と徳に打ちかかった。二人も柱を抜いて荒れ狂った。ついに三人は力尽きてその場に倒れてしまった。狸たちは腹つづみを打って笑いながらおのおのの巣へ帰って行った。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月27日(旧12月11日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年12月29日 愛善世界社版246頁 八幡書店版第9輯 355頁 修補版 校定版252頁 普及版113頁 初版 ページ備考
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本文  お菊は夜明け間近くなつたので、余り遠くもない小北山へ、一度帰つて見ようと思ひ、暗がりに落ちてゐる石を二三十拾うて、ここらあたりと思ふ所へ、一つ二つ三つと数へながら投付けて、
『ああこれで文助さまの仕返しもしてやつた。何れ暗に鉄砲のやうな石玉だけれど、一つでも当れば尚面白いがなア』
と独言を云ひながら、スバシこく帰つて了つた。二人は怪志の森でお菊の放つた礫に鼻を打たれ、額を打たれて、三日許りウンウン唸りつづけ、懐からパン片を出して飢を凌ぎ、漸く手足が動くやうになつたので、何処までも高姫、杢助の在処を探ね、敵を打たねばおかぬと、杖を力に進み行く。
 浮木の森の槻や樅、松の大木がコンモリとして広く展開してゐるのが目につき出した。此辺一面は森の中も外も身を没する許りの萱がつまつてゐる。又篠竹や小竹の藪が彼方此方に散在してゐる。併しながらランチ将軍の軍隊が駐屯してゐただけあつて、可なり広い道だけはあいて居た。二人はチガチガ足をさせながらやつて来ると、椿の根元に高姫が泥まぶれになり、羽織を裏向けに着て、大きな狸が二匹つき添ひ、椿の花をおとしては、甘さうに吸うてゐる。高姫は、竹切れの腐つたやうな穴のあいたのへ、草をむしつては入れ、馬糞をつかんでは捻ぢ込み、一生懸命になつて、わき目もふらず、何かブツブツ言ひながら竹筒につめてゐる。
初『オイ、高姫が誑されてゐるぢやないか。あれみよ、大きな狸が二匹、椿の木をゆすつては花を吸うてゐるぢやないか。そこへ高姫の奴、着物を逆様に着やがつて、ありや大方騙されてゐるのかも知れぬぞ』
徳『ホンニ ホンニ大きな狸だなア。暗がりに俺達の頭をはつて逃げやがつた罰で、古狸にやられてるのだ。放つとけ放つとけ、いい見物だからなア』
 二人は萱ン坊の中に身を隠し、高姫が、どんな事をするか、あの狸奴、どこへ行きやがるかと、目を放たず見てゐると、狸は椿の葉を口にくはへ、花を頭に被り、三つ四つ体を揺ると、十四五の何ともいへぬ美しい乙女になつて了つた。さうして高姫は二人の乙女に手を曳かれ、目をつぶつた儘、首を切りにふつて、或立派な火の見櫓の中に引張られて行くのであつた。之を見た両人は、狸の化けるのに上手なのを非常に感心して、
初『オイ徳、高姫の奴、あの立派な火の見櫓の中へ引張られて行きよつたぢやないか』
徳『ウン、確に行きよつた。併し狸の奴、甘く化けるものだな。大方高姫は一人は杢助、一人は蠑螈別位に思つてるか知れぬぞ。一つ後をつけて、高姫がどんな事をしられよるか、見てやらうぢやないか』
『そら面白い、サア行かう』
『そつと、足音のせぬやうにして行かぬと、狸がカンづいたら駄目だぞ、静に静に』
