明治三十二年…月…日
今まで世の本の神を北の隅へ押し込めておいたが、もうこれからは世に落とされていた活神の光が出て日の出の守護になるから、そこらじゅうが光り輝く明らかな神世になる。
人民は万物の長というが、一寸先が見えないところまで曇りきり、足元へ火が燃えてきていてもまだ気が付かない。元の生き神の守護が無かったら、何ほど知識や学で考えてもいつまでも世界は治まらない。
今度は北から艮の金神が現れて世界を水晶の世にして、善一筋の世の持ち方を致す。神も仏も人民も勇んで暮らす神世といたす。それまでに一つ大峠があるから、人民は速く改信して神心に立ち返ってくだされ。
明治三十二年旧七月一日
竜門の宝を艮の金神がお預かり申す。岩戸開きが済んで立て直しの段になったときに必要になる宝である。昔からこの乱れた世がくるのに備えて隠してあったのだ。
牛糞が天下を取るような珍しい事ができる。
今度の二度目の天の岩戸開は因縁のある身霊でないと御用には使わない。神の御役に立てるのは水晶魂の選り抜きばかりである。今まで世に出ていた守護神はだいぶ思いが違ってくる。
明治二十八年から三体の大神が地に降って御守護遊ばすと世界は一度に夜が明ける。三人の霊婚を神が使って、三人世の元として珍しいことを致す。
この大本はほかの教会のように人を大勢寄せて結構と申すようなところではない。人を引っ張りに行ってくださるな。因縁ある身魂を神が引き寄せてそれぞれに御用を申し付けるのである。
大本の仕組は病気直しではない。肉体が病魔の入れ物になっている人民を、素の水晶魂に捻じ直してちょっとでも霊魂が光り出したら、病神は恐がって逃げてしまうのである。今の神の取次は吾の目的ばかり致して神をかつお節にして神の名を汚している。もう改信の間がないぞ。
艮の金神が表になると、人民を穏やかにし、喧嘩もない結構な神世にして天地の神々様へ御目にかけ、末代続けさせる松の世と致すのである。
明治三十三年旧五月五日
今の世の人民は残酷な精神になってしまい、人の国を奪ったり、人の物を無理して強奪したがる悪道な世に成っている。これも皆悪神の霊の仕業である。
艮の金神が現れると利己主義の人民は辛くなる。一度に岩戸開きを致せば世界に大変が起こるから、日にちを延ばして余計に改信させて助けてやりたい。世界の神々様、守護神殿、人民に気を付ける。
世が曇ってきていても、強い者勝ちのやり方をして、これより外に結構な世の治め方はないと言っている。今の人民はさっぱり悪魔の精神になっている。これだけ神が気を付けるのに、聞かずにいて後で不服を申してくださるな。
今の人民は食い物に困るようになったら人民を餌食にしても徹底的にやりぬくという程になっている。艮の金神は陰から世界をつぶさないように辛い行を三千年余りもして経綸を致したが、神はそのままでは何もできないから、因縁ある身魂を引き寄せて懸ってこの世を守護するのである。
なかなか大事業であるが、時節が参って変性男子と変性女子の身魂がそろって守護がありだしたから、いろは四十八文字の霊魂を世界の大本、綾部の竜宮館にボツボツ引き寄せて神がそれぞれ御用を申し付ける。
素直に聞いてくださる人民が揃ったら、三千年余りての仕組が一度に現実になってきて、三千世界は勇んで暮らす神国になる。人民は神の手足となって我が身を捨てて神の御用を致すのが天からの御用であるが、今の人民は大きな取違をしている。
明治三十四年旧三月七日
今度の元伊勢の御用は世界を一つの致す経綸の御用である。もう一度出雲へ行ってくだされば、出雲の御用を出来させて天も地も世界をならす。天の岩戸開きは水の守護と日の守護とで致す。
天の岩戸開きという大望なことは、出口でないとできない。今度の御用をさせるために昔から生き代わり死に代わり、苦労ばかりがさせてあった変性男子の身魂である。