誇張なく単純なものほど至高の芸術であると喝破したワルト・ホイットマン氏に、瑞月王仁は賛成する。この物語が単純であり一定の分体が具わっていないと言われようが、少しも意に介せない。
神の著せしものはすべて単純であり、一定の文体無きをもってかえってその博き文想に感嘆するものである。瑞月は決して物好きで口述するのではない。ただ吾が口を通じて著されたその作物に、邪魔物を垂れないように勉めているのみである。
吾々が今表白するところのものは偽らず、飾らず、惟神のままである。本書もまた吾が大本の信仰に対し現代を救うの道として止むに止まれない場合が差し迫ったために神勅によって編述することになったもので、決して瑞月王仁や真澄、隆光、明子、介昭氏らの物好きで作ったものではない。
大本においても、この書を変性女子の遊戯的作物として軽視し、一回も本書を手にしない方々があるのは実に遺憾の至りである。
予言的精神に充たされた本書は、あらゆる形式美を尽くして朝日に輝く雲のように虹色を呈して虚空に架かっている程の覚悟をもって進んでいる。もし人が言わざるを得ないものを持っているならば、石が地に落ちるように、何事もなく単純に率直に漏れ出ずるものである。
すべて現れ出たものの根底には、必然なるものが潜んでいるものであると思う。記してもって総説に代える。