と二人は差足抜足しながら、火の見櫓の側に立寄つて、戸の節穴から覗いてみた。見れば今まで美人に化けてゐた狸は、又もや正体を現はし、高姫に泥を掴んでかけたり、木の葉を引付けたり、いろいろとしてゐる。しまひには萱の刈つた奴をドツサリ抱へて来て、高姫の身体を包んで、一度にドツと火をつけた。高姫は火焔の中に包まれて、苦しさうな声を出し、
『助けてくれい、助けてくれい』
と呶鳴つてゐる。かうなつて来ると、何程憎い高姫でも、人情として助けねばならぬ。高姫を救ひ出し、二匹のド狸を捕りくれむと、戸を蹴破り、矢庭に飛込んだと思へば、二人は糞壺の中におち込み、頭から黄金を浴びて、山吹色の活仏となつて了つた。
初『エー、クソいまいましい、狸の奴、こんな所へ落しやがつたぢやないか。オイ徳、ここらで清水が湧いてをつたら、トツクリと洗うて、眉毛に唾をつけ、此憎くき狸を平げようぢやないか』
徳『さうだ、馬鹿にしてけつかる、これでは何うも臭くて仕方がない。いい水が湧いとらぬものかなア。マア兎も角、あの椿の木の下あたり、行つて見ようぢやないか。キツと椿の木のある所にや溜池のあるものだ。

 井底より上におち来る椿かな

と云つてな、椿の花が上から落ちるのが、水に映つて、池の底から上へ落ちて来るやうに見えるものだ。俺も一つ井戸をみつけて、下か上へ、椿ぢやないが、ドブンと落ちこみ、肉体の洗濯をして、それから出かけよう。赤裸では困るから、暫く、乾くまで、此馬場で相撲でも取つて居らなくちや、寒くて辛抱が出来ぬぢやないか、ヤ、案の条泉水があるぞ』
と、今度は小便壺へ糞まぶれの着物ぐち飛込み、バサバサと振り落し、漸く這ひ上り、両人はクルクルと赤裸となつて、石の上に着物をおいて、捻ぢたり、踏んだり、圧搾したりして、漸く水気を落し、傍の木の枝に引懸け、それから四股をふんで、一生懸命に萱の中で相撲を取つてゐる。妖幻坊の眷族、幻相坊、幻魔坊を始めとし、沢山の古狸や豆狸が幾百千とも分らぬ程、四辺を取巻いて、二人の相撲見物をやつてゐる。そこへ宣伝歌を歌ひながらやつて来たのは、ランチ将軍に仕へてゐたケースであつた。ケースは……大変な大相撲が広い馬場に始まつてるなア、なんと沢山の見物だ、俺も余り急ぐ旅ぢやないから、一つ見物して行かうか、ロハの相撲なら安いものだ……と蓑笠を脱ぎすて、金剛杖にもたれて、沢山な見物の後の方から伸び上つて、口をあけ「ワハハハワハハハ」と笑ひ興じてゐた。立変り入変り、古狸が初公、徳公を相手に相撲を取つてゐる。けれども初、徳は言ふに及ばず、ケースの目にも人間とより見えなかつた。ケースは俄にどの力士も取口が下手なのに、劫が湧いて堪らず……俺も一つ飛入りでやつてやらう……と早くも着物をそこに脱ぎ棄て、褌をしめ直し、土俵の側に飛出し、ドンドンと四股を踏み鳴らしてゐる。数多の見物は手を叩いて「ワアワア」とぞめいてゐる。ケースは俺が今出たので、何といふ立派な体格だ、彼奴が出たら、此相撲も活気がつくだらうと思うて、田舎者の見物が騒いでゐやがるのだな、ヨーシ、日の下開山横綱のケースが力量をみせてやらう。東から出ようか、西から出ようか……待てよ、東は智慧証覚の優れた者の居る所だ。さうすると、ヤツパリ俺は東の大関と惟神的にきまつてゐる……と独言云ひながら、東の土俵にドスンと腰をおろし、横綱気取で狸の相撲を「アハハハアハハハ」と笑ひながら見てゐる。春とはいふものの、まだ何処ともなしに寒くて仕方がない。一つ相撲でも取組まなくては体温を保つ事が出来ぬ。ぢやと云つて、何うやら三番勝負になつたらしい。さうすると此大関も順が廻つて来るのは日の暮だらう。三役が今頃から裸になつて居つても詰らない。