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文献名1霊界物語 第56巻 真善美愛 未の巻
文献名2第1篇 自愛之柵よみ(新仮名遣い)じあいのしがらみ
文献名3第1章 神慮〔1431〕よみ(新仮名遣い)しんりょ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
人霊が現実界にあるときに、皇大神の神格に反抗した度に比して各自に一個の悪魔・邪鬼を造り、そして地獄を造りだすのである。この由を悟って、常に霊魂を清めて神の坐す国へ昇り行くべく努めるべきである。

真の神は、罪悪と虚偽に満ちた人々を排斥して地獄に墜落させたまうことはない。邪悪に対して怒りこれを罰するということもない。主の神の珍の身体は、善と愛であるからである。

神より人に流れ来るすべてのものは、愛の善と信と真の光のみである。真の神は、人間を悪から離れて善道に立ち返らそうとなし給う。これに反して地獄界は、人を悪に誘おうと一心不乱に焦慮するものである。

人間は天界と地獄界の間に介在をなすものなので、善悪二方面、正邪の平衡をすることができる。これは神の賜物なのである。

真の神は悪人を悪から離れせしめ救いやらんとなし給い、善人にはますます円満具足なる善を積ませ給う。しかしこの違いは、人間自身の心からあえて出てくるのである。すべての人は、中有界にあって天界と地獄界の両方に向いているからである。

人間は、天界の流れを受けて善を為す。地獄からの流れを受けて悪を為す。ゆえに大本神諭では、すべての事物は霊界の精霊が為す業であると示されているのである。

悪と虚偽は、その人の心の中の地獄なのである。心の中の地獄こそが、諸悪の原因なのである。それゆえ、地獄に堕ちて苦しむのも、自ら赴いたということになるのである。真の大神はけっして、人を地獄に落とし苦しめ処罰するということはない。

人間が悪を欲しなければ、主の大神は地獄からその人を脱離せしめて天界へ導き給うのである。このことを悟るべきである。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年03月14日(旧01月27日) 口述場所竜宮館 筆録者口述者(出口王仁三郎) 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年5月3日 愛善世界社版11頁 八幡書店版第10輯 149頁 修補版 校定版11頁 普及版4頁 初版 ページ備考
OBC rm5601
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本文     ○
 現代人はおもえらく  根底の国には最初より
 一個の魔王厳在し  諸多の地獄を統轄し
 堕ち来る精霊の罪悪を  制配なすと恐れられ
 魔王は嘗て光明の  天人なりしも叛逆の
 罪に問はれて衆族と  共に地獄に堕されし
 ものとの信仰昔より  深く心に刻まれて
 真相覚れるものも無し  魔王もサタンもルシファーも
 約言すれば地獄なり  殊に魔王と称ふるは
 背後に位置せる地獄にて  此処に住めるを兇鬼と云ひ
 兇悪最も甚だし  又前面に位せる
 地獄をサタンと称ふなり  サタンは魔王に比ぶれば
 さまで兇悪ならざれば  これをば兇霊と称ふなり
 又ルシファーと云ふ意味は  バベルに属する曲にして
 彼等の領土は久方の  天界までも拡がれり
 故に一個の魔王ありて  地獄を統治し坐さざるは
 地獄天界両界に  住める精霊に別ち無く
 皆これ人の精霊より  するものなるや明けし
 天地創造の始めより  現代社会に至るまで
 幾億万の人霊が  現実界に在る時に
 皇大神の神格に  反抗したる度に比して
 各自に一己の悪魔なる  業を積み積み邪鬼となり
 地獄を造り出せし由  悟りて常に霊魂を
 浄めて神の坐す国へ  昇り行く可く努むべし
 ああ惟神々々  御霊幸はへ坐しませよ。
    ○
 愛と善との徳に充ち  信と真とに住みたまふ
 真の神は罪悪と  虚偽に充ちたる人々に
 仁慈と光栄の御面を  背けて之を排斥し
 地獄に墜落させたまひ  邪悪に対して怒りまし
 之をば罰し害なふと  各宗各派の教役者が
 伝へ来りしものぞかし  この言説は大神の
 大御心を誤解せし  痴呆学者の言葉なり
 神は如何なる罪人にも  面を背け排斥し
 怒りて精霊を地獄界へ  決して堕すものならず
 その故如何と尋ぬれば  善と愛とは主の神の
 珍の身体なればなり  善の自体は害悪を
 決して加ふるものならず  愛と仁とは何人も
 排斥すべき理由なし  万一神が罪人に
 背き斥け怒りまさば  仁慈と愛に背反し
 その本性に戻りまし  神格自体に反く可し
 それ故神は何処までも  人の精霊に接しますや
 善と仁慈と愛により  臨ませ玉はぬことは無し
 五六七の神は人のため  善を思念し克く愛し
 仁慈を施し玉ふのみ  ああ惟神々々
 御霊幸はへましませよ。
    ○
 神より人に流れ来る  凡てのものは愛の善
 信と真との光のみ  根底の国より来るものは
 悪逆無道ばかりなり  まことの神は人間を
 悪より離れて善道に  立帰らせむと為し玉ふ
 之に反して地獄界は  人をば悪に誘はむと
 一心不乱に焦慮せり  さは去りながら人間は
 天界地獄両界の  間に介在なさざれば
 人は何等の想念も  意義も自由も撰択も
 あらず身魂も亡ぶべし  人に善悪二方面
 あるは正邪を平衡する  神の賜なればなり
 神若し人の精霊に  面を背けたまひなば
 悪事を心の儘になし  人たる所以は滅ぶべし
 神より人に向ひまし  流れ来れる光明は
 唯々善の徳のみぞ  然るに悪しき人間も
 善良無比の身魂にも  皆その神徳に浴すなり
 少しく相違の点あるは  真の神は悪人に
 対して悪を離れしめ  救ひやらむと為したまひ
 善良無比の身魂には  益々円満具足なる
 善をば積ませたまふなり  以上の如き差異あるは
 人間自身の心より  之をば敢て為すものぞ
 凡ての人は天界や  地獄の所受の器にて
 中有界に居ればなり。
    ○
 世界の人は天界の  流れを受けて善を為し
 地獄によりて悪を為す  故に大本神諭には
 凡ての事物は霊界の  皆精霊の為す業と
 示させ玉ふ所以なり  されども人はその行為を
 残らず己れの身よりすと  信ずる故にその為せる
 悪は皆その自有となし  心中深く膠着せり
 それ故人は自身より  悪と虚偽との因となる
 神の関する由来なし  人の身魂に包有せる
 悪と虚偽とはその人の  心の中の地獄なり
 地獄と云ふも悪と云ふも  皆同一の事ぞかし
 人は自ら包有せる  諸悪の原因なる故に
 地獄に墜ちて苦しむも  自ら赴く次第なり
 決して真の大神は  地獄に堕し苦しめて
 処罰し給ふものならじ  如何となれば人間が
 悪を欲せず愛せずば  主の大神は地獄より
 脱離せしめて天界へ  導き玉ひ人をして
 地獄に投げやり給ふこと  決してなきを悟るべし
 ああ惟神々々  御霊幸へましませよ。
(大正一二・三・一四 旧一・二七 於竜宮館 口述者識)
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