今の内に着物を着て、俺の番が来るまで待たうかな、併しながら一旦大勢の中で赤裸になつたのだから、後へ引返して着物を着て来るのも、力士の体面を恥しめるやうなものだ。ナアニ構ふものか、ここが辛抱だ……と我慢してみたが、体一面に寒疣が出てガタガタ慄うて来る。「此奴ア四股をふみ、体中に力を入れるに限る」と一生懸命に腕を固めドンドンと四股ばかり踏んでゐる。漸く汗がタラタラ流れ出した。併し今の中にこれだけ力を出して了つたら、肝腎の俺の番になつた時は、モウ力の品切れになるかも知れぬぞ。マア暫く休養しようかなア……とドスンと東の力士の席に坐り込んだ。さうすると行司が唐団扇を持つてやつて来た。
『モシ貴方は飛び入りで厶いますか』
『ウン、飛込だ』
『何と云ふお力士さまで厶います』
『俺は日の下開山、野見の宿禰の再来、摩利支天の兄弟分、谷風、小野川、稲川、雷電為右衛門、出羽の海事梅ケ谷、大錦の丈常陸山勝右衛門だ。体量はウソ八百八十八貫八百八十匁、如何なる者なりとも、此方の褌に手をかけた者は、ルーブル紙幣百円を褒美として遣はす』
『ヤア、それは随分偉い力士が来て下さつたものです。勧進元もさぞ満足致しませう。併しながら、それ程お強いお方にはお相手が厶いますまい。誰とお相撲をお取りなさいますか』
『ハハハ誰でもよい。山門の仁王を呼出し、それに霊を吹きかけて、活躍させても苦しうない。それでゆかねば、ゴライヤス、五大力、まだ足らねば、当麻蹴速、それで行かねば、八岐の大蛇に金毛九尾、妖幻坊、誰でもよいから、強いと名のついた奴には相手になつて遣はす』
『前以て貴方のやうな力士がお出でになるといふ事が分れば、相手方を願つておくのでしたが、余り俄の事で、一寸困ります。エー此相撲は晴天十日続くので厶いますから、今日はお控へを願つて、明日か明後日あたり、堂々と土俵に上つて貰ふ訳には参りますまいかな』
『折角裸になつたのだ。武士が刀を抜いたら、キツト血を見なくちやをさまらぬと同様に、力士が裸になつた以上は、せめて一番なりと組合はなくては、此儘に下る訳には参り申さぬ。孫悟空でも金角坊でも銀角坊でもよいから、一寸臨時傭うて来てくれないか』
『ハイ、それなら直様、飛行機を以て、金角坊さまを願つて参りませう』
『エー、凡そ時間は幾ら程かかるかな。余り遅くなると、こつちも困るのだが』
『ハイ半時許りお待ちを願ひます。さうすれば仮令一万里あらうとも、魔法を以て呼寄せます』
『ソリヤどうも有難い、早く頼むぞ。イヤア、腕がなる、此腕の持つて行きどころがないと思うて居つたに、マアこれで俺の男が立つといふものだ。如何に金角坊魔術を使ふとも神力があるとも、此ケース横綱の腕つ節を以て、只一突に土俵の外へ、蛙をブツけたやうに投出し、忽ち大の字を地上に描く大曲芸、此中には随分美人も沢山居る。キツト俺の力量を見たならば惚れるだらう……相撲取を男にもち、江戸長崎国々へ行かんしやんした其後で、夫に怪我のないやうと、妙見様へ精進を……なんて、ぬかすナイスが一ダースや二ダース飛び出すに違ひない。さうすりや俺もチツと困らぬでもないが、其中から互選をさして、最高点者を女房にするのだなア。其上堂々と祠の森を越え、斎苑の館へ、日の下開山の御参拝だ。まだ斎苑の館へは、沢山人は参詣するけれど、日の下開山横綱の力士が参るのは初めてだらう、エヘヘヘヘ、面白うなつて来たぞよ、オホホホホ』
とシクシク原に尻を下し、得意になつて、一人笑壺に入つてゐる。立ちかはり入りかはり、幾十組ともなく、痩せた力士や腹ばかり大きな不恰好な奴が土俵に現はれては、脆くも倒れる可笑しさ。初、徳の二人は尻を紫色に腫らかした儘、かはるがはる土俵へ上つては取組んでゐる。ケースは……
『あの尻の黒い男、消しでもないのに、何遍でも出やがる。其癖余り強い力士ではない。此奴ア怪しからぬ、一つ行司に掛合つて見ようかなア……オイオイ行司、一寸尋ねたい事がある。あの尻の紫とも墨とも分らぬやうな力士、二人に限つて何遍でも取つ組み合せをするぢやないか、あら何うしたものだい。俺だとて彼奴が出られるならば、出られない筈がないぢやないか』
『ハイ、あの方は相撲気違ですから、特別に許してあるのですよ。年寄連中も、彼奴は此土地切つての顔役でもあり、力強でもあるから、言ふ通りしておかねば、後が面倒いといふので、相撲道の規則には反きますが、これも地方の状況によつて、止むを得ず取らして居ります。随分強い男でせうがな』
『ウン、相当に強いな、併し外の奴が弱いから強く見えるのだ』
『貴方とはどんなものでせうな』
『さうだ、到底相撲にならぬワイ。併しながら、俺も斯うチヨコナンと、見役ばかりしてゐるのも手持無沙汰だから、頼みとあれば、彼奴二人を向ふへ廻し、取つてみてもいい』
『ああ左様で厶いますか。それなら、一つ年寄と相談を致します。一寸待つてゐて下さいませ』
と行司は頭取の席に走り行き、何だかブシヤ ブシヤと話をし、又東の席へ飛んで来て、頭取や年寄と囁き、ケースの前に現はれ、
『ヤ、エー、頭取や年寄衆が賛成です。何卒一つ取組んでみて下さい。そして貴方のお名乗は余りお長いやうですが、何とか簡単なお名をつけて頂きませぬかな』
『摩利支天でも仁王ケ岳、ゴライアスでもいいぢやないか』
『それなら貴方は浮木の森と云ふ名を付けたらどうでせう』
『ウン、そら結構だ、どうぞ頼むよ』
『ハイ』
と行司は答へて、土俵に上り、唐団扇をふつて、
『東イ浮木の森、西イ負田山並に転田山ツ、二人一度に日の下開山、浮木の森に消しがかり』
 見物は雨霰の如くピシヤ ピシヤ ピシヤと手を拍ち、各自に狸の腹鼓をうつて、ワアワアと喚き立てた。初、徳の両人は、
『ヤア面白い、新手が来よつた、俺達両人は彼奴を十六俵の土俵の外へ投出し、大喝采を受けねばなるまい。馬鹿らしい、二人も一緒にかかるのは、一人に限るよ』
と囁きながら、土俵に上る。先づ初公は西方に現はれ、四股踏みならし、砂を手に掬うて体にぬりつけ、両方から猫の狙ふやうな調子で呼吸をはかつてゐる。行司は「ヤツ」と団扇をひいた。ペタペタペタと四つに組んだが、何だか負田山の体がヌルヌルしてゐて臭くて堪らない。されど大法螺を吹いた手前、此奴を倒さねば男が立たぬと、ケースは一生懸命に押して行く。糞まぶれの一方の体はヌルヌルと鰌の如く鰻のやうに辷る所へ、スカシをくつて、土俵の中央へ、うつ向けに倒れ、口に砂を一杯頬張り、歯から血が滲み出した。行司は団扇を西の方へ上げた。見物は一度にワアイ ワアイと喚く。ケースはむかついて堪らず、死物狂となつて、四本柱を引抜き、縦横無尽に負田山、転田山の二人に向つて打ちかかる。二人も亦同じく柱を引抜き、前後左右に荒れ狂ひ、遂には力尽きて三人其場にドツと倒れて了つた。彼方にも此方にもポンポンポンと鼓の声、これは沢山の豆狸が腹鼓を打つて笑ひながら、各古巣へ帰り行く声であつた。
(大正一二・一・二七 旧一一・一二・一一 松村真澄録)